もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

過去との決別

実家を出た時はとにかく逃げるような感じだったので、荷物整理もあまりできずとりあえず持って来たものもたくさんあります。

今のマンションには3帖ほどのトランクルームもあるので収納には困ってないですが、今度引っ越せる時が来たらここより広い所にはもう住めないだろうし、物は半分くらいに減らしたいと思っています。

徐々に断捨離はしているものの、奥の方にあってなかなか手のつけられなかったものをこの間出してみました。

 

元親友Mからの手紙は、以前みんな処分したと思っていました。

元親友Mの記事はこちら↓

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ところが奥にあった箱の中に、Mからの手紙がまだ入っていました。

あれだけ前に捨てたのに、まだあったの?とびっくり。

 

Mは同じ小学校の幼なじみですが、家庭の事情で県外に引っ越しをしてから、近所に住んだことは一度もありません。

だから何年も、文通をしてきました。

やがてPCメールになり、携帯でも長文メールのやり取りができるようになり、通話し放題のプランが登場し、手紙のやり取りはなくなりました。

それでも、誕生日プレゼントが届いた時にはバースデーカードも入れてくれていて、それも今回出てきました。

 

シュレッダーにかけていくので、封筒から出してさっと目を通しましたが、私が20歳頃の手紙が一番たくさん残っていました。

私が一番、生きることを悩んでいた時期です。

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その頃私は仕事もせずに暇を持て余していて、Mは資格を取る為の専門学校に通うのに寮で暮らし、忙しい日々を送っているようでした。

大体2~3ヶ月間隔で手紙のやり取りをしていてMからの便りをいつも楽しみにはしていたものの、当時を思い出すとMからのどんな手紙を見ても、こちらが何を書いてもどうも内容が頭に入らず、そんな自分を薄情だな…と思う時もありました。

Mから手紙が来る頃には前に自分が書いたこともすっかり忘れてしまって、でも文通は止めたくないし、苦肉の策で自分が今回どんなことを書いたかを記したメモをMからの最新の手紙にホッチキス止めしてありました。

 

当時、得体の知れない焦燥感と無気力に支配されて、何もしたくない…でも何かしなきゃ…という毎日に嫌気がさしていました。

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母と離れて、母の干渉で自分の考えとか思いとかをじっくり考えることなんて今までほとんどなかったこと、とにかく母が乗れと言った船に乗せられているみたいな生き方をしていたことに気がつき

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当時のそういう訳のわからない不安感や焦りの原因もわかった気がしました。

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ちょうど、姉が里帰り出産中だったから毎日姪をお風呂に入れたりすることで家族の役に立つこともあっただろうけど、根本的な私の心の部分は病んだままだったのだと思います。

あんなに暇を持て余しているのに親友の話ですら頭に入らない、何をしても楽しくない、いつも体のどこかに不安が張り付いている…そんな感じでした。

他人のことで思いを馳せるほどの心の余裕が私にはなかったのでしょう。

 

手紙を処分し終えると、次は写真やプリクラも。

ちょうど、プリクラが世に出回り始めたのが中学の頃で、当時はたくさん交換をしてプリ帳が色んな人のもので埋まるのがステイタスであり、今見ると誰だこれ?というものもたくさん。

 

プリクラの中の自分は笑っているのに、何も感慨にふけることもなくただただ虚しさがこみ上げるだけでした。

あの時も苦しかった。

この時も心がしんどかった…

思うのはそんなことばかり。

子どもから大人になる、一番楽しい瞬間の年齢のはずなのに…

普通は楽しかったなぁ~とかバカやってたなぁ~と、感慨深くなるものなのでしょうけどね。

全て切り刻み、処分しました。

 

それでも今まで何となく捨てられずにいたのは、ずっと自分を好きになれず後悔ばかりの人生でしたが、そんな中でも楽しいこともあった!と思いたかったのかも。

自分の人生が嫌いなことも認めたくなかったのかな。

今はハッキリ言えます。成人してから母と暮らした数年は最低だったと。

それを認めてしまうと今までの自分の頑張りが水の泡になるような気がして、だからこそ過去にしがみついていたのかも知れません。

 

過去とは決別して、これからは前だけを向いて歩いて行きたいです。

 

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コメント、スター本当にありがとうございます。