もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

母の「かまってちゃん」の矛先が誰に向いていたか?を考える

このブログに書いていることは、幼い頃~小学生くらいまでと、成人してからのことが多いです。

その間の、中学生頃から短大くらいまでの7~8年は、今思い出すとわりと母との関係も良好でした。

毒発言に変わりはないけど、そこまで母が機嫌が悪かった印象もないし喧嘩もそれほどしていませんでした。

そして何より「過干渉」ではなかった。し、「かまってちゃん」でもなかったです。

 

高校時代は『彼氏んとこ行ってくる』と言ってもあまり詮索されませんでした。彼氏の家が近くだから安心していたのもあるかも知れないけれど、私が成人した後の母からは想像できないくらい放任していました。

 

なぜ母の過干渉にあんなにムラがあったのか?と考えた時に、男女関係については、姉がまだ結婚していなかったから、何かあるとしたらまずはお姉ちゃんが先という感覚があったのかも知れません。

それから、干渉してこなかった・かまってちゃんじゃなかった頃はおそらく母はほかに楽しめることがあったのです。

それは「男性」の存在でした。

趣味とか、女性の友人というのは絶対になかったです。

 

一線を超えてたのか単なるメシ友程度なのかはわからないけれど、母は同じ職場のSさんという人と、一時期頻繁に出掛けていました。

Sさんにも妻子がいました。

母は「お父さんにも正々堂々お願いして、了承も得た(職場のSさんと、出掛けさせて下さい、と)」し、出掛ける時も食事は必ず作ってから行くと言っていました。

一応私にも聞いてはきましたが、夫婦で決めたことならそれでいいと思ったし私が不快に思うこと(Sさんを家に連れて来るとか)さえしなければ、どうぞご自由にって感じでした。

数年続いていましたが、ある時喧嘩して別れたみたいでした。

 

その後も必ず家族には正直に話して、特定の男性と密に繋がっていましたが私にはSさんといたときが一番充実して、楽しそうに見えました。

家庭と外の世界を適度に行き来し、仕事も料理も手抜きせず暮らす母は聡明に映りました。

母は、別れてからはSさんをこき下ろしていましたが、当時、家庭内の不和がSさんのおかげで多少マシだったことは、今になってわかります。

物理的に、母抜きで食事することも多かったから平和だったのか(今気づいた)

 

私は、アイドルを見に行って『楽しい!』となって、また仕事頑張ろうと思える性質を持っているだけに同じ感覚を持っている人ならその対象が世間的に良いものとされていないものでも、一概に否定はできません。

 

母が「夫以外の男性と外で遊ぶ」ことが、私のアイドル鑑賞のようなものだったのだろうか?と思うと、不倫じゃないか!という声もあると思うけど一概に悪いことだったとも思えません。

更に「誰かに徹底的に相手にしてもらう」のが、極上の幸福に感じる母。

彼氏彼女みたいな感覚で、Sさんが自分のワガママを存分に受け止めてくれる感覚が楽しかったのではないかと考察しています。

実際、Sさんにはかなりきついことを言ったり喧嘩したり、母がビンタしたと言うのも聞いたことがあります(実話)

当時は外でそれをやっていたから、家に「かまってちゃん」を持ち込むほどパワーがあり余ってなかったんでしょうね。

なんて単純な。

 

けれど、Sさんと別れてからの男性には不平不満ばかりで、発散がうまく行かなくなったからまた家の中にその雰囲気を持ち込んでいたのでは?と感じます。

それが母の性質なんでしょうが、その相手を家族と他人、混同してほしくなかったと思います。外でうまくいかないから、じゃあ家族に構ってもらおう、みたいな)

 

私はこういう母を見ているので、生きる上で楽しめることが「対人」においてのみ、という人はちょっと危険だなと感じるときもあります。

母みたいな「誰かいないと、何もできない」人になりたくなくて、異様に「対物」の趣味を探そうとしてしまう自覚もあります(アイドルは人間ですが、感情を通わせることがないため「対物」というイメージ。美しい絵画や美術品を見に行くような感覚 笑)

 

けれど、考えたら、今の60代くらいの女性とかって、そういう方多いんじゃないですか。

何でもかんでも、どこに行くにも、夫をはじめとした「家族」。

趣味や自分のことにお金も使わず、自分は後回しで「家族」の為に動くのが「立派!」とされてきた時代ですから

母のような、人(家族)に頼ることしか能がないみたいな人がごろごろいるような気がします。

ゆとり世代」といっしょで、ある意味「時代の被害者」なのかも知れませんけど、その相手を違う時代を生きる子どもにまで強制するのは違うのではないかな。