もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

「変わる」ということ

何度かブログに登場したコウさん。不動産会社に勤めていた時の同僚で、ちょうど干支が私の1周上です。

昔の話を聞くとなかなか破天荒で楽しく、コウさんとの話は色々と心に残っています。

 

『一人暮らしお試し期間』と謳ってアパートを契約し、その数か月後に家を出られたのもコウさんのおかげ。

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もちろん不動産関係の物理的な面でもお世話になったけど、コウさんには精神的に助けられたことがたくさんあります。

あるコウさんの一言がきっかけで家を出る決意をしたことも前に書きました。

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コウさんは若い頃、馬が好きだから競馬場のそばで暮らしたことがあったと当時語っていて、馬好きの友人たちには近所で羨ましいとよく言われ、それだけで毎日楽しく過ごせたそうです。

聞く人が聞けばバカにするかも知れないけど、生きて行く上でそういうことって大切なんだなぁ…と思っていました。

結局、私がそういうことに気がついて実践できるようになったのはつい最近のことですが。

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そんなコウさんに私は当時横浜のとある街に住みたいとずっと話していました。

そこは好きな芸能人の実家のある場所で、別に遭遇を狙ったりもする気もなく、とにかく好きな人がどんなとこで育ったのか?を肌で感じたかったんです。

まあでも遠すぎて現実味がないし、第一仕事や結婚など母が納得するような理由がないのに家を出られるはずがなく、毎日悶々と暮らしていました(まあ、実際仕事や結婚でも自分のそばから離れることは母は許さなかったと思いますが)

私はその悶々とした気持ちを『横浜に住めないからだ』と思っていましたが、今思えば母と暮らしていることが一番の原因だったんですよね。

当時はそれをわかっていなかったのか、わかっているけど認めたくなかったのか。

今の生活を変えたいと思う反面、変わることを拒んでいるのもまた、自分自身でした。

あの家で暮らすにあたり変わるということは母から攻撃されることに等しいからです。

 

考えてみると、その頃の私は根本的に何とかすべきこと(毒母ととりあえず距離を置くこと)と、夢や理想という『こうなったらいいな』というプラスαの部分(好きな場所に住むこと)がごちゃごちゃになっていたな、と思います。

 

当時、横浜に住みたいということをコウさんにうだうだ話していると「たりがどこに住んでも同じやと思うけどなあ…」と言われたことがあります。

 

家を出る選択がなかなかできない私を責める人や「嫌なら出たらええやん」と吐き捨てる人もいる中

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コウさんはその一言だけをぼそっと言ったきりでしたが、私はそれがずっと記憶に残っていました。

 

多分「たり自身が変わる気がないとどこに住もうがあんまり大差ないよ」ということを言いたかったのだと思います。

確かに物理的距離を取ることは毒親問題においては有効です。

ただ、精神的な支配からは物理的距離をとってもなかなか抜けることができないのは私もたくさん失敗をしないとわかりませんでした。

『住んでる場所さえ変えれば、今の自分を変えられる』私はそう思っていたけど、あの一言は「現状の不満から抜け出すにはまず何をすればいいと思う?」という、コウさんなりの問いかけだったのかもしれません。

 

あなたの夢は?ともし聞かれたとしたら当時の私は『母と離れること』でした。

でもそんなことを夢だとか理想と考えてることが虚しすぎるから表向きを『横浜に住むこと』でごまかしていた、そんな気がします。

誰だって親と離れることが夢です!なんて言いたくないですから。

でも、私にとって母と離れることは夢とか理想以前に必須項目だったんだと思います。

 

毒親のもと生まれたら「変わる」ということは親への反発に等しく、平和に暮らすためにそれを選択するのが賢明だったか?と問われれば疑問が残るので、ある程度は諦めをつけて行くしか仕方ありません。

実際に離れる・離れないよりも、潜在意識の中で決めつけていることや勘違いしていることが正常な親に育てられた人より格段に多いので、それに気付くことができるか?が鍵だと思います。

私は形から入るタイプなので、まず視界から母の存在を消さないとそれができなかったということです。

 

いろんな思いや考えがこんがらがっている私を、コウさんは見抜いていたのかも知れません。