毒親のもとで育つと、色々思うことはあってもどうせ倍以上で言い返されてしんどいだけなのでスルーするのが当たり前になります。
『私、そういうこと言いたいんじゃないんだけどな』とか『どうせ言っても伝わらないしな』とか、毒母に対していったいどれくらいの言葉を飲み込み、生きて来たでしょうか。
幼い頃は誰しも『親に捨てられては困る』という恐怖心があるので(実際捨てられることなんてなかったのでしょうが)
そういうことに疑問も抱かずに従い続け、だんだんと友人の親や、ドラマとかを見て
どうもうちの親って変だな…と何となくモヤっとしたものを感じるのですが、気が付いた頃には「時すでに遅し」で、そのモヤっとしたものの正体もわからないし、それを表現したり言語化したり「嫌だ」と伝える術さえわかりません。
そりゃそうですよね。マトモにやれる場を与えられなかったんですから。
自分自身、語彙力にはそこそこ自信があるのに母にだけは伝わることはなく悔しい思いをしたことも数えきれません。
こういうことが当たり前になった結果、だんだん「自分の感情に蓋をして生きていること」にすら鈍感になって、それが外でもいいように扱われたり、モラ気質の人につかまったりして苦しむ所以なんだと思います。
そもそも、自分の思いに正直に生きて来れなかったということは、自分をないがしろにしている事に等しいので他人からも大切にされなかったのだろうな、なんてことは頭ではよくわかるんですけどね。
かく言う私も、こういうことに30代も半ばになって、やっと気が付いてきたクチなので、とりあえず『自分の気持ちに蓋をしない』と簡単なことからやっていますが、そもそもマトモな家庭環境で育ってきた人はそんなことわざわざ「やるぞ!」と思わなくてもできる訳で…
それでも、歩みは遅くとも前を向いて生きていたい!と決めたので、その1つとしてこのブログを更新しています。
とにかくこのブログでは同じようなことを何度も書いていますが(自分でも『もうええがな』と時々ツッコむ)
このブログで言語化をしているせいか?
例えば母と話している最中にも『あ、これこれ。私こういうのが嫌いやねん』と、かつて自分ですら感情に蓋をして気が付いていなかった事に気が付くようになったり、瞬間的に自分の気持ちを話せるようになります。
前までなら、モヤっとしつつも何となく飲まれていたことへの瞬発力がついて、また毒母の発言に対する「傾向と対策」みたいになっているのかなと感じます。
その「モヤっとしたこと」をブログに書いて、何年も何年もしつこくふるいにかけてみて、なお残るものが結局私が一番拒絶反応を示していたことなんだろうとわかってきました。
こっちのふるいでは見つからなかったやつがまた出てきたぞ!みたいなことの多さに絶望しますが。
母とは、真剣な話をしていても必ず徐々に話が逸れるのは一種の発達障害があるせいなのは何となく気が付いてはいましたが、それとはまた別に母の発言や考え方には独特のニュアンスがあって(だから毒親なんですけどね)未だに姉と母との3人のLINEででも『今そんな話してんじゃないんだけどな』と道が逸れることがよくあります。
自分に都合の良いように話を勝手に脚色したり解釈するのも毒親の専売特許ですからね。
けれど、最近はこういう時にも『違う。私の言っていることはこういう事。話が逸れている』とハッキリと述べることができるようになりました。
幼い頃はとにかく「恐怖」のせいで考えをまとめることすらできずに居て、成長してからはもう諦めの境地なので、おかしいんじゃないか?という自分の心の声にさえも目を背けていました。
幸い、文章を作る力はそこそこあると思っているので、頭の中でまとまりさえすればすぐに反撃できます。
ただし、適度に短文にはできません。知ったこっちゃないです。
長文のまま、どんどん母に投げてやります。
念頭に置いているのは、母が理解できるかできないかは度外視すること。
そもそも簡単に話の通じる人なら毒親になってないので(これは大前提)とにかくこっちの言いたいこと、思うことを投げるのみです。
今まで、膿のように溜まりに溜まった「モヤっとしたこと」を吐き出し、これからはできるだけ溜めない!というのが目的です。
『ここまで言ってわからなかったら、どうしようもないね』というところまで入れてやります。
毒母は大体ついて来れなくなると「そやな」とか「そうなん」とかで終わるので、すぐにわかります。
こんなことに時間を取られることも、馬鹿馬鹿しい…とも思います。
けれど今はとりあえず、恐怖や諦めで子どもの頃からずっと飲み込み続けた自分の魂の叫びを成仏させてあげるのが先決だと思っています。
また、何か発見があれば書きたいと思います。
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