もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

本当にあった怖い話②

前回の記事の続きです。

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家を出る前、母にこれからも生活を共にしていくのならもう少し相手の言葉に耳を傾けるとか、譲り合うということをしてほしいと再三お願いをしました。

 

そもそもこれもおかしな話で、そういうことは娘がお願いすることではなく家族であればお互いに当たり前にやるべきことです。私も母の「親が偉い(立場が上)、娘は親の言う通りにすべき(立場が下)」という洗脳にまんまとはまっていた証拠です。

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母は毎回「たりが我慢したら済む話やん」と取り合わず、さすがに見かねた父も「たりはそのうち家を出て行くやろうな」と遠回しに忠告をしたそうです。

それでも母は自らを省みるどころか「何をアホみたいなこと言うてるねん」と鼻で笑い、数年後私は家を出て、ほどなくして父が他界。姉もすっかり実家に寄り付かなくなりました。

老後は私に精神的におんぶにだっこで暮らそうとあぐらをかいていた母は予想もしていない孤独な状況になって初めて、過去の私や父の言葉の意味がわかったそうです。

いやいや、わかってたけど見て見ぬふりしてただけやろ…と私もつい最近まで思っていました。だからこそ(思い当たる節があるからこそ)言い訳がましいセリフが出るんやろ、と。

 

しかし、私も家を出て10年。

いよいよ戻ってくることももうない(家を出て数年は私が音をあげて戻るとふんでたようです)ことを理解し、母にとっての最悪の事態(老後1人で暮らすこと)が決定的になってやっと、自分の過去の言動を振り返るようになったようです。

 

「そんなこと言ったりしたりしていたら、みんなに嫌われますよ」と、何も起きてもないうちから言われたってちんぷんかんぷんだったのが、いざ自分の身に降りかかったらやっとわかった…こんなところでしょうか。

私、家を出る前にも明確に「そのうち娘に嫌われるよ」と何度も忠告しましたけどね。

 

いい歳した普通の大人なら、そこまでになる前に徐々に気付きがあって学ぶべきことが、母は10年かけて最悪の事態に実際にならないと全くもってわからなかったということです。こんな脳みその人に「ずる賢い」とかそういう言葉すら、もったいないわというのが最近思う事です。

 

もう1つ、今までの母の自信と勘違いを覆す材料となったことがあります。

長く勤めた職場でも人望があったとずいぶんと勘違いしていたようですが、数年前母が急病で入院しても誰一人見舞いに来ないどころか、心配して電話やメールをしてきた人すらいませんでした。もちろんコロナ前の話です。

それも最近になってやっと「会社でも好かれていなかったんだ」とわかってきたようです。

 

前に母を「一方向にしか走れない暴走車」に例えたことがありますが

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まさにそうやって周りも見ず暴走して散々はねてなぎ倒し、周りから人が消えた後に「なんで?」と言っているのが母の今現在。今までは暴走をしていたのでその「なんで?」すら考えが及ばなかったということです(マジで結構存在したらだめな危険人物やと思う)

 

まともな人は都度安全確認をして(=相手を気遣い、間違いは省みて)進むものです。

 

こんなに頭の回路が稚拙な人間が保護者だったと考えただけでもホラーです。

 

まあ、そんな風に暴走してきた人の末路がどんなものか。

言うまでもありませんね。