この間、仕事中にあるお店にイベント案内のチラシを持って行った時のこと(副業のほうは色んなお店とのやり取りがあります)
夏休みの子ども向けイベントなので当然ながら「うちは子どもなんて来ません(要らない)」というお店もあって、食いつきがよければこちらも詳しく説明しますが、乗り気でなさそうなら説明もそこそこにしていました。
あるお店の女性オーナーも反応がうすかったので『よかったらご参加お願いします』と言って出て行こうとすると、それはそうと…と別件を話し始めました。
店の補修について○○さんに聞いてたんだけど…とのことでしたが、○○さんはお休みだったので『○○本日不在ですので伝えておきます』と言うと、○○さんはこのこときちんと把握されてるの?とちょっとイラっとしているように見えました。
その時咄嗟に『うわぁ…「こんなイベントのチラシよりもっと大事なことあるやろ」って思われてそう~…』と思ったのですが『いやいや、そんなこと一言も言ってないからw』と自分で自分に突っ込みました。
相手の顔色をうかがって生きてきた人のあるあるかなと思いますが、すぐにこういう「相手はこう思ってそう」なセリフを勝手に考えてしまいます。
これもまた最近気が付いた私の癖です。
仕事を教える時、私の独断でやっていること(ということは大したルールもなくやりやすいようにやれば良い程度のこと)も『もし上の人に何か言われたら、たりさんがそうしろって言ってたって言ってくれればいいから』とわざわざ言っていたことも前に書きました。
仕事を教えた相手が何か言われたらかわいそうだから…と思ってのことでしたが、誰かに何か言われてから考えれば良いこと。
そこまで先回りしている自分が滑稽に思えました。
頼まれた仕事を終え、相手も「ありがとう」と言うのでそれで終わればいいものを『何か間違ってたりしたら言ってください』も無意識で言っていました。
その業務に関してはそもそも最後までうまく処理ができていたら間違えているはずがないので、後になって考えると大げさ過ぎて逆に嫌味のような気も。
一見相手を気遣っているように見えますが、これは何かあった時のために予防線を張っているだけです。
その「何か」は相手に怒られるかどうか。
職場の人や友達にそこまで気構えしないといけない程、実際怒られたことあるか?と考えたら…無駄なことだとわかるんですが
小さい頃から家で色んなパターンを用意しておかないと怒られる!とずっと考えて生きて来た後遺症だと思っています。
何をやっても結果は「悪い」か「良くない」だろう、どうせ私のやることだから…
そう思う癖がそういうセリフを言ったり、相手はきっとこう思っているだろうと深読みしてしまう原因だと思っています。
母は言うことに一貫性がないので前は笑って聞いていたのに今日はブチ切れられたなんてことは数えきれない程あります。
母の筋の通ったポリシーなんて数えるほどで、大体はその時の機嫌の良し悪しで言うことがコロコロ変わります。
『前は良いって言ったやん』『母さんだってやってるやん』
そう思うことなんてごまんとありましたが、そんなこと言おうものなら「口ごたえすんな!」「親の言うこと黙って聞け!」ですからね。話になりません。
他にも『こう言われたらこう返す』と先々のやり取りを延々考える癖や
怒られた時の心の準備をしている、と前に書いたのも似たようなことなのかも。
前に「いらなかったら捨てて」とか、こちらの気持ちを汲む声掛けが尋常じゃないレベルの人がいて『この人もしかして毒親育ちかな』とシンパシーを感じた人がいました。
後で打ち解けた時、無礼を承知で聞いたところ「何で私が毒親育ちってわかったんですか」と驚かれたけど、シンプルに私の周りで姉以外にそんなに相手の気持ちに先回りして話している人なんていないんでね…。
うちでは当たり前だったことが、いかに世間一般では普通のことではなかったか…
母に対しては、何が正解で何が間違いかなんてわからないから攻略法すらないんです。
だから張れるだけの予防線を張っておく、みたいな感じだったのでしょう。
実際聞こえた言葉だけに対応する。
それだけでも世間では怒って来る人なんていないことを肌で感じて学習しているところです。
コメント、スターありがとうございます。