毒親に育てられると、自己肯定感なんてほぼ無いに等しいし自分を好きになるなんて夢物語じゃないのか?と思います。
それでも何とかかんとか、ここで素直な気持ちを吐き出して、嫌というほど自分と向き合い色々なことを考えて、大嫌いだった自分の人生を昔よりかは『悪くない』とは思えるようになってきました。
ずっと『だめな人間だ』と思っていた自分のことも少しは許せるようになっては来たけど…自分のことを好きになれたかと問われたら全然そんなことはないです。
前に毒親育ちの方のSNSで「自分は毒親問題で気持ちの整理がある程度つかないと結婚は考えられない」と書いてる人がいて、何となくわかるな~と思いました。
その人がたまたま結婚と書いていただけで、これは何においてもあてはまるのかな?と思います。
かつて、母から逃げる為だけに結婚しようと思っていたけど、結婚を「したいからする」ではなく「母が嫌だからする」になるならやめておこうと思って、これは一旦考えないでおこうと思って今に至ります。
私の性格上、相手のあることをそういう感情でやりたくなかっただけのことなので、特に後悔もないし、毒親から逃げる為に結婚した人がいたとしても、それを否定する気も全くありません。
(どんな手段であれ、毒親から逃げることがどんなに大変かはわかっているので)
でも、私が家を出たきっかけは完全に「母が嫌だから」で、相手のある話ではないので『自分で責任を取って行くしかないよな』と思い直すことはできるものの、納得が行かないということは何度も書いています。
母とは物理的に離れられたのだから結果オーライなんだとは思いますが、1人で暮らすことに関しては昔から憧れや理想があったので、もっと前向きな気持ちで始めたかったし
1人で暮らすこと以外でもそういう選択の仕方でしか生きられていない自分をとても好きになんてなれない訳です。
ここまではどちらかと言うと精神的な面で自分を好きになれるかどうか?ということなので今後の生き方次第では吉にも凶にも転ぶんだろうな、とも感じています。
一方、物理的な面で言うと、毒親育ちってある種どうしようもないんですよね。
やっぱり親ガチャが外れってハンデ大きすぎへん?って最近思うんです。
確かにうちは経済的にはそこそこ恵まれていましたが、育ちが良かったか?と考えると胸を張って、はいとは言えません。
父は複雑な家で育ったようでしたが、育ちは悪くありませんでした。
母はお世辞にも育ちが良いとは言えない家でした。
おそらくそれが自分を好きになれない原因のひとつなのかな?と最近思います。
本当に育ちの良い人を見ていると言葉の端々に思いやりの言葉が溢れています。
へりくだりとか謙遜ではなく純粋な「思いやり」が感じられるし『ああ、この人は育ちが良いのだろうな』と、何となくわかるものです。
親からも優しい、穏やかな言葉を掛けられて育ったのかなと思うと、羨ましいわ、自分の幼い頃が惨めに感じるわ…
私も優しい声掛けはできるし「穏やか」と言われる方ではありますが、結局あまり人から慕われないのは中身が伴っていないからだろうなと思うのです。
やっぱりたくさん周りに人が集まる友人なんかは、それだけ愛を分け与えられるくらい愛をもらって育てられて、人への対応の手持ちのカードが元々多いのだなと思わざるを得ません。
いくら「優しい」とか「穏やか」と言われても、私の場合言葉の中身が『相手に悪く思われたくない』とか『これを言ったらどう思われるかな』とかだからでしょうね。
ないカードをあれこれやり繰りしたって、どうしても限界がある気がするのです。
母みたいに何も考えずに言葉を発して無意識に人を傷つける人や、相手が嫌がるのをわかっててわざと酷い言葉を発する人(元親友Mみたいな人)と比べれば私はマシな部類に入るとは思うけれども…やっぱりふとした時に自分のことを『蛙の子は蛙』と思ってしまうんです。
多分それが自分を好きになれない一因な気もしています。
こればかりはあの母から生まれて来た時点でどうしようもないのです。
血を全て抜いて別人に生まれ変われる訳でもあるまいし(笑)
だからこそ、最初に書いたような精神的な面で自分を好きになれる方を伸ばして行くしかないんだろうなぁ。
気付いたはいいけど、またハードルが上がった感じ。
スター、コメントありがとうございます。