もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

違和感の正体

最近、2人の男の子を育ててきた友達と話す機会がありました。

友達は都会生まれで、結婚を機にとは言え何でまたこんな田舎の町へ?とたずねたことがあります。

 

この地を選んだのは、環境も悪くないし…というのはもちろん「ちゃんとした実家という場を残してあげたかった」と。

友達が昔住んでいた団地は既になくなり、両親もこちらに越してきたので例えば同窓会とかがあった時、その後に実家に泊まるとかができなくて、それが悲しいから子どもには早めに「実家」として残る所を準備してあげたい、と考えたそう。

確かに同予算で家を建てるとしたら、友達の住んでいた所だと車も置けて1台がやっとの狭小住宅、こちらならそこそこの広さの家と駐車スペース2台はデフォルトで叶うくらいの差があります。大きけりゃ良い訳でもないですが、長く安心して暮らせるよう…と子どもたちの未来も視野に入れここにしたんだな、大切に育ててきたんだなというのがすごく伝わりました。

 

それで最近、姉と一緒に母と会うことがあったので、実家の場所とか家のタイプ(建て売りで何軒かあった)何であそこに決めたん?と色々話を聞きました。

 

その話を聞いた後、ずっと違和感があったんです。そして冒頭に書いた、友達の子育てへの姿勢を思い出し、やっとその違和感の正体がわかってきました。

 

母に実家のこの造りは良かったよねと言っても「そうか?私あの間取り嫌やってん」とか、とにかく「母さんはあれが嫌やった」「あれは私が気に入っててん」…結構長い間聞いていたけど「家族も喜ぶと思って」とか「子どものために」みたいなニュアンスの言葉が1つも出なかったんです。

 

結局母の結婚生活って、父という後ろ盾を利用して自分の願いをどれだけ叶えられるか?しか頭になかったのだと思います。

たまたま不動産とか車とか目に見えるものだったから、自動的に子どもたちも恵まれてるねという構図にはなったけど後付けに過ぎず、母が貧乏暮らしでたまった鬱憤を消化させるための幼少期の辛い思いへのリベンジが主な目的だったような気がします。

母の子育てに、イマイチ愛が感じられないみたいな違和感の線が、また1つ繋がった気がしました。

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さて、久しぶりに入った実家ですが、物を溜め込む母のこと、さぞかし散らかっているだろうと予想はしていたけど想像以上でした。

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ちなみに既に私の物はほぼ残ってはいません。あと全て処分するとしても引っ越し用のダンボール大に入りきるほどの量。実家に溢れ返るのはあとは全部母の物。ぞっとしますね。

 

だらしない母はチラシやDMなんかもすぐ溜め込むので、数か月に1回、要・不要かを母に聞き、捨てる作業を私がやっていました。

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それをやる人がいなくなったので、数年分を全部溜め込んでいるという訳。昔はファイルボックスにおさまっていた書類もどんどんその隣に立て、倒れて棚から崩れ落ちる寸前。棚や引き出しにはぎちぎちに物を詰め込み、使用期限のとっくに切れた薬等も大量…(私が家出る前からあるよなっていうのも多々)

件のY(母の元同僚。「Y(全角)」検索で記事読めます)も未だに家によく居るようで、私物やUFOキャッチャーのぬいぐるみ…買ったり取ったりするのはいいけど自分のアパートが狭いからって他人の家を物置代わりにするなよ。Yもアラフォーにもなってみっともないし、よくこんなきったない家に来るよなと神経疑います。

 

結局、母の家づくり・家庭づくりって物理的に「モノをそれなりに揃える」だけが目的だったのでしょうね。

自分の満足できない部分を物理的に補うことにしか目をやらなかったから、母自身も精神的に満たされず、食料品の買い物依存みたいな状態や、事あるごとに娘を怒鳴って穏やかに暮らせないことに繋がっていたのでしょう。

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娘を手元に置いて、死ぬまでラクを決め込んで偉そうにする老後という理想が崩れた今は、その為に用意した家も単なるハコ程度にしか思えず、愛着もわかず汚れて行く一方なのだと思います。

 

母は昔私の部屋を覗いては「床に物置きな!そんなん、やたけた(関西弁でいい加減とかルーズの意)のやることや!」と怒鳴っていましたが、実家のリビングには何かよくわからん物が大量に床に置かれていました。

 

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