母の子育てに愛を感じられないのは母自身が育って来た環境の中で「されて嬉しかったこと」がなさすぎるから、娘たちにも分け与えることができなかったのだろうなというのは最近何となく分かってきました。
母は自分がされたら嫌なことは子どもにはしないと心に誓ったそうですが、多分それだけでは子育ては難しいと思うんです。
確かにされて嫌だったからと、同じことを相手にもしないのはすごく大事なことです。
母は貧しくいつもおかずが質素だったこと、薪で沸かすお風呂に夜に入ると水も少なく寒かったこと、学校用品もろくに準備してもらえなかったこと、きょうだい格差をつけられたことがかなりのトラウマになっているから、娘には絶対にそんな思いはさせまいと誓ったそうです。
確かに実際そんな思いをしたことは私はありません。
ただ、母の場合それらは純粋にしてあげたいからするではなく、自分はしてもらえなかったの裏返しなんですよね。
娘に何かをしてあげたことのほぼ全てのスタートがこういう、負の感情なんだと思うんです。
愛情をかけて貰えずに育った人の子育てを否定する訳ではないけど、やっぱり多少のハンデはあるでしょう。
それがダメという訳ではなく、気付きがあってこうして行こうと考えられたらそれでいいと思います。
母があの家でされて嬉しかったこと…多分ほとんど無いか、あっても物質的な貧しさで霞んでしまったのでしょう。
だから娘への還元方法もわからなかったんだと思います。
与えられたカードが元々ほぼないに等しいのですから親になるにあたってやったことのほとんどが「あれも嫌だった」「これも嫌だった」からひねり出したものだったのでしょう。
それでも同じように恵まれない家庭に育った人でも、毒親と言われない人もたくさんいます。
何が違うのか?と考えると、母の場合自分でしっかり物事を考えたり、親きょうだい以外からでも少しの優しさや思いやりに気付いてありがたく感じ取ることができたり…そういう感情面が欠落していたんでしょうね。
助言されても聞く耳も持たず、学ぶ姿勢や謙虚さもゼロ。
親以前に、人として「毒」なんだと思います。
母はあんな家でも親を恨んでない!といつも豪語しますが「あんな家」と言ってる時点で恨んでない?と不思議なんです。
多分あの家で育ってきて嫌だったことを認めると救いがないからでしょうね。
まぁないですよ、救いなんて。それは私もよくわかっています。
母を毒親だったんだろうなと認めてからはたいがいブログでもボロクソに言っているけど、そうなるまでには相当辛かったし、何も知らない人が読めば未だに反抗期をこじらせてるイタいおばさんにしか見えないでしょうね。
私だって親を好きでいたかったし、最高の家庭だと思ったまま生きたかったです。
毒親だったことや機能不全家族だったことを認めることは自分の身体の一部をえぐられるような、そんな感覚。
だからこそ、とても勇気ある行動だと思うのです。
要は、母にはその勇気がなかったのです。
どう見たって救いはないけど、自分を正当化したい気持ちが捨てられないから未だにああいう、とんちんかんな事しか言えないんだと思います。
多分自分の本当の気持ちを認めると母の大嫌いな「負け」になるんでしょうね。
母の「何かをしてあげる」は物理的なことしかないし、そのスタートが「娘たちが喜ぶから」じゃなくて「自分がされて嫌だったから、その反対のことをやる」しかないんです。
色々やってくれてはいたものの、愛がないと感じる所以はこのあたりにあると思っています。
母の家は農家だったので、ご飯だけは朝も晩も釜で炊きたてのあつあつのものが準備されていたそうです。
なので、炊きたてのご飯には母は異様に拘っていました。
数少ない「されて嬉しかったこと」なんでしょうね。
ただね…あそこまで血眼で炊きたてご飯に拘るならその拘りをもう少し子どもに対する共感とか優しさに換えて与えて欲しかったです。
毎食冷やご飯でもいいってことではないですよ。
何事も過ぎたるは猶及ばざるが如しということです。
父や姉にされて嬉しかったことはたくさんあるので、それが唯一の救いです。