今は施設に入ったT子(母の実姉)を引き取り面倒をみることになった顛末は書いてきました。
母とT子は歳が離れているので、母は「お姉ちゃんばかり家事や私の世話をやらされて嫌だったよね」T子は「あんな家に妹を残して自分だけ嫁いで出て行ってごめんね」という負い目があるらしく、2人がそう言い合い泣いているところも見たことがあります。
その時は姉妹愛に感動したものですが、結局母は「どちらが偉いか」という上下関係がないと人との関係を保てないし、元々面倒を見るとか世話をするという能力がほぼ備わってないのでT子に偉そうな態度を取るのにもそう時間はかかりませんでした。
「私が面倒みてやってるんだ(自分の方が上)」というおごりがあるのです。
T子もお金への執着が異常な分、自分が困らない程度の蓄えはあり、施設暮らしの今も母の財産を食いつぶすようなことはしていません。
それだけでも立派だと思うけれど、T子は1度鬱を患っているので根性論大好きの母はそれだけで余計にT子を見下している節があります。
娘を急に亡くし生活もがらっと変わって、T子の心労は相当だったと思います。
少しでも気が晴れるようにと食事や旅行に誘ったりもしていましたが、T子には逆に重荷になっていたのかもしれません。
T子が鬱と診断されてからも、母だけはいつまでもT子を追い詰めるような言動をやめませんでした。
鬱と診断される前、母のすすめで短時間のパートもやったりしたけど長くは続かず、今思えばその辺りからT子の言動がおかしくなっていました。
確かにT子も「嫌」「行きたくない」という意思表示をしませんでしたがあの母のことです。「嫌と言わせない圧力をかけて」「半ば無理やり働きに行かせた」ようなものだと思います。
母自身は追い詰めてる気はなく、むしろ「T子のためを思ってやってあげてる」だったのでしょう。
その「良かれと思って」の押し付けほど迷惑なものはありません。それは私が一番よく知っています。
母が実兄のDにT子が鬱になったことを話した時「T子がそうなったんはお前のせいじゃ!」と暴言を吐かれたそうです。
Dは昔から母を小馬鹿にして下に見ているのでいつもと同じく「ほれみろ!お前が何かやったらロクな事にならん!」というニュアンスでした。
母は多分「よくやってくれたな、ありがとう」という言葉を期待していたのでしょう。
確かにT子が鬱になったのは母のせいでもあるだろうな、とも思います。
でも私も姉もそんなこと一度も言わなかったし、第一言っても仕方ない。これに尽きます。なってしまったもの仕方ないし「誰のせい」を明らかにしたところで何の解決にもなりませんから。
さすがにDのその暴言で母はDとは縁を切りました。
Dからも何も言ってこないあたり、T子もお荷物的存在だったのでしょう。じゃあわざわざ「お前のせいじゃ」とか言わず適当に「ありがとう、あとはよろしく」とか言っとけば済む話ですけど。
Dに暴言を吐かれた後、ショックで立ち直れない母は夕飯も食べずに真っ暗な部屋で何時間も座椅子に座り一点を見つめていました。
けれど、そんな母だってサヨ(T子の一人娘)が亡くなった時Dに負けないくらい酷い言葉をT子に浴びせていたのも、私はしっかり覚えています。
「ハッキリ言うけどな!サヨちゃんが死んだの、姉ちゃんのせいやで!」
確かにサヨは最後に気を失う数日前から前兆があったらしく『何でそれで脳外科行かなかったん?』と思うような内容でした。
無理にでも病院に連れて行こうとしなかったT子もT子ですが、サヨも大人なんだし分かりやすい前兆を放置したのは大人として、また小さな子どもを育てている身として、判断が甘かったのでは?とも思います。
けれど、子どもが小さいのでそう簡単に病院に行けなかったのもわかります。
結果「誰のせい」でもないし、そんなこと一番言ってみても仕方ないのです。
まさにあの兄(D)にしてこの妹(母)ありです。
母の家では常に何かが起きても「大丈夫?」ではなく「お前が悪いんじゃ」とか「お前のせいじゃ」とか、そういった言葉で攻撃し合って生きてきたのだろうなと思います。
支え合うとか励まし合うとか、そういうことが欠落した家庭だったのでしょうね。
「大丈夫?」なんて言葉、母からかけられた記憶がほぼないのも合点がいきます。
母の家族や育ちを分析したら母がそういう人間になった理由もわかったので、そういう面でもこのブログは無意味ではなかったかな…そう思いたいです。
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