もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

自分を守ることをサボらない

今、私はとにかく自分の素直な気持ちに蓋をしない、無視をしない。を心掛けて日々暮らしています。

そういう事を考えていてまた思い出したことがあります。

 

高3の時の話。

高3のクラス替えで本当に全くと言っていいほど知った子がおらず、クラス替えの瞬間「終わったな」と思いましたが、元々女子の集まりが好きではなかったし、もうあと1年ならどうでもいいやと思って適当に過ごしていました。

たまたま、2年の頃少し仲の良かった子も同じクラスに全く友達がおらん、どうしよと嘆いていたので『じゃあお昼一緒に食べへん?』と誘って、1人ランチは回避できましたが、クラスが違うのでクラスごとの何かになると普通にぼっちでした。

 

遠足でとある観光地に行くことになり、クラス内で班を作ることになりました。

クラス内のどこかの班には入らないといけないのと、確か1グループ4人以上になるようにと言われ3人で固まってる女子グループに入れてもらった記憶があります。

あとのメンバーの1人は普通の子だったけど、リーダー格のAと気は強いが根は悪い子ではないBが仕切っていました。

一応入らせてもらったけど、当日はお昼一緒の友達と回るつもりだったから、その班で行動する気はないとも正直に言ったんです。他にも別クラスの友達と回る子はいっぱいいたと思うのですが(別にそれが禁止事項でもなかった)やたらとAがつっかかってくるんです。

うっとうしいので『私他の子と回るから3人で好きなルート決めてな』と言って、話し合いにも参加しませんでした。

するとAが冗談と本気の境目みたいな絶妙な暴言を吐いて、私をイジるんです。私も軽くあしらい無表情を貫いていたけど、本当はめちゃくちゃ腹が立っていました。

そのうち、まともに話し合いに参加しないことに「やる気がない」「もっと協力しろ」みたいな注意が始まり「たりさん、謝って!ww」と。私がウザいなら構わなかったらいいのに…「早く!謝って!これは班長命令!」と、まあしつこい。

最終的に「土下座して!班長命令!そこで土下座!!」と言われ『まじでお前ええ加減にせえよ』と喉まで出かかりましたが、帰る時間になり結局それ以来Aとは話すこともありませんでした。

 

自分も相手ももう高校生。全く悪気なく言っているか、そうでないかの区別くらいはつきます。いや、ついてたはずなんです。今思うとあのしつこさと土下座というワードは明らかに人を小馬鹿にしすぎだし、私が怒ってもおかしくない場面でした(実際、最初は笑っていたBも最後は笑っていませんでした)

それでも私はのらりくらりと『はいはい』『もうええって』とかわすだけで、思えば昔はよくこういうことをしていました。

こうやって、理不尽なことにもとにかく相手をガキっぽいと見下し、自分をキレたり怒ったりしないオトナな人間なんですと思うことで平静を保っていたつもりでしたが、じゃあ単純に腹は立たなかったの?嫌じゃなかったの?と、当時の自分に今問うと、めちゃくちゃ腹が立ったし『何舐めとんねん』って思います。実際、その後何年もAの「土下座して!」の一言を思い出しては『ほんまあいつ何様やねん』と、腹が立っていました。

 

理不尽なことや納得行かないことにもわざわざ反論したり騒いだりするほどレベルの低い人間じゃないんですと自分に言い聞かせて、結局自分の気持ちを蔑ろにしていただけだなあと本当に思うんです。結局自分を守ることを真面目にやっていなかったのだな…と言うか、やれる環境で育って来なかったが正しいですが。

けして不真面目に生きてきた訳ではないけど、自分の気持ち(特に『嫌』とかネガティブな感情)に素直に正直になんて生きられなかったから『わざわざそんなこと、追求しなくたって立派に暮らせるんです』と、ごまかしていただけです。

 

昔から、よそと比べておかしかった母のことをネタにして笑いに変えなしゃーない!と半分やけくそに生きてきたことに似てます。

tari97.hatenablog.com

そもそも、自分の感情に蓋をして何ともないフリをすることをやっていたこと自体に気が付いていませんでした。

家では昔から息をするようにそうしてきたし『言わせときゃ、そのうち終わるやろ』とAに対して思った感情も、深夜まで母に怒鳴られて『まあもうすぐ(深夜)1時になるし…そろそろ終わるやろ…』と思っていた時とまったく一緒。

 

確かに何でもかんでも感情を露わにすることが正解ではないですが、自分の本心を押し殺して、その時は自分のことをオトナで崇高な自分!と思えたとしても、こういう生き方は後々確実に自分を苦しめます。

それを今、切に感じています。