先日TVをつけていると、探偵!ナイトスクープが始まり「社長さんとの最後の登下校」というのが放送されていました。
タクシー会社の社長さんが、近所の小学生の女の子の登下校の送迎をしてあげていて、女の子がもうすぐ引っ越すので今までのお礼を伝えたいというものでした。
私は昔から子どもの映像で涙を誘うようなTV番組が嫌いでした。
単に自分が子ども好きじゃないからだろうと思って片付けていましたが
この数年、自分の色んな感情と向き合ってみて、私は別に子ども自体が嫌いな訳ではなくて
幼い子と親(大人)のやり取りを見るのが辛いのだろうということがわかりました。
TVの場合、子どもが単体で何かするのは何とも思わないけれど、一緒に出る親とか、周りの大人の態度に対しモヤっとするのだと思います。
(プロの子役には何とも思いません)
冒頭の「社長さんとの最後の登下校」のVTRの後、出演者みんな感動して泣いたり、泣きそう!と言っていました。
私も見ながら泣きました。
感動して、ではないです。
『私もあんな風に声掛けてもらいたかった』という、羨ましさからです。
37歳のいいおばさんが、社長さんに優しく声掛けされている小学生の女の子が羨ましくて泣きました。
そう言えば、前に勤務した教育機関でも同じことを感じました。
その施設の長でもあった年配の先生は、あの社長さんみたいな受け答えをしていました。
そんな先生なので、子どもたちも臆することなくじゃれていて、それを見てすごく複雑でした。
私は昔から「大人」を母基準で考えていたので、大人という存在が怖く、先生やよその親にもなかなか打ち解けることができませんでした。
やたらと先生にじゃれつく子とかいたけど、そういう子が羨ましかったです。
確かに父は優しかったけど、この社長さんとか、前職場の先生の「優しさ」とは違う感じがします。
姉も優しかったけど、たかだか5歳しか離れていない姉に親代わりの役目は無理です。
私はきっと「優しい大人」に飢えていたのかな、と。
私は、元々ませていたので子どもの頃にTVで同じ年頃の子どもを見ても『私はこんなに幼稚じゃない』等主張しては毒づいていました。
だんだん、自分が成長して街で子どもを見かけたりすると、周りが「可愛い~」「いくつ?」とか言うのにも馴染めずにいました。
見た目が可愛らしいという「物理的な可愛さ」はわかるけど、子ども自体に「愛おしい」みたいになるのがどうもわからず
とりあえずイキがって『ガキは嫌い!』ということで片付けていました。
多分あれは、私の中の「子ども」が大人になりきれず羨ましい気持ちが邪魔していたのでしょう。
さっきのナイトスクープの話と同じで、自分が子どもの頃、母にしてもらえなかったことを、いとも簡単にしてもらっている(大人に優しくしてもらっている)よその子が羨ましかったのだと思います。
だから最近はそういうのを見て、泣いても良い場なら我慢せずに泣いて吐き出すことにしています。
一般人の出るバラエティ番組もあまり好きではありません。
好きな方には申し訳ないですが「学校へ行こう!」なんて、大っ嫌いでした。
V6さんのことは好きなので、今でも時々復活した時に見てみますが、やっぱり苦手。
自分の学生時代が最悪過ぎて、楽しそうな学生さんにシンプルに嫉妬します。
ずっと、みんなが面白いという番組をそう感じなかったので、そんな自分はおかしいのか?と思っていました。
根底に「羨ましい」という気持ちがあったことを今では素直に認められますが、これを認めるのって難しいことです。
いつか克服できるかな?と、定期的に番組を見てみますが、学校を題材にしているものはやっぱりだめですね。
笑ってコラえて!の部活動のコーナーも同じ香りがして苦手です。
まだまだ、笑って見るには時間がかかりそうです。
でも嫌な気分になる理由がわかっただけでも進歩かな。
そう言えば、あれだけ堂々と「子どもは好きじゃない!」と豪語していた母ですが、赤ちゃんがテレビに映ったりすると本域で「かわいいなぁ」と顔をほころばせてよく言います。
『は?子ども嫌いなくせに、嘘つけ!』と思ってましたが、多分「自分の人生に全く関係のない他人の子」には純粋にそう思えるのでしょうね。