もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

とっても生きづらかった頃の話

私が生きづらさをはっきり認識したのは小2、小3の頃で、登校拒否にまではならなかったけど学校を休みがちになったことがあります。担任の先生から家に電話がかかって来て心配された記憶もあります。

その後何とか持ち直したものの、高2の夏頃学校をやめたいくらいしんどくて、高校生活の残りの1年ちょっとは『とりあえず中卒になる訳には行かない』の気力だけで乗り切った感じでした。

 

前に少し強迫性障害っぽいところがあったと書きました。

tari97.hatenablog.com

最近、昔の自分のちょっと変だった行動や考え方を色々思い出していて、1度整理も兼ねて記事にしてみようと思いました。

 

一番古い記憶は4歳頃のこと。動物か何かのイラストの描かれた菓子パンを母がおやつにくれたことがあったのですがあまり口に合わず、そんな私を見ていらんかったら無理して食べなくていいと(怒られる訳でもなく)母に言われました。ところが『このパン、どこかの工場で誰かが作ってくれたのに』とか『せっかくお母さんがくれたのに』と考え始めるとおいしく食べられない自分はものすごく不義理で悪いことをしているんじゃないか…と苦しくなっていました。

 

小学校低学年の頃に母がスーパーで冬用の靴下をいくつか買ってきてくれました。しかし母はあまりセンスが良くないのでその中の黄土色の(どう見てもダサい)ハイソックスがどうしても履きたくなかったんです。母は私に渡したらあとは興味ないのでその後「履いてないやん」とか何も言われたりしなかったですが『せっかく母が選んでくれたのに』と考え出すと申し訳なくて仕方がありませんでした。私は昔から服に拘りがあるのでどうしても履くのが嫌で、結局数えるほどしか履かないままサイズアウトしました。しかし『買ってもらったのに履かなかった』という罪悪感からその後何年もその靴下を捨てられませんでした。

 

今でもよくわからず説明が難しいのが、一時期家の物を外に持ち出すのがすごく嫌な時がありました。元を辿れば物を失くすということに異様に恐怖心があって、例えばランドセルにキーホルダーを付けたいけど、どこかで落として失くしたらどうしようと考え出すとずっと気になって結局付けるのをやめたり、失くしてもいいような2軍3軍のキーホルダーを選んで付けていました(本当は1軍を付けたかったけど)

この時期(小3くらいの頃かな)は、ものすごく家族とか家が愛おしくてそれが度を越して「外と中との境界を異様に作っていた」感じ(潔癖ではないです)

物を捨てることが家族との思い出を捨てるみたいな感覚になってしまい、ゴミに近いような物も溜め込んだり、明らかに不要なものも学校で捨てるのが何となく嫌でとりあえず持って帰って家で捨てたりしていました。

 

他には『○○が起きたらどうしよう』とか『○○になったらどうしよう』ということをとにかく毎日毎日考える子でした。ではその中で実際に心配していたことは起きたか?と考えたら99%くらい無意味な心配だったことも今となってはわかるのですが。

 

上のパンと靴下の「罪悪感」はおそらく何かを要らないとか嫌いという意思表示をしても母がすぐに「なんや、せっかく○○してあげたのに」とよく言ってたからではないかなと思います。

 

起こりもしていないことへの異常なまでの心配や不安は、母からの厳しい叱責が原因ではないかと思います。

tari97.hatenablog.com

物心ついた時から何をするにもまず、母に怒られるか怒られないかで行動を決めていました。

 

当時、ちびまる子ちゃんの漫画をよく読んでいましたが、まるちゃんが「お腹が痛くなったら嫌だな」とか心配をするシーンが多く共感できたから好きだったのだと思います。

 

小学生までは主にこういう感じで「強迫性」よりも「心配」「不安」にずっととらわれているという印象が強かったです。

 

続きます。