前に毒母は娘を思う気持ちが不純という記事を書いたことがあります。
母の子育ては将来自分が子に頼るための投資だったと思っていて
子を想って…という言葉の真意はただ単に娘を思い通りに動かすことができる操り人形に育て上げるためで、親という権力と恐怖で支配し、そうかと思えば時には娘をアクセサリーのように自慢の材料にしようとしたり、とにかく自分勝手の一言に尽きるものでした。
特別裕福という訳ではないにせよ、お金や物に困ることはなく育てられましたが、それも含め母が面倒なことは娘に丸投げして依存し、ラクをするための投資だったということです。
これらは家を出て何年も母の言動を思い出したりリアルタイムで聞いてどんどん裏付けられたという感じ。
私が家を出た時も開口一番「裏切り者」と吐き「たりが家を出て行くならあの時リフォームなんてしなければよかった」とか、とにかく「こんなことになるならあんなことしなければよかった」といったことばかり言っていた母。
20歳頃の歯列矯正の打診についても「結婚するんやったら(うちでの結婚は母との同居も含む)」という条件付きであったことも今となっては納得で、そこに純粋に子を思う気持ちはなく子のためにやること全てに見返りを求めていたということが線で繋がってきました。
私は子を産んだことがないからわからないし、親も聖人ではないので一切見返りもなく子育てするなんてできないのかも知れませんが、子自身にそれを伝えるのはルール違反ではないかな。大前提として、子は親を選び自分の意志で産まれてきてはいません。親は自分の意志で産もうと決めたのだから、その産んだ相手に見返りを求めること自体お門違いだと思います。
母が日常的に私たちに言っていた「親に感謝しろ」もそうです。
まともに娘らに相手にされない老後を送ることになった母。
「あんなに家族のためにご飯を精力的に作ってきたことがバカみたい」と言います。初めは思い通りの未来にならなかったことに対し悔し紛れで言っているのかなと思っていました。ですがどうも母は本気で言っているようで、加えて「世のせっせと自炊してる奴みんなアホや」みたいに言います。
子が思い通りの道を歩まなかった時の言動には親の本性が出ると思っていて、ある意味毒親の本領発揮的なとこがありますね。
結局母は節約してご飯を作って…を自分軸でプライド持ってやっていなかった証拠ではないでしょうか。
誇りを持ってやっていたなら、自分の気持ちが子どもに伝わらなくて残念だけど、自分は自分のやれることはやった!で済むのではないですか。
純粋な気持ちで、信念をもってやっていたならそう簡単に自分のやってきたことをあそこまでこき下ろすなんて普通できないはずです。
うちの場合それが異様に「食」に偏っていて、戦々恐々としていたので今でも食に関するトラウマを私自身抱えています。
そもそも、もう少し手抜きでも良いと家族が言っても耳を貸さず、自分がキャパオーバーになれば「母さんは女中やない」と怒鳴り散らしていたのも、母が自主性・判断力や決断力の欠如を自覚せず同じ失敗をしては家族に当たっていただけです。
一時期婿を取って同居するんや!とも母に急き立てられていましたが
そもそも私が結婚願望もないし誰かと暮らすことも興味ないとはっきり意思表明すると今度は「嫁や婿と同居なんて、アホのやることや」みたいに言っています。
全く、毒母にはプライドってもんがないのか?と思います。
散々家族を付き合わせて、人の時間も奪って心も壊しておいて、自分の思い通りにならなかったら「(そんなことに躍起になった自分が)アホみたい」って…じゃあそれに付き合ってきたこっちはどうなるんですかね?アホみたいはこっちのセリフです。
こんなことを、散々巻き込んできた娘本人の前で平気で言うんですからね。デリカシーのかけらもないし、人としてやばいですよね。
種類は違えどこれって毒親家庭あるあるではないでしょうか?
1つ1つ紐解くと、自分はおかしくなかったよなとわかるし、それがある種心を救うことにもなるんですけど…同時に親のおかしさ、それに従わざるを得なかったこと、捧げた時間やすり減らした神経…全てが戻せない・返ってこないと考えるとはらわたが煮えくり返ります。