もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

相変わらず自意識過剰

以前、姉と母と話していて、知り合いのお葬式の話になった時にまた母が調子に乗って「母さんの葬式は盛大にしてやあ!!」と言ったことがありました。

また姉とともに数秒「無」になりました。

 

最近母がこういう「娘たちに嫌われている自分を自虐する」という次のフェーズに突入していて、寒…て感じです。

 

「母さんは子どもに好かれるために子育てしとんやない!!」が母の口癖でしたが、実際は娘に嫌われるなんて1ミリも思っていない(それくらいできた親であるという自信があった)から言ってたのだろうというのは前にも書きました。

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実際には娘2人ともから精神的に見切りをつけられるというオチでしたが。

 

母の性格とか脳の構造上、自分が嫌われてることを自覚することはないんだろうなとは思っていましたが、娘らに明らかに距離を取られて約10年、さすがにここまで来てやっとあの母も「マジで娘に嫌われてる」ということを自覚はしてきたのだとは思います。

「なぜ嫌われたのか」の気付きがかなり遅かった(一部はまだ自覚ができていない・事実と向き合うのが嫌で理解しようとしない)のも、娘に嫌われる部分なんて自分にはないと本気で思ってたのがかなり邪魔していたのだと思います(こわ)

「言うて、親やで?」という驕りがあるんですよね。

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母は「子のために物理的なことを理想通りにやった自分は、親として完璧」という勘違いから、やたらと親としての自分の評価を高く見積もっており(その勘違いは精神的に未熟すぎて様々なことに自信が持てないというコンプレックスの反動かなとも思うが)

自分のしてきたこと(自分の思い通りに動かすための娘への物理的な投資)が無駄になったとわかるや否や、たりは自分の夢(一人暮らし)を叶えたとか自分に都合よく解釈して「自分に非はなかった」と言わんばかりの態度でした(実際に「母さんは何も悪いことしてない」とか「たりが悪い」「裏切り者」などの罵詈雑言も浴びせられたし)

しかしこれについても何度もとつとつと『勘違いせんといて、私は別に実家におれたらおりたいと思ったけど母さんが嫌やから出たんやで』と手を変え品を変え(=表現方法を変え)言い続けることで現実逃避もいよいよできなくなったという感じです。

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こうしてようやく本当に嫌われてたんやなとか家族が嫌々自分に合わせてくれてたんやなというのを徐々にわかってきたようで、姉と母のLINEのやり取りを姉が逐一見せてくれると、実際そういう言葉を述べていました(遅すぎやろ)

 

それでも、機嫌が良かったりするとすぐに調子に乗って冒頭の葬式の話みたいなことを言うので相変わらず自意識過剰やな…と。

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盛大も何も、式なんてするつもりありません。未だに「葬式をしてもらえる」と思っているその自信はどこから?

 

私はずっと前に葬儀関係の仕事を短期間だけしたことがあるのですが、皆が皆ドラマや映画でみるような別れの惜しみ方をする訳ではありません。

『この人よっぽど嫌われてたんだろうか』と思うほど、ただ火葬までの場繋ぎ的に式をする人もいたし、もっとひどいと安置だけされて出棺直前におそらく子どもであろう人が2人ほどダルそうにやって来たこともあって、それを見た時うちの母冗談抜きでこれになるな…と思いました。弔ってくれる友達もいないので。

 

自虐と言えどこっちの気持ちを勝手に推し量って「な?母さんのこと大嫌いやろ?だから死んだら盛大に葬式してくれよ!」みたいに言うのも…いやいや、母の葬式にそんなに気持ちや時間を割くとでも思ってるん?と。

葬式以外にもすぐ「早く母さんに死んでほしいやろ」とか「早く死ねって言われた方が気が楽!」とか…とにかく鬱陶しいんです。

 

自分の意識の中での母の存在はもう既にそんなもんじゃないんですよね。

好きの反対は「無関心」とよく聞くけどまさにその通り。

「どうでもいい」に尽きます。

 

いつまでも、娘たちの意識の中での自分の存在が当たり前にある前提で話しないでほしいなと思います。

 

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