先日、お皿に乗せた小さな雪だるまを子どもの目の前で父がかじって、子どもがやめてと泣いているのを母が動画撮影し、SNSに上げたことでその両親が叩かれている…というのを見ました。
コメントは「こういうことされたら子どもは一生覚えてる」「何年後かにわかる。きっと親にかえってくる」というのと「こういうことを親が平気でやっていると子どもも他人にやるようになる」というのが目立ちました。
私の母もこういうことをやるタイプで、けして「可愛さが高じて、つい」という感じではありませんでした。
母自身も歳の離れた末っ子だったので、おそらくきょうだいの中でも愛情だと言い訳をされ、後味の悪いイジりを受けていたのだと思います。
実際、親戚宅で集まると大体いつも一番偉そうにしている母の実兄Dが母を笑いのネタにしていました。
余談ですがまたこの時の話すネタもさすが母の血筋だなと思うくらい、本当に低俗でした。
母はちょっと腕が短いんです。それをいつもDが持ちネタみたいに「○子(母)はなぁ!生まれた時から腕短いねん!サリドマイド児かい!」とか笑いながら言うんです。
私は幼かったのでよくわからず聞いていましたが、大人になって意味がわかった時本気で引きました。こんな人たちと同じ血が私にも流れてるのか…と思うと本当に嫌です。
そうやってDのイジりの度が過ぎると帰りの車内で母がキレるという図式でした。だったらもう親戚の集まりなんて行かなかったらいいのに…とずっと思っていたけど、ああやってイジられてバカにされることも母は大人になっても「愛情だ」と思いたかったのでしょうか。
似たような言い回しの冗談を言ったり面白くないイタズラを時々娘にやっていたのもそれが原因だと思います。
私自身、小4頃までどちらかと言うといじめっ子体質だったのもすごく関係あると思います。恐ろしいのは『今思えば』というところで、やっている当時はそんな感覚すらありませんでした。
言い訳に聞こえるかも知れないですが、やはり家でもそういうイジりの域を超えたいじめみたいなことを母がやっていたからか、友達にも『悪いことをしたな』というところまで考えが及びませんでした。
作文をなかなか書けない気の弱い男子に『あれやってたやん』『なんぼでも書くネタあるやん』とちゃちゃを入れ続け、しまいに泣かせたこともありました。
家では強くいないと暮らせなかったから、特にそういう気の弱い子にはイライラして根性入れたる!みたいな気分でやっていたように思います。今思うと、母にそっくりでぞっとしますね。あのまま何も学ばずにいたら、鬱憤晴らしに暴言を吐いたり暴力で解決したり、ハラスメント的なことをする大人になっていたかもしれません。
まあ、そんなことをしていると女子はいち早く仲間はずれにするので、ある時私の横柄な態度について色んな子から陰口叩かれてたんだとわかってからは、いじめのようなことはやらなくなりました。
冒頭の「親にかえってくる」というコメントに対し、例えば40歳くらいになっても根に持って子どもの時のこと言ってるとしたら心狭すぎるというコメントもありましたが、それは違いますね。
子どもの頃の世界は大人に比べて断然狭くて、大人になって思えば何てことないことでも子どもの心には強く残るものです。
母だって自分も嫌な思いをしてきたはずなのに、大人になれば忘れてしまうのか、愛情と勘違いしたまま麻痺してるのか「大人のものさし」でしか話のできない人間でした。
なので、私がいよいよ泣いたり怒ったり『嫌だ』という気持ちを表現したら「冗談やん」とか「大げさな」と茶化して、こちらを幼稚で面倒な奴…扱いしていました。
あの母のもとで育ったので、私は泣いたり怒ったりとかの感情を本当に表に出さない子でした。その私が怒ったり泣いたりするって、余程のことなんですけどね。
明らかに私が悪くなくても母がもういいと思えば「しつこい!」「いつまで泣いとんや!」で、そこで私の怒ったり泣いたりも強制終了させられました。
そういうことの積み重ねで親を嫌うというのも本当にある話です。執念深い子…とか、そういう話ではありません。
子どもというだけで軽く見て1人の人間として尊重できない、また子どもの世界観や価値観を平気で壊したり踏みにじったりするのは、親として以前に人として重大な欠陥だと私は思います。