もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

母を見ているようでぞっとした

最近姉と昔のトレンディドラマの話になり「卒業」というドラマを思い出しました。

よく姉と一緒にテレビを見ていたので90年代のトレンディドラマのタイトルも一通り知っているけど、如何せん小学校低学年くらいだったのでよくわからずに見ていました。

それで「卒業」の動画を見てみたんです。

放送は1990年、舞台は1989年の東京。

東京の女子大生「かおり」は、なかなか就職が決まらず長野の両親には早く帰って来いと言われているけど、東京で暮らし続けたいと悩んでいます。

ある日かおりの父が地元の銀行にコネ入社できるという話を強引に進め、かおりは気乗りしないまま実家に帰って嫌々面接を受けることに。

 

短大に行かせる為に上京を許すなんてことはうちではありえませんが

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東京で1人暮らしをしても「女の子だから」とバイトも必要ないくらいの額を仕送りしてもらっていたかおり。

そして父は地元の銀行に通うための車まで相談もなしに買ってきます。

 

親に申し訳ない気持ちを抱きつつも東京に残る夢を捨てきれない葛藤や、両親に地元で働くつもりはないと断ろうとしているかおりが実家の階段を行ったり来たり、タイミングを見計らって勇気が出ないところはかつての自分を見ているようで、ある意味ぞっとしました。

うちの母って、この両親がやることをそっくりそのままやってたんやな、と。

 

コネ入社に異様に拘っていた母が特別変だった訳ではないこともわかっています。

むしろ劇中ではかおりの心のセリフで「コネさえあれば」というのもあって(もちろん東京で、ですが)この時代は「コネ」にものすごい重みがあったのかな。

そういうことをしてあげることが良い親の象徴だったのかもしれないし、現代でもそれで助かっている人もいると思うので否定はしません。

ただ、私には合わなかったということ。

 

かおりは東京生まれ東京育ちの友人の友子を羨ましいと言いますが、友子は生活には余裕がなくバイトバイトの日々。

友子はもしかすると、かおりの両親からの手厚い支援を羨ましく思ったかもしれません。

結果、どちらが正解でも間違いでもないんです。

かおりの親を否定する気もないです。

ただ、子どもが本当にそれを望んでいるか?

実際に何かをしてあげることより、子どもの考えを理解しようとする姿勢の方が重要ということです。

そして子どもが素直に嫌と言えたり、断ることができる環境を作ることも親の責任です。

これは友達でも恋人でも同じ。「親として」以前に「人として」ですね。

相手の思いを言わせない空気を作り、暗に支配するのはたとえ普段どんなに善い行いをしても台無しなんです。

 

多分大半の人はあのシーンを見ても何とも思わないでしょうし、かおりのことを単なる「ワガママ娘」と思うかも知れません。

 

確かに母の会社で働くことを嫌なのに断らなかったのは私の責任です。

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けれど、毒家庭には何においてもきっぱりと断ったり意見を言う事が許されない環境が幼少期からずっとあって、本音を言えなかったりもっと酷くなると自分の本音すらもわからなくなるのです。

そういった他人の家庭環境による苦しみを、嫌なら断ればいいだけの話!とか「努力次第で何とかなる」みたいには、口が裂けても外野が言うもんじゃないことを私は痛いほどわかっているから、このブログでしつこく書いています。

ピンとこない人は象の鎖のお話と同じ原理と言えばわかるかもしれないです(ピンとこない人はそもそもこのブログを読むことをオススメしないですけど)

 

私は高橋リエさんのメルマガを読み、戦後のトラウマでああなった毒親も多いというので母の不可解な言動が腑に落ちた部分がいくつかあったんです。

今回、このドラマを見て同じような感覚でした。

再三言いますが、知ったところでけして毒母を許す訳ではないです。

 

ちなみに卒業を見ていると今ならセクハラ・女性蔑視と騒がれるであろう表現のオンパレードで驚きます。

たった20~30年くらいでここまで時代が変わったことにも驚きですが、そのアップデートをさぼった人が老害への1歩を踏み出すのかなということは前にも書きました。

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平成初期の時代から20年以上経ってもなお、このドラマの時代感覚のまま過ごして娘に押し付けていた母もアップデートのできなかったうちの1人でしょうね。

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