もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

自己肯定は他者を否定してするものではない

健全な家庭で育った人はそもそも「自己肯定感とは何か」そんなことすら考えず生きてきてるんだなというのは、暖かい家庭で育った人との付き合いで学びました。

 

人生を長い「道」として考えた時、そういう人を見ていると『生まれた時からしっかりしていて、おかしな障害物もない、太い道が用意されているんだ』と感じます。

一方、不健全な家庭で育った私は残念ながらその「道」がハナから「ゼロより下、むしろマイナスな状態」にあるんだと思います。

 

家を出る少し前、母を●すための方法を本気で考えた瞬間にこのままでは誰かが病院送りになるか、警察沙汰になると思い、逃げるという気持ちのスイッチが入りました。

しかしそんな状態になっても、私はまだ自分の「道」がどうしようもなく、既に自分自身もぬかるみにはまり沈みかけているだなんて思ってもいませんでした。いや、もうずっと前から気が付いていたけど、認めたくなかったのだと思います。

 

この状態で無理やり自分を騙し強行突破すると、自分を肯定できる手持ちのカードがもうないので今度は人を否定することで『道は険しくない』『沈んでもいない』と思おうとするんです。

これが人を貶したり、マウントを取ることに繋がるのだと思っています。

 

最近ではSNSで承認欲求を満たそうとするのもちょっと度を越していますが、本当に自己肯定感が高く生まれながらに輝いている人と、承認欲求を満たそうと無理して演じてる人の見分けは、大体つきます。

何かをできない・やらない人を不完全な人間かのように貶すとか、特別そのような言い回しがなくてもそういうオーラが出ている人。

 

私の場合は仲良し母娘を演じることで家族円満に見せようとしていたし、嫌々コネ入社した会社にいる自分をどうしても好きになれず、その時たまたま働いてなかった友達を貶したり…本当にしていました。

自分1人でSNSのいいね集めをする程度なら誰の迷惑にもならないのでご自由にですが、自分の道を他人を貶してまで肯定しないとだめな状態なら、精神面での根本的な改善の必要があるんじゃないかな。

 

SNS穿った見方しすぎwと思われるかも知れないけど、自分にも他者を否定し見下げて『自分はマシだ』と思おうとする片鱗が確かにあったし、人を貶める昔の自分を見ているようでもあるので、戒めの意味も込めて書いています。

また、同じことをモラハラという形で一番の親友にされたこともあるからこそ、分かることがあります。

tari97.hatenablog.com

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『人より劣った道しか用意されなかった』というのを人生の節目節目で感じることは、非常に惨めで苦しい事です。

だから、冒頭に書いた健全な家庭で育ち「まともな道」を生まれながらに持っている人が今でも喉から手が出るほど羨ましいけど、この『羨ましい』という気持ちすら長らく認めることができませんでした。

認めてしまうと、自分の育った家や人生を丸ごと否定するように感じたからです。

tari97.hatenablog.com

家を出て数年後、もうどうしようもなくなった時に素直に『こりゃだめだ』と降参をすると、その後の人生が変わると私は身をもって感じました。

自分の家庭の不完全さや、自分にないものを認めるのは辛いけど、私は気が付けてよかったと今は思っています。

 

最近、直接関わりはないけど、SNSでの言動で『この人昔の自分みたい』と感じる人の共通項が見えてきたので、うまくまとめられたら書きたいと思っています。

 

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