もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

「やりたくないことをやらない」を、やる

理屈っぽいタイトルになってしまいましたw

 

幼い頃は、自分の得意なことにはわりと自発的に挑戦していましたが、だんだん『これはやりたくない』『あれは嫌』ばかりで道を選ぶようになって、勇気が出ず挑戦しなかったこともたくさんあります。

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美術系の高校入試も失敗しましたが、落ちたら落ちたで正直少しホッとしている自分もいました。

進学も、高卒の資格は嫌・でもまた4年も勉強に縛られたくないから短大、試験勉強をしたくないから指定校推薦 など、とにかく " 嫌 " から逃げて選んだ道で、社会人になっても同じ感じ。

そういう人生に全く誇りなんてないけど、それでも自分なりにその時その時できることはしてきたつもりです。

そんな自分をやっと少しずつ認められるようになりました。

 

昔から母には「アンタはやりたくないことからすぐ逃げる!」と、それを負けだの甘えだの、責めるように言われてきました。

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『今の仕事、あまり自分に合ってないかも』と言っただけでも「仕事が嫌やからって言い訳するな!」「楽しい仕事なんてない!仕事舐めるな!」と即座に一蹴されたり(そもそも論点がずれているし「どういうところが合ってないと思うん?」とか、まずは聞くものだと私は思いますが)

 

このように頭ごなしにやりたくないことをやらないこと=ダメなことのように言われると、どうしても「やらないこと」を負のイメージでしか捉えられなくなるのです。

 

短大卒業後、仕事にも行かず家で1年ほど過ごしていましたが、母も勝手なもので「早く働きに出ろ」とも当時は言いませんでした。娘が家に居たらそれだけ大義名分で家のことをやらせられるからでしょう。

そのくせ、いざ仕事を始め、パワハラが酷く仕事を辞めた時には深夜までこんこんと私を責め立て、精神的に追い詰めてきました。

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仕事が続かない自分に「ダメな奴」とレッテルを貼り生きていましたが、数年前に仕事もせず数ヵ月引きこもった時、やりたくないことをやらないこと=ダメなことではないと気付き、母に洗脳され知らず知らずのうちに繋がっていた「=(イコール)」を外すと、これまでの自分の『嫌』『やりたくない』も、単なる私の意思であり、他人に責められたり貶される対象ではなかったのだなと思えるようになりました。

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しかし、そんな風にしか生きることを許されなかった(嫌なことを避ければダメと言われ、純粋に自分がやりたいからやる!という道を歩んで来れなかった)者が、急に思考を切り替えることなんてできないので、その葛藤は今でもあります。

家を出た当初は、母から離れればとりあえずできるものだとも、思っていました。

 

ですが結局、資格の勉強も仕事も『私はこれがやりたい』ではなく『これをやればそれなりに見えるだろう』という気持ちでしか、取り組んでおらず、失敗もしました。

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そのような取り組み方しか、知らなかったが正しいですが。

誰かにやらされている(親に怒られるから嫌々やっている)ような気が抜けず、嫌なことがあればすぐに逃げ出したくなるし、人のせいにしたくなるし、限界を超えるまで我慢をしていることにも気が付けなかったのもこれが理由だと思います。

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ただ単に、大多数の人が特に苦もなくできることや我慢できることが、私の「やりたくないこと」に該当していただけであって、責められる必要などないのです。

『やりたくない』という気持ちも、私の正直な思いなだけなんですよね。

 

できない自分を擁護しているだけ!と思う方も、きっといるでしょう。

実際そうなのかも知れません。

でもそれも含め、これまで逃げたことで私は何かに、誰かにそこまで迷惑をかけたでしょうか。

あそこまで母から精神的に詰められる必要、あったか?と

「負け」と言うけど、誰に負けてるのか?負けたら何が困るのか?

「甘え」と言うけど、甘えたら何がいけないのか?

少なくともああやって、無理矢理追い詰められる方がよっぽど精神状態を悪化させると思いますが。

これを今母に言っても「たりのことが心配やってん(だからきついこと言った)」と正当化するので話になりませんけどね。

 

私はただ、やりたくないことをやらないことを自分の気持ちに従いやっていただけだったよなぁって最近思うんです。

こんなシンプルなことも、毒親に育てられると40年近くわからないまま生きてるんです。本当に怖いです。

 

死なない程度に自分の気持ちに従って生きたい。

今はそれだけを考えて、生きています。

 

コメント・スターありがとうございます。励みになります。

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15歳の自分へ

1年前にも19歳の頃の自分の気持ちをじっくり思い出しましたが、最近もう少し前のことを思い出しました。

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中学の時、美術部に所属していて、中3の卒業が近付いたある日顧問の先生が「部誌を作ろう」と言い出しました。

確か「10年後の自分へ」という一言と10年後の理想の自分の姿を絵で表現したと思います。

うろ覚えなのは、何でも大事に取っておく割にその冊子だけが結構早い段階から手元から消えてしまって確認ができないのです。

 

悩んだ挙句、私はスーツを着て長い髪をなびかせ背筋を伸ばして歩いている「キャリアウーマン」になった25歳の自分の絵を描きました。

それは今でもしっかりと覚えています。

それを最近、仕事帰りになぜか度々思い出していました。

 

キャリアウーマンになんて1ミリもかすっていない今の自分。

当時の自分に申し訳なくて、時々昔の自分に『こんな大人になってごめん』と謝ります。

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けれど、最近さらに思い出したのは、私は別に「働くひと」に憧れていたんじゃなく、仕事終わりに1人で家で好きなことをして寛ぐことに憧れていたんだな、と。

 

ドラマとかでよくある、1人暮らしの女性のリラックスしながら部屋で過ごす描写が学生の頃羨ましくて仕方ありませんでした。

 

実家でも自分の部屋はありましたが、毒母は基本ノックもせずに入って来るし、電話をしていても平気で「いつまで喋っとんや」とか、うたた寝していても「寝とんか」とか…成人してからもずっと言われてて、プライバシーなんてあってないようなものでした。

お気に入りのCDを自室でリピートしてても「同じ曲何回聴くんや」と怒ってきたり(別に爆音で聴いている訳でもなく、たまたま母が近くで何かしていただけ)、かと言ってイヤホンを着けると母に呼ばれた時に声が聞こえないのでご法度だったし…

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ドアに鍵を付けようかとも思いましたが、どうせそんなことしてもキレられるのがオチ。

そういうことが明確に『もう嫌。限界』と感じたのが20歳を過ぎてからなだけで、毒母のそういう言動は幼い時から相当ストレスだったのでしょう。

 

25歳と言えば結婚をしていてもおかしくない年齢だけど、私はこっちの方がいいなぁと「1人暮らし=独身で仕事をしている」と考え、中3の私はその絵を描いたのです。

それをふっとこの間思い出して『そうだ、ならば私、叶ってるやん』と。

 

食事は適当でいい。時にはコンビニ弁当やお惣菜でも、むしろそれも憧れだったし(少なくとも母を見ていくら手の込んだものでも不機嫌になって作るくらいならやらないでおこうと思っていました)あとはドラマや映画を見たり、友達や彼氏と電話をしたり、スイーツを食べたり、ストレッチしたり…そういうのが憧れでした。

正しくはそういうことを誰にも邪魔されずにやるのが憧れだったということ。

 

今も食事はそこそこ、人に言えないくらいしょーもないもの食べてる時もあるけど、夕食を終えてソファに寝転ぶ瞬間が1日でいちばん幸せ。

その後うたた寝することもしばしば…

誰にも何も言われずに寛げるって最高!!

毎日噛み締めています。

 

家とは本来寛ぐ場所。

ですが、母は娘が自分よりラクをするとか寛ぐということをやたらと嫌いましたから、母の気分次第でテレビ消せ!とか二階に行け!とかいつまで携帯見とんや!とかいい歳になってからもよく言われました。

 

少しうたた寝しても怒られます。

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母だってすぐうたた寝するんですよ。テレビもつけっぱなしで。

だからテレビを消したら「見てるねん!勝手に消さんといて!」と怒ります。

そう言えば実家に居る時、母がソファでうたた寝している姿に異様に腹が立って、私もよく母を起こしていました。

多分気持ち的に仕返ししてたんでしょうね。

何で私はダメで母さんはOKやねん。いつも思ってました。

姉に『母さんだってうたた寝してるやんな』と言っているのをたまたま母に聞かれ「文句あるんやったら姉ちゃんに言わんと、直接言わんかい!」とキレられたこともあります。

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まぁ母は自分はお殿様、子どもは家来くらいに思ってますから。

とにかく、家で繰り広げられるそういうやり取りが通常の親の何倍も言い方とかニュアンスが不愉快でストレスだったんだと思います。

 

思い出したはいいけど、また憧れの対象が働くことじゃなく、それに伴う1人暮らしと寛ぎの時間…なんて…

 

まぁでも、15歳の自分へ

憧れの食後のリラックスタイム、誰にも邪魔されずにできています。

1つ夢は叶っています。

部誌に描いた年齢からは10年くらい、遅れたけど。

 

コメント、スターありがとうございます🙏

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毒親あるある詰め合わせ

母の最近のムカつく言動で、他のタイプの毒親の話をすると「そういうことは自分はしていないから!」アピールして、エッヘン!みたいな態度を取るというのがあります。

 

3人のLINEで姉が『変な親なら子どもに生理用品やブラジャー買い与えないみたいなのもあるみたいやな』と入れると「母さん、ダメな親やったけど生理用品やブラジャー買ったらダメって言わんかったよな!」と。

明確に「生理用品買ってあげない」「女性らしい下着買ってはダメ」じゃなくってね…そういう言動で女性らしくなりつつある娘の行動を制限する毒親がいるって事なんですけどね…

母っていっつもこうやって「自分はそういうの、やらない!」と、ドヤるんですよ。

種類が違うだけで、根本的な毒親というところでは同類だからね…

 

『生理用品買わないとかだけじゃなく、女性らしい格好したりするだけでもぐちぐち言う親いるよ』と入れると「母さん、娘が女性らしい格好したら嬉しいよ!」

は?嘘つけ。

私が母の思い通り(車の運転が得意で、母の言うことも従順に聞く、婿入りして同居を快諾してくれる、次男以下)でない男性と会おうとしたら、ぐちぐち言うてたやないか。

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学生の頃も髪をショートにしろとしつこかったり、高校の時に香水をつけただけで「飲み屋のねーちゃんか!」と怒り狂ったのはどこのどなたでしょうか。

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毒親お得意の記憶改ざん&都合の悪い記憶は消去、怖すぎ。

 

たり『何にせよ自分がイマイチやと思ったら相手が従うまで言うことも同じやと思うで。(生理用品やら下着やらの)目に見える内容だけじゃなくて』

姉『自分の好みじゃないと「そんなの似合わない」とか言うのもな。本人が気に入って着てるんやからそれってすごい余計な一言』

姉からも援護射撃(笑)

ここでやっと毒母「母さんに言ってる?」気付くの、遅!

 

たり『まあ母さん基本貶すから。自覚ないかもやけど「あんまり好きじゃないかな」みたいな、柔らかい言い方できないから』

毒母の感想は大体「アカン」「ダメ」「変」等、否定・ネガティブ表現がデフォルト

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昔は疑わずに従っていたけど、もうちょっと言い方あるやろ…と呆れます。

 

すると「母さんあとは死ぬだけやから。これ以上責められてもどうしようもないし。母さんが死んで骨になってもどうぞ恨み続けて。」

出た出た。言い返せなくなると拗ねる。これもお決まり。

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たり『別に責めてないよ。事実を述べただけ。恨み続けるかどうかも母さん発信で決めなくていいです。私が決めることやから。先回りして私の気持ち勝手に決めなくていいよ』

毒母「恨まれても、仕方ないということです」

たり『それも心の中で思っといたらいいよ』

 

時々ネットでも、こういう言い方したら総攻撃されるってわからんかな?(実際荒れて炎上してる)って人いますけど母ってまさにそのタイプなんだと思います。

 

口を開けば、指示・命令・押し付け。

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その根拠は母の勝手な勘違い・決めつけ・思い込み。

心で思っておくだけで良いようなことと公に発信しても良いことの判断がつかない。

どこのコミュニティでもそういうことをして嫌われてきたことも容易に想像がつきます。

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時々こうやって母に対して苦言を呈する時も、私はこれまでの母の言動の事実を述べているだけです。決めつけたり、勘違いではなくて母が本当にそういう物言いだったから『そうだったよね』と言っているだけ。

それに対して私がどう感じたか?も、母に制限される謂れはない。

母はそれが自分の意に沿わない・耳の痛いことだと、全部「文句」「愚痴」等と取ります

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挙句の果てに姉の個人LINEに「説教」(たりに説教された)と入れてきてたらしいです(笑)

昔は即座に「親に向かって何やと!?」とキレて黙らせていたので、耳の痛いことを言われても自分を省みるという引き出しがないんです。

この期に及んで何様だよって思いますよね。

 

一方私は、真意を汲み取られることもなく、弁解すら聞く耳を持たれず、母が「こうに違いない」と思えば何の根拠もないのに決めつけられ処理されたことなんて、数えきれないくらいあります。

言い返したらキレられて長時間説教コースなので、仕方なく黙っていただけ。

大体たかだかLINEでちょっと言われただけで「説教」ってw

私や姉が深夜まで受けてきた説教の総時間に比べたら鼻くそ程度だと思うけど、自分がされたことは大げさにアピールするんですよね。

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たった数分LINEで会話しただけで、どんだけ毒親あるある詰め込んでくるねん?と呆れます。

 

とりあえず、最近コメントも結構頂くようになりこういう親ってけっこうあちこちにいることがわかってきたのが、衝撃。

 

コメントやスターありがとうございます!!

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待ち時間150分

夏場に繁忙期を迎える派遣(本業)は3月末で今年も契約期間満了となりました。

1年ぶりのハローワークの給付課は、待ち時間がユ○バのアトラクション並でした。

でも、リーマンショックの真っ只中(2009年)に離職した時よりは人は少ない印象(改めて、とんでもない時に仕事辞めたんだな~と実感 笑)

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昨年は失業給付が貰えると踏んでハローワークに行くと受給要件が足りず、焦りました(笑)

コロナの給付金の仕事が地元であったので、応募して約1ヶ月間それで繋ぎました。

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性格的に直接雇用は向いていないし、繁忙期にがっつり働いて(と言っても最高週4ですけど)半年ぐらいで息切れしてくるので、冬が終わる頃に契約期間満了⇒夏まで休む…というこのサイクルはある意味私に合ってはいます。

夏に必ず声が掛かる保証もないから、やっぱり契約期間満了になったら不安ですけどね。

派遣先の職場は本当にいい人たちばかりで、社長も『つかず離れずで働きたい』という私の考えも汲んでくれるし、当分はこれでいいかなと思っています。

 

昨年末に派遣先の会長から働き方の打診があって、要は派遣会社に取られるマージンがもったいないと遠回しに言っているようでした。

確かに気持ちもわかるのだけど、自社で社保の手続きや給与計算をしなくてよかったり、要らなければ切れるというメリットも企業側にはある訳で。

手間賃とか後腐れがない分の手数料だと思えば安いと思うんですけどね。

私のように「仕事とは一線引いて生活したい者」に取っても、派遣という制度がありがたいこともあるんです。

社長はそういうとこ結構柔軟なんですが、会長と呼ばれる男性が「便利使いできる」よりも「もったいない」が勝つようで(世代のせいかな?)

少しでもマージンを払いたくないから『それってグレーゾーンじゃない?』みたいな提案をされたこともあって。

もう1人の派遣さんもちょっと引っかかったみたいで1度だけ一緒にランチをしてお互いの働き方についても話をしました。

 

もう1人の派遣さんは扶養内でとは聞いていましたが、どうやら個人事業主としての仕事も抱えておられるようで、あまりややこしいことを要求されるならいつ辞めても良いみたいなニュアンスでした。

それで、私も個人事業主として働きたい気持ちもあって…という話をすると色々とお話を聞かせてくれました。

個人事業主として関係を結べば、派遣のマージン云々も発生しないし、たりさんの目指す働き方の実現も近いかも?と言ってくれて。

 

あとはコロナ以前から在宅勤務ができないか?も、私はずっと考えていたんです。

私は余程人がいない時以外は電話応対はしなくて良いという条件で採用されているので、1日誰ともほぼ喋らず黙々と作業して終わりなんです(社内連絡はチャットでやっています)

毎回『これってわざわざ出社する必要ある?』と思いながら仕事してて、そんな時にコロナが流行して『ついにこの時が来たか?!』と思ったんですが。

在宅なら交通費も出さなくていいですしとほのめかしたことも←通勤が嫌すぎて必死w(マージンがもったいないなら、交通費ももったいないやんと私は思うのですが)

 

それで、個人事業主+在宅勤務の相談も社長にしたことあるのですが、結局個人事業主だと雇用保険がないのでさすがに危険すぎるか…と思い、諦めました。

ただ、在宅勤務はワンチャンあるかな?と思い粘ってみましたが、さすがに単なる派遣にそこまで手間とお金をかける気はないのか、うやむやになったまま契約期間満了となってしまいました。

 

在宅勤務、大手企業ではかなり普及率が高いみたいで本当に羨ましいです。

HSPには、単なる通勤も社内の軽いコミュニケーションもハードル高いんですよね…。

職場の人が嫌いな訳じゃないんです。でも、やっぱり他者の声色や機嫌を敏感に感じ取ってしまうし(これは電車通勤も同じく)休憩室的なとこがないのでいつもコンビニのイートイン←結局人が多い

これだけで疲れてしまって。

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残業したくても、無意識レベルで変な気を遣っているので定時にはもうぐったり…てこともあり。

コロナ禍で在宅勤務になり同僚とコミュニケーションが取れず寂しいとか言ってるのも聞きますけど私には考えられない(笑)むしろ羨ましい…

 

夏から走ってきたので(雇われると必要以上に頑張ってしまって、楽しいけど疲れる)副業の方もぼちぼち行きつつ、失業給付を貰ってまた少しのんびりします。

 

精神的にもっと安定して、ひとつのところで継続して働けたら…と切実に思うんですけどね。

 

スターやコメント、本当にありがとうございます!

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「アレ」の衝動、未だ来ず

バービーさんのこの記事を読みました。

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結論から言うと、あまり共感する部分はなかったかなぁ。

唯一記事内で共感したのは、苦しみばかりの人生を、一番かわいいであろう我が子に経験させていいのだろうか?と悩んだという部分のみ。

もし、私が子どもが欲しいタイプだったらものすごく悩む種になっていたと思います。

ほんとに共感したのはここだけ。

 

自分のやりたいことはやるだけやって生きたいタイプなのでその「やりたいこと」の中に、子どもを産むことが入っていないか、何度も自問自答してきました。

でも、いくつになってもこの記事で「アレ」と表現されている「子どもが欲しい」という衝動は来ません。

バービーさんとは同世代。

実際私も同世代の友達と卵子凍結の話をしたこともあります。

 

もちろん、子どもは物理的に1人では作れないので一般的な順序を踏むとしたら子どもの前に夫…ですが夫が欲しいと思うこともないです。

昔は『親から逃げられるなら…』とも考えたけど(母からは「結婚以外で家を出るのは許さない」と言われていたので)

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私の性格上そんな気で結婚できても破綻するのはわかっていたし、何より「親が嫌だから」を理由に相手を探すことを、私はしたくなかったのです。

 

興味深かったのは、バービーさんの祖母が亡くなった時「命のバトンは繋いでいかなきゃいけないと感じた」というところ。

昔ある芸人さんもこの「命のバトン」に触れていたことがありました。

その芸人さんは結婚もして、子どももいます。

「僕は子どもを産む・産まないは、本人の自由だと思う。(子どもを産むことができる人に対しての話が前提とも付け加え)本当にしたいようにすればいいと思う」

「ただ、今まで先祖がバトンを繋いできてるんです」

「子どもを作らなかった場合それを自分が終わらせてしまうことになる」

そこまでは、うんうん確かに…と聞いてたのですが

「僕はそれはズルいと思うんです」

え?ズルい??

当時も拍子抜けしたし、未だにこの意味がわからないけど、今回の記事を読み『先祖がどう、とか命のバトンが…とか、思う人は思うんだな』とは思ったわけです。

 

確かに母からは跡を継げ・姓を絶やすなみたいに言われてほとほと嫌気がさしていて、ハッキリ『跡を継ぐのは無理です。諦めてください』とも言ったし、こんな血筋後世に残さんでもええわwという気があるので、自分が子どもを産むことに抵抗があるのは「血を絶やさないこと」への反抗心なんだろうと昔は思っていました。

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でも、だとしたら(本音では子どもが欲しいと思ってたとしたら)多分「ズルい」という表現を聞いた時に、カチンと来ると思うんですよね。

ズルいって独特の解釈するなぁ…ってとこから何年もピンとこないあたり、おそらく私は出産とか子育てとかいうフィールドにすら立っていないんだろうな、と。

あとは、おそらくバービーさんとは「子どもが好き・好きではない」の、根っこの部分も全然違うんだろうなとも思います。

確かに姪が産まれた時は可愛いと思ったけど、赤ちゃんの頃の姪と接するより、今の姪と話したり遊んだりする方が何倍も楽しい。

子育ての大変さを目の当たりにして可愛さよりもそっちが勝ってしまい、姪が産まれたことによって、明確に『私は子育てしない方がいい』という警告音が頭の中で鳴り「出産・育児コース」の道を自分から辞退した感じ。

電車で子連れの人が乗っていると、そのそばの席は避けてしまうあたり、やっぱり私は元々あまり子どもが好きではないのだと思います。

これについては「親子の絡みを見るのが苦手」ということで記事にしました。

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ただ、日本ではまだまだ女性が子育てと仕事のキャリアを両立するにはハードルがあり「子育て≠仕事のキャリア」みたいな図式がありますよね。

となると、私ってどっちにもあてはまっていないんですよ(笑)

だからいつも、子どもが云々という話を考えると、子どもを産まないことに後悔はないけど、だからと言って仕事でのキャリアを積んでる訳でもない…と考えてしまって、そっちの方がコンプレックスに感じます。

別にこの2つを比べるものでもないけど、そこは長年の慣習によってそう思ってしまう自分がいるのも確か。

ドラマでも対比的によく描かれますしね。

そこは自分の好きなように解釈してればいいし、私が私らしく生きるだけでいいじゃないか!とも言い聞かせていますが。

 

でも、明確に子どもを産まないことに後悔はないとはわかったので、色んな記事を読んだり、様々な意見を聴くことは大切だなぁと思いました。

 

私のブログもこんなふうに誰かの気付きのきっかけになれれば良いんですけどね🤔

 

スター・コメントありがとうございます。

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訪問してくださった方へ

ブログを始めて、5年が経とうとしています。

歩みは遅いですが徐々に読者登録も増え、スターやコメントも頂き本当に励みになっています。

思いつくままに書いているので、途中から読み始めた方には登場人物の特徴がわかりづらいかなと思い一旦記事にすることにしました。

続けてお読み頂いている方には重複になりますがご了承ください。

長くなるのでお時間のある時に😊

 

たり(私)

昭和50年代後半生まれ。アラフォー独身女。

幼い頃から関西弁で言う「気にしぃ」な性格。ちょっとした事を気に病み、学校に通うのが本当にしんどかったです。

高校生くらいの頃は母との距離感も適度で、そこまで関係は悪くありませんでした。

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短大卒業後、姉が結婚して家を出ると母からの干渉が酷くなり、10年程度耐えましたが平成25(2013)年に逃げるように家を出ました。

母って、毒親なのか?と気が付き始めたのが平成23(2011)年頃。

 

平成21(2009)年、酷いパワハラにより衝動的に職場を辞めてしまいましたが、リーマンショック真っ只中で職がなく、母と同じ会社にコネ入社(確かにありがたかったですが、本当は働きたくありませんでした)

なので、家を出たものの職場で母と顔を合わせるという日が3年ほどあったということで、これも精神衛生上良くないと感じ、平成28(2016)年に退職しました。

これでやっと、母と顔を合わせることはない生活に。解放された~!と思ったものの、そのあたりから気付かなかった生きづらさや問題に直面します。

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翌年、職場で理不尽な叱責を受けた時、小さい頃母に怒られた時のように動悸がし、頭が真っ白になって翌日から出社できなくなりました。

正式な病名こそつきませんでしたが、初めて心療内科にかかり、心身ともに休むことを決め、数ヵ月引きこもりました(これがとても良い効果をもたらしたと思う)

 

自分にはこういう気質があるのではないか?ということもブログで紐解いています。

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現在は自ら派遣を選び、無理のない範囲で働いています。

お金はないけど、母に干渉されない今の暮らしは控えめに言って、最高。

自分はどう生きたかったのか・何が好きで何が嫌いだったのか。

母に抑圧され見失っていた自分を取り戻すべく、試行錯誤しながら暮らしています。

 

昭和50年代前半生まれ。既婚。娘1人(私から見た姪で私とは20歳差)昔から姉とはとても仲良し。姪とも仲良しです。

私の母の子育てにおいて片手で足りるくらいの「ここだけはよかった」というところに「姉妹格差をつけない」というのがあり、そのおかげで姉妹で憎み合ったり、そういうことは全くありません。

姉と一緒に母のおかしかった言動や腹が立ったこと、嫌だったことを話せることはとても励みになっています。

 

毒母

昭和20年代後半生まれ。

アスペルガーっぽい一面を持ち、モラ気質あり。気分次第で言う事が変わり、何が激怒の引き金になるかわからず、キレたら延々怒鳴り散らしていました。

手を上げることは少なく主に精神的虐待・言葉の暴力(本人自覚なし)

外面は良く、これらは全て家の中でしか行われないので他人からは「良いお母さんやん」と言われ、理解されない一因に(毒家庭あるあるですね)

極貧の家で育ったので金やモノへの執着が異常。

相手の立場になって物事を考えるとか共感性が皆無。二極化思考で何でも正解・不正解を決めないと気が済まず、知りもしないのに決めつける・何に対しても否定的。

自分では倹約家で料理上手のお母さんと思っていたようですが、実際にはお金の計算と料理以外は全て家族にやらせていました。

  

昭和1桁年生まれ。母とは歳の差婚。数年前に他界。

穏やかな性格で、怒鳴ったりも絶対しないしたくさん遊んでもくれました。しかし事なかれ主義のためキレまくる母を止める気はなく、いつも適当な声掛けをして終わりでした。酒好きで晩年は家族に迷惑を掛けることも(多分アルコール依存症だったのだろうと思います)

父方の家族(多分マトモ)は会った事ないのでブログにも登場しません。

 

両親ともに働き者だったことが救いですし物質的には比較的恵まれた家庭環境でしたが、感情の面では恵まれない家庭だったと感じます。

 

 

◆母方の家族(かなり毒気が強い)

母の実父(他界)

おそらく発達障害アスペルガー)。とんでもない発言をして場を凍り付かせることも。

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私たち孫が遊びに行っても「いらっしゃい」などの声掛けも一切なく、親戚同士で会話が盛り上がっても独特の目つきで皆をじっと見て言葉も発さず、ぷいっとどこかに行ったかと思うと庭で包丁を研いだり、畑作業をしていました。

 

母の実母(他界)

戦後、貧しい家庭を守らなければという一心だったのか、子どもらをかなり厳しく育てたよう。母だけを「要らない子」のように扱い、姉妹でも差をつけて育て、母の結婚すら祝福しなかったようです。

そういう扱いが私の母が毒親と化した所以だと考察しています。

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母のきょうだい

長男・・・存在感なし。ブログにも登場しません。

次男・・・ブログではDと表記。とにかく偉そうで、何でも貶す・否定的、高圧的な部分は母にそっくり。娘に対してありえない暴言を吐くことも。

Dの暴言については↓の記事を。その他の記事も「D」で検索すれば出て来ます。

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長女・・・ブログではT子と表記。実父のアスペルガー気質を一番濃く継いでいる感じ。夫と一人娘が早くに病気で亡くなったことは気の毒ですが、とにかく人への依存心が強く、中身のない人間です。その割に頑固。母同様、金とモノへの執着が異常。

2010年に娘が急死し、T子が1人になってしまった時に、母が近くに住まわせることを決めましたが、T子が歳を取ってくると手がかかると文句を言っていたのもまた母です。

2021年、施設へ入所。

「T子」でブログ内検索すると記事が読めます。

 

 

◆その他の登場人物

育ち故にこれまで他人に都合良く扱われることが多く、何かと自分中心なモラ気質のある人・思いやりの欠けている人に振り回されることの多い人生でした。

それも毒親育ちと深く関係していると思い、記事を書いてきました。

そこで登場する、家族以外の人たちも何人か。

 

元親友M(女)

同い年。小学校の幼なじみ。小学校の時に家庭の事情で県外へ。

適当な生活を送っていた私とは違い、学生時代からしっかり勉強し資格取得していたことは尊敬していたし、Mのことは本当に大好きでした。

しかし、30歳を過ぎたあたりから私への暴言や酷い態度が目立ち、平成29(2017)年に20年以上続いた関係は幕を閉じました。

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彼女もまた、辛い家庭環境で育ったようですが、そういう辛さや悲しみを親友である私にぶつけることで発散していたのだと思います(今思えば)

縁が切れて徐々に「あれってモラハラじゃない?」と気がつき始めた感じ。

2人の距離が近すぎたことも関係がこじれた原因だと思っています。

そのことも、たくさん記事にしています。

 

他にもKちゃんクマさんタカなどがいましたが今は全て縁が切れています(それぞれのワードで検索すると記事が読めます)

 

他は数回のみの登場なので、記事内で人物の特徴を書いたり関連記事のリンクを貼っています。

 

文字を書くのは好きですが、記事をコンパクトにまとめる・わかりやすいタイトルをつけるというのが苦手なので、お時間のある時に色々飛んで気軽にお読み頂けるとうれしいです。

できるだけ関連記事は探し出してリンクを貼るようにしています。

 

コメントについては↓にまとめているので、お気軽にどうぞ。

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過去との決別

実家を出た時はとにかく逃げるような感じだったので、荷物整理もあまりできずとりあえず持って来たものもたくさんあります。

今のマンションには3帖ほどのトランクルームもあるので収納には困ってないですが、今度引っ越せる時が来たらここより広い所にはもう住めないだろうし、物は半分くらいに減らしたいと思っています。

徐々に断捨離はしているものの、奥の方にあってなかなか手のつけられなかったものをこの間出してみました。

 

元親友Mからの手紙は、以前みんな処分したと思っていました。

元親友Mの記事はこちら↓

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ところが奥にあった箱の中に、Mからの手紙がまだ入っていました。

あれだけ前に捨てたのに、まだあったの?とびっくり。

 

Mは同じ小学校の幼なじみですが、家庭の事情で県外に引っ越しをしてから、近所に住んだことは一度もありません。

だから何年も、文通をしてきました。

やがてPCメールになり、携帯でも長文メールのやり取りができるようになり、通話し放題のプランが登場し、手紙のやり取りはなくなりました。

それでも、誕生日プレゼントが届いた時にはバースデーカードも入れてくれていて、それも今回出てきました。

 

シュレッダーにかけていくので、封筒から出してさっと目を通しましたが、私が20歳頃の手紙が一番たくさん残っていました。

私が一番、生きることを悩んでいた時期です。

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その頃私は仕事もせずに暇を持て余していて、Mは資格を取る為の専門学校に通うのに寮で暮らし、忙しい日々を送っているようでした。

大体2~3ヶ月間隔で手紙のやり取りをしていてMからの便りをいつも楽しみにはしていたものの、当時を思い出すとMからのどんな手紙を見ても、こちらが何を書いてもどうも内容が頭に入らず、そんな自分を薄情だな…と思う時もありました。

Mから手紙が来る頃には前に自分が書いたこともすっかり忘れてしまって、でも文通は止めたくないし、苦肉の策で自分が今回どんなことを書いたかを記したメモをMからの最新の手紙にホッチキス止めしてありました。

 

当時、得体の知れない焦燥感と無気力に支配されて、何もしたくない…でも何かしなきゃ…という毎日に嫌気がさしていました。

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母と離れて、母の干渉で自分の考えとか思いとかをじっくり考えることなんて今までほとんどなかったこと、とにかく母が乗れと言った船に乗せられているみたいな生き方をしていたことに気がつき

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当時のそういう訳のわからない不安感や焦りの原因もわかった気がしました。

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ちょうど、姉が里帰り出産中だったから毎日姪をお風呂に入れたりすることで家族の役に立つこともあっただろうけど、根本的な私の心の部分は病んだままだったのだと思います。

あんなに暇を持て余しているのに親友の話ですら頭に入らない、何をしても楽しくない、いつも体のどこかに不安が張り付いている…そんな感じでした。

他人のことで思いを馳せるほどの心の余裕が私にはなかったのでしょう。

 

手紙を処分し終えると、次は写真やプリクラも。

ちょうど、プリクラが世に出回り始めたのが中学の頃で、当時はたくさん交換をしてプリ帳が色んな人のもので埋まるのがステイタスであり、今見ると誰だこれ?というものもたくさん。

 

プリクラの中の自分は笑っているのに、何も感慨にふけることもなくただただ虚しさがこみ上げるだけでした。

あの時も苦しかった。

この時も心がしんどかった…

思うのはそんなことばかり。

子どもから大人になる、一番楽しい瞬間の年齢のはずなのに…

普通は楽しかったなぁ~とかバカやってたなぁ~と、感慨深くなるものなのでしょうけどね。

全て切り刻み、処分しました。

 

それでも今まで何となく捨てられずにいたのは、ずっと自分を好きになれず後悔ばかりの人生でしたが、そんな中でも楽しいこともあった!と思いたかったのかも。

自分の人生が嫌いなことも認めたくなかったのかな。

今はハッキリ言えます。成人してから母と暮らした数年は最低だったと。

それを認めてしまうと今までの自分の頑張りが水の泡になるような気がして、だからこそ過去にしがみついていたのかも知れません。

 

過去とは決別して、これからは前だけを向いて歩いて行きたいです。

 

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コメント、スター本当にありがとうございます。