家では母に理不尽に怒鳴られたり否定されてばかりだったので社会に出ると『周りの人ってこんなに優しいのか』と驚いたものです。
改めて『うちって何て殺伐とした家だったのだろう』と悲しくなりました。
私は短大を卒業してすぐ、1年ほど無職の時がありました。
卒業と同時に「学生」という肩書きが外れたら自分には何も残ってないような気分になり、広い草原に裸で放り出されたようなそんな感覚でした。
当時の不安感の正体が「恐怖」だったのだと気が付いたのはほんの数年前の話。
何に対する「恐怖」か?
少しの失敗でも死ぬほどのこととして母に育てられた私は働くことにおいての、失敗をした時の怖さの壁を越えられなかったんです。
働くことへのハードルの高さやお金に対する恐怖心に気が付いたのも最近のことですが、人並みとは行かなくてもまぁ何とか働けているのは何故かな?と考えていました。
約1年の無職期間の後、携帯ショップでバイトを始めて、そこで1度大きなミスをしたことがあります。
入って3か月くらいのある日、クレカ決済の会計をしました。
レジ業務から逃げに逃げたことや、お金のことで仕事中にパニックになった記事は前に書きましたが
その頃も同じく金銭の授受が怖く、会計時はいつも緊張していました。
そんな時にお客に「リボ払いになってるよね」と尋ねられました。
当時まだ自分のクレカも持っておらず、いまいちカードの仕組みも理解できていなくて「リボ払い」を単なるカード払いのことだと思ったんです。
なので『はい』と答えてしまい、後日クレームになったのでした。
いつものごとく怒られるのが怖くて、私はしどろもどろになりながら必死で言い訳を考えていました。
多分、笑ってごまかしながら『どうだったかな…』ととぼけて、母に怒られる前と同じような対応をしていたと思います。
母に怒られない為なら必死にごまかして嘘をついて、どんな手を使ってでもその場をしのげるか?だけで生きていたのでそれが当たり前だったのです。
みっともないなんて考えたこともありませんでした。理不尽に怒鳴られるくらいなら、みっともない方が幾分かマシですしね。
上司には「怒っているんじゃなく、事実確認をしているだけやからな」と言われ、その時やっと『みっともないことしてる』とハッとして正直に事の顛末を認めました。
相手が母なら絶対に「間違えたお前が悪い」と、汚い言葉の限りを尽くして私を罵倒していたでしょう。
事実確認とともに、カード払いは一括のみと伝えること、わからなければ上司に確認することを指導され、上司は理不尽に怒ったり責めたりすることはありませんでした。
その対応は上司として、会社として当然のことですが、失敗に対する母の容赦ない罵倒に比べたら『この程度で済むのか』と拍子抜けすると同時に、外の世界は何て温かいのだろうと驚きました。
もちろんパワハラを受けた経験もあるし酷い職場もありましたが、大半は『この程度で済むのか』の驚きがあって、それが知らず知らずのうちに成功体験となって何とかかんとか働けるようになったのかなと思います。
私の父は母と違い「何とかなるわ」というタイプでしたが、少しの失敗でも母がブチ切れて全然何とかならなかったので、仕事も『失敗したら死ぬ!』とずっと思っていました。
母のそういった異常なほど失敗を責め立てる性質については、姉曰く母も「失敗したら死ぬ」というような環境で育てられてきたから、娘たちにもそういう接し方をしたと吐露していたそう(私は前々からわかっていて記事にもしたけど)
(もちろんここでの「死ぬ」は物理的なことではなく「社会的に終わる」という意味です)
こんな教えに何年も翻弄されていたのかと思うと、本当に腹が立ちます。
つい先日も、世の中って優しいなと感じたことがあったのでまた書きます。
コメントやスターありがとうございます。