母の作る料理は確かにそれなりに美味しかったし、本人も料理好きではありましたが、元々分量をきちんと見ないとかすごく雑なところがあるので時々失敗することもありました。
『あんまりおいしくないな』と思う時もありましたが、あの母相手なので…
私も姉も父も露骨に『まずい』等とは絶対に口が裂けても言いませんでした。
何か言ってまたキレられて、深夜まで説教コースになるくらいなら何となく食べたふりをして穏便に済ませる方がましだからです。
おいしくないことを悟られないよう、食べてる風に見せて『明日の朝ごはんいっぱい食べよ…』と考えたりしていました。
今思えば何であんなに母の手料理に対して接待のような態度で挑まないといけなかったのか…
それでも、母に「おいしくないか?」と聞かれ、もうこれ以上嘘をつけないな…と思ったら、めちゃくちゃ勇気を振り絞り『私はあんまり好きな味やないかな…』と言う時もありました。
けれど、こういう時母は無理強いして「黙って食べろ」とは言いませんでした。
母は単純に「自分もされたら嫌」なことだけにはそうやって想像力を働かせることができるのです。
母自身が「おいしくないと感じるものを無理やり食べさせられるのは自分も嫌」だから、相手の立場になって考えられるのです。
子どもの頃はそういう時『母さん優しいなあ』なんて思っていましたが、とんでもない。
普段が酷すぎるから、たまにこうやって優しくされると過剰に美化されてしまうだけ。子どもは親のこと、良く思いたいものですから。
しかしこういう時もありました。
母が「今日はご飯失敗したわ!」と言うけど別にそこまでまずくもないけどなという時。
母の表情がだんだん曇り不穏な空気が流れ始め、爆発を阻止しようと父、姉、私で必死に『別にそこまでまずいことないよ』『もうちょい、これ(調味料)足したらいけそう!』など、必死にご機嫌取りをします。
最初は母の「おいしくないやろ」と私たちの『全然いけるよ』の押し問答が続くのですが、あの母のことです。
「じゃあ今日はこれで我慢してね。美味しくなかったら他のもの食べて」と「まぁいっか」で、軽く済ませることができないんですよね。
急に「作り直す!」「もう食べんでええ!」と半ギレで強制的に下げて、全く別のものを作り直すために食卓で数分待たされることも…(またそれも『別に作り直さなくていいよ』などと口出しするとまたキレられる可能性があるので、ビクビクしながら黙って待っていました)
これも、子どもの頃は母のことを「真面目」だとか「ストイック」みたいに思っていたけど…単なる母の自己満足です。
だって私たち誰も『まずい!』だとか『作り直せ!』なんて一言も言っていないし。
こういう母の、自分自身への過剰な手料理への厳しさが自ら首を絞めることになり、また違う日に喚き散らす原因になるストレスとなって蓄積されるんです。
確かにご飯は楽しみでしたが、母が食卓でキレることの方がとにかく嫌で嫌で…
お腹が満たされるかどうかなんて二の次。
もう何でもいいから、穏便に、平和に、何事もなく食事の時間終わってくれ…それだけを毎日願っていました。
せっかく美味しい夕飯ができて、楽しいテレビ番組もやっている時間。
あとは家族みんな機嫌良く食べさえしたら最高の時間なのに、機嫌が悪いと露骨に態度に出し、自分の気に入る言葉が出なければ更にキレて、テレビも消せ!と怒鳴り
料理以外の事でキレていても母は必ず最後には料理の大変さを喚き、怒鳴っていました。
今日の食事にはこれだけの手間がかかっとんのや!
買い物袋(が重くて)手ちぎれそうになりながら帰ってきたんや!
雨の日も暑い日も休みなしやぞ!
今日母さん会社から帰って1回も座らず台所立ってご飯作ったで?
(部屋着に)着替えてもいないで?
アンタらは口開けて待っとるだけやもんな!
…あの、私たち1度でも『仕事から帰ってきてもすぐにご飯作れよ』『休む暇なんてないぞ』なんて言ったことあります?って話。
料理上手の良いお母さん♪と自分では思ってたみたいですけど、こういう食に関する偏った考え方やこだわりが娘に与えたのは、確実に「食べる楽しみ」ではなく、食卓で怒鳴られるトラウマや食べるという行為自体があまり好きになれないということだけでした。
不機嫌なんて、間違いなく一番料理を不味くさせます。
「ごめん、しんどいからちょっとご飯待ってな」とか「今日はこれで我慢してな」
そう言いながら、ちょっと時間が遅くなっても、お惣菜でもデリバリーでも、笑って食べる方がどんなに良かったでしょうか。