もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

「モノ」扱いされていたあの頃

モラ気味だった親友Mと関係がこじれた時、Mの口から咄嗟に出て関係を終わらせる決心をした言葉があります。

「(たりはあんなことをやって)私に捨てられると思わんかったん?」

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ずっと親友だと思っていたMに完全に見下げられているなと実感した瞬間でした。

 

毒母も「人を捨てる」という言葉を使います。

私も見捨てるとか切り捨てるとかは使いますけど、人をモノのように「捨てる」と表現はしません。

母もMも人との繋がりを上下でしか考えられず、自分が上でいる時は相手をその程度の「モノ」でしか考えていない証拠でしょう。

特に母は主従関係の入れ替わりで関係を保つしか知恵がないから「お母さんは70歳になれば(主従関係を逆転して)たりの仰せの通りに生きるつもりだった」とか馬鹿みたいなことを大真面目に言うんです。

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母の結婚は「新しい保護者が欲しかったから」で、健全とは思えないけど当時母もまだ20代前半で、親からは親らしいことをほぼされなかったみたいなのでわからんでもないです。

母もまた強烈なアダルトチルドレンだろうし。

家ではまさに父を保護者のように崇拝していた母でしたが、父が定年退職したあたりから偉そうになったと思います。

「私が一家の大黒柱や」「母さんがおらんと何もできんのや!」みたいなことを言い出し、より付き合いづらくなったのもこのあたりからです。

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仕事も辞めて老いていく父を見て母の潜在意識の中では主従関係が入れ替わっていたのでしょう。

その数年後、父が失踪した時に、しきりに母は「今こんなことが起きたら、私が捨てたと思われるやろ」と言っていました。

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それより『友達もいない、仕事もしていない父が失踪した時点でそれほど家が嫌なんやろうなって思われるやろうし、そっちのが問題では』と私は思っていましたが。

父は本気で母のいる家に帰りたくなかったんだろうし、気持ちもわかります。

父を看取って「最期までお父さんを捨てなかった!」と母は誇らしげでした。

きっと精神的に先に見捨てられたのは母の方だと思うけど。

 

Mは境界性パーソナリティ障害の傾向があると思っているので、人を捨てる・捨てられるという表現の裏にはM自身の見捨てられ不安が見え隠れしてるのだろうなと思います。

その不安を昔は色んな人に分散していたけど、ライフスタイルが変わり付き合う人の頭数が減ると一気に私にその負担がきたのだなと思っています。

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母は自己愛性パーソナリティ障害だと思っていますが、このあたりは本当に二人ともよく似ています。

Mは母と違って頭の良い女性だったので、やり方が更に巧妙でした。

私が何をしてもケチをつけ、嫌だと言うことをわざとやったり、何を話しても必ず最後に嫌な一言を添え、不機嫌を撒き散らし、少し意見すると私を信頼してないのかみたいな類のことをよくMは言っていました。

そんなMの精神状態が心配になり、旦那さんにもそんな態度なの?と思いながらお家にお邪魔すると、旦那さんには別人のようにニコニコデレデレ。

その時に私はMのストレス発散のための道具やったんやなと気が付けばよかったです。いや、薄々気付いてはいたけど認めたくなかったが正しいかな。

Mは一方的に私のことを捨てたと思っているかも知れませんが、私は捨てたとも捨てられたとも思っていません。

ここからは想像の話、Mは今度は自分を被害者に仕立て上げて「捨てられた」と吹聴しているのではないか?という思いが拭えません。

最後の話し合いをした時にもMは大して仲良くもない(と言うかむしろいつも悪口を言っていた)職場の人ですら味方につけ「職場の○○さんも、たりが悪いって言ってたよ」と主張していました。

20年以上付き合ってきた友を貶めるためには、普段悪口を言いまくっていた相手すら都合よく味方につけるのです。

自分が上であり続けるためには手段を選ばないのも、モラハラあるあるでしょうか。

 

コメント、スターありがとうございます。