母がそもそも娘の思いを理解できる人間ではなかったということもわかったし、理解してほしいという気ももうありません。
ただ、理解できる人間ではなかったことをもっと早く知りたかったなとは最近思います。
母が幼い頃に辛い思いをたくさんしたこと、貧しくて悔しかったことは確かに気の毒だと思います。
だからこそ、それを反面教師にして娘たちを母なりに真面目に育てたこともわかります。
けれど、母のやり方では娘にとってはプラスに働かなかったこと、むしろトラウマになってしまったことがたくさんあることも事実です。
昔は『話せばわかる』と思っていたので、根気よく色んな方法で私の思いを伝えようともしました。
例え話にして、最近の母の言動を注意したこともあります。
前にも書きましたが
母はいつも昔の話をしても「今はもうしてないやん」の一点張りで、今がどうとかじゃなくやってしまったことが問題やねんと言うと今度は「私、そこまで酷いことしていないけどな?」いつもこれです。
あくまでも例え話ですが
大事な人を殺されて、その殺した相手が「今はもう殺してないやん」
大事な物を盗まれて、盗んだ相手が「今はもう盗んでないやん」
例えばこれを言われたらどんな気持ち?と聞けば、多くの人は「今がどう、ではなくやってしまったことを反省すべき」「そもそも、やった本人が言うべきことではない」と考えると思うんです。
実際に上に書いたようなことをしたか、していないかではなくて「人を傷つけた」という部分では同じでしょっていう例え話なんですが…
別のタイプの毒親の話をしたら「母さんは、そんなことはしていないから!(ドヤ)」みたいに言うのも同じですね。
直接的にそれをした(言った)かどうかではなくて、親の価値観の押しつけで娘の行動を制限する等の毒親特有の接し方をしたという根っこの部分では同類だよって話をしているのですが…
母の中では「自分はそこまでのことしてないわ~」だけが事実として存在していて、それ以外は考える回路すらないんです。
道がスパッとそこで切れている、そんな感じ。
こんな例え話をされるってことは、娘は死ぬほどの思いをしていたの…?とも、考えてもおかしくないと思いますが…(まあそれを考えることができれば毒親にはなっていないでしょうけど)
何でここまで言われても「もしかして…?」という考えが出ないのでしょうね。
だから毒親なんでしょうけど。
自分が受けてきた昔の辛いことは実際に自分の身に起きたことなので「事実」として捉えるのは当然です。
でも、娘が感じたり、訴えたいことが母の思うものと違うと、途端に母にとっては事実として捉えられなくなるのです。
本当にここの回路がどうなっているのか知りたい。
いつも母がすぐ「あんた達は誤解している」と言うのもこれで合点がいきます。
いや、誤解も何もこれが娘の本音・本心なんですけど…母にとっては事実として捉えられない=誤解されているになるのです。
娘が誤って解釈していると捉える時点で「自分は間違えていない」という確固たる自信があるんでしょう。
多くの毒親とまともに会話ができない理由の一因はこれでしょうね。
母はよく偉っそうに「物事を色んな方向から考えなあかんで!!」と言っていたけど、いやまたそれブーメランな!と思います。
私たちが母の機嫌を損ねないよう、しんどくても気が乗らなくても母をヨイショして無理に笑って暮らしていたのも、何度も『母さんが機嫌悪くしたらめんどくさいから、演技してただけやで』とも言いましたけど「ニコニコ楽しそうに暮らしてたやんか!」と言って聞きません。
「娘たちは楽しそうに過ごしていた」という目に見える部分だけが事実で、その裏では色々我慢をしてたのかも…とか辛かったのかも…は母にとっては絶対に「事実」にはなり得ないんです。実際に娘が何回も訴えても、です。
「そうか、そんなこと考えてたんか」とは一切思わない…思える回路がないんです。
こういうことを何年もかけてやっとわかったはいいけど、できることならこれを『話せばわかり合える』と信じていた頃の自分に教えてあげたいです。
こんなこと言ってはいけないのかも知れないけど、いっそのこと「お母さんは身体のこの部分にこういう欠陥があるから人の気持ちがわからないのです」とか、医学的に言ってもらった方がよかったな…とも思います。
何で私が辛い思いをしてまで、こんな分析を何年もかけてしないといけないのか。
本当にあほらしいし、我が親ながら情けないです。
スターありがとうございます。