もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

空っぽの感想文

毒母のもとでは素直に感情をさらけ出すなどご法度だったので、そういう弊害は大体大人になってからのことが多いものだと思っていましたが

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最近ふとあれも自分を失っていた故の失敗だなということを思い出しました。

 

私は姉と5歳差で、もちろん同じ小中学校に通っていたので姉から先に学校のあるあるをよく聞いていました。

中学に入る時に予備知識として姉から「音楽のG先生は要注意」と散々聞かされて、入学すると結局音楽の受け持ちは3年間その先生でした。

G先生は、吹奏楽部の顧問でそれはもう音楽の授業中から吹奏楽部の身内ネタばかり話すわ、それで生徒が少しでもつまらなさそうな顔でもすると嫌味っぽく「○○君がつまらなさそうやから授業始めよか(笑)」とか言う、とにかく陰険な先生でした。

めっちゃ贔屓するから目をつけられたらめんどくさいよと姉からも聞いていたので、音楽の授業の時はいつもよりも『先生の話、すっごくたのしい!』みたいに目をキラキラさせて話を聞いているフリをしていました。

 

時々、音楽鑑賞の授業がありました。当時から文章を書くのは苦ではなかったし、鑑賞中は先生のお話たのしい!パフォーマンスもしなくて良いので気が楽でした。

鑑賞文にはG先生が3段階評価をつけて次の授業で返されます。A~Cの評価でその中でもより良いと「´(ダッシュ)」が付きます。

文章を書くのは得意だったので『AかA´かな』と思い自信満々で用紙を受け取ると、私の中では考えられない「B」が付いていました。そんなはずは…と思って、名前を見返したけど他人の用紙を間違えて受け取った訳でもなく、平静を装っていたけど数秒パニックになりました。そして、一番下の先生のコメントを見ると

 

 " これはほとんどあらすじです "

 

鑑賞した曲は確かシューベルトの魔王でした。いきなり鑑賞ではなく、これがどういう曲なのか、大まかなストーリーを聞いてから鑑賞するので私はそれを参考に…先生の話、よく聞けているでしょ?とアピールしたつもりでした。

 

もうお気付きですね。

 

私の書いた文章には「自分がどう感じたか」なんて、1つも書かれていませんでした。私は姉から聞いた「G先生は要注意」ということに気を取られ過ぎて、先生の言ったこと(=あらすじ)の言い回しを変えた文章をせっせと書いていただけだったのです。

当時は『先生が話していたことに共感したってことを伝えたつもりだったんですけど』と抗議しようかなと思ったし『大人の言う通りにしたのに、何があかんねん』とめっちゃ腹が立ちました。でも、先生はそういうことをこの授業でやりたかった訳ではないですよね。

 

それに、文章が得意と思っていたのは多分「文章を構成する」のが得意なだけで「自分の気持ちをありのままに表現する」のは苦手だったのだと思います。

そういえば、読書感想文も書いた後に姉に読んでもらった時「これはあらすじやで」と言われたことがあるようなないような…。

 

感想文とか作文とか、紙を配られると周りの子はいつも「またぁ~?」とかったるそうにしていたけど、私は何も苦ではありませんでした。誤字脱字や、助詞の使い方等の誤りもないし完璧!と思う割に、何かに選ばれたり先生から良い評価はあまり貰えず当時は何故かわかりませんでしたが、私の書く文章にはきっと「自分がなかった」のでしょう。評価されなかった理由が、今なら痛いほどわかります。

 

それらしい字面の並んだ私の文章の中身は、ほとんど空っぽだったのでしょうね。

私が母の前ではそう暮らしてきたように…。

 

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