もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

毒親育ちの永遠のテーマ

母の子育ては傲慢で押し付けがましく、相手の立場に全く立てなかったことが子どもに嫌われる所以だったことはわかっています。

そんな母の子育てはいわゆる「自分軸」だったのか?と考えていました。

 

最近見るようになったある動画系アカウントで、お母さん(50代)とその息子さん(20代)が雑談する様子を発信しているのがあって、ある時からお母さんの言葉とか態度の端々にピンと来るものがありました。

そのお母さん、自分のやりたくないことはやらない!とか、一見「いい加減でワガママなオカン」みたいに感じるのですが、そうやって自分の限界を知り、自分の機嫌を自分で取って笑顔を絶やさないことで、子どもが大人になってもこうやって何かを一緒にやろうと言われるくらい好かれる結果になったんじゃないかなと感じたんです。

 

母の子育てはほとんどが周りからどう見えるか、誰かに何かを言われはしないかだけでやっていました。本当はやりたくない(やらなくても特に問題はない)ことも「自分はどうしたいか」を全く考えずに「周りにこう思われるのは嫌だ」「周りに認めてもらうにはこれくらいしなきゃ」だけでやっていたと感じます。

母は自分の育ちの悪さを自覚していたので、少しでも道を踏み外せば「ほれ見ろ。やっぱりあの家の子やな」と笑われる恐怖があったようです(これは時々口にしていました)とは言え、自分の人生の体裁のために娘を威圧して思い通りに動かすことが許されるとは思いません

母は昔から「確固たる信念を持って生きてる!」みたいなことを豪語していたけど、その信念は親きょうだいに言われた正解を鵜呑みにしてきただけ。

ゲームのような子育てと前に書きましたが

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「娘のために!」とやることも、そこに純粋な娘を想う気持ちはほとんどなく、子育てゲームのミッションを遂行していただけだと感じます。

 

もちろん、ミッションをクリアすることは悪いこととは言いません。

しかし、母は外部から刷り込まれた正解のゴールに向かうための方向しか見ていませんでした。だからちょっとした娘の言葉にも耳を傾けることすらできず、全てが正解か不正解か・善人か悪者かになり、弱者である子どもはいつも不正解で悪者にされます。母を傲慢で押し付けがましく感じる理由もここにあるのでしょう。

 

母自身も見えない何者かにやらされてるみたいな気になり、定期的に食卓で喚いて家族に八つ当たりしないと正気を保てなかったのだと思います。

母独自の訳わからん競争に参加させられているような感覚とも前に書きました。

tari97.hatenablog.com

 

極端な例えですが、少々だめな親でも笑っていてくれてた方が案外子どもとの関係ってうまく行くのだと思います。

子育てしてない人が何を偉そうに…と思われるかも知れないけど、未だに娘の視点でしか物事を考えられない大人の言うことなので、ある種正確だとも思っています。

親としての自身の失敗や不出来を省みる必要がそもそも私にはありませんから。

 

自分軸で生きるということは、他人に気遣いせず傍若無人にワガママにふるまうことではありません。そう勘違いをして過ごした時期もありましたが。

tari97.hatenablog.com

ただただシンプルに「自分がこうしたいからする」ことであり、自分勝手にふるまうのではなく主体性をもって行動するということ。

tari97.hatenablog.com

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母はまさに、自分勝手ではありましたが主体性は皆無でした。おまけにあの高圧的な態度。まだ、母の言動からもう少し筋の通った信念でも感じられればね…

誰にでも失敗はあると思いますが、言動が高圧的すぎることが致命的でした。

 

母の母親もまた、毒親だったと思います。母も「自分がこうしたいからこうする」そんな素直な感情が許される家ではなかったのでしょう。

自分軸とは主体性をもって行動し自分の機嫌は自分で取るということだと思っています。

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母ができないことを、私も姉も教われるはずがありません。

これからも試行錯誤して自身で培うしかないけど、問答無用で否定されたり貶されたりしてきた私にはこれはとてもハードルの高いことです。

 

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