もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

自分をまず肯定すること

言われたことを全くできていないのに「私はちゃんとやりました」と言い訳ばかりする人がいた職場の話は前に書きました。

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ちゃんとできてないから注意されてるのに、いい大人が必死に言い訳して一体どんな育ちをしてきたのだろう?と本当にイライラしました。

 

別の職場では、企業向けの講習会をやったりするところで、講師として呼ばれていた社員が予定日を勘違いしていて当日その企業から「講師が来ないのですが…」と電話がかかってきたことがありました。急いで行ったところで間に合うはずもなく。この人は結構他にも同レベルのミスをよくしては叱られてたけど凹む様子もなく…その図太さ少し分けてほしいなと思うくらいでした。

 

友人からいらないチケットをネットに出品してほしいと頼まれたことがありました。安請け合いした私も良くなかったですが落札されてから「日付が間違えていた」と友人から有り得ない報告。

チケットを出品するのに(しかも人に頼むのに)そこ一番慎重に確認しないかな普通…と引いたこともあります。

 

姉と友達2人(Aちゃん・Bちゃん)であるライブに行った時、チケットはAちゃんが準備してくれました。終演後すぐにBちゃんがチケットの写真と感想をSNSにアップしていました。アクセスするとチケットに印字されたAちゃんの本名がそのまま載っています。『Aちゃんの本名載ってるけど大丈夫?』と私が聞くと「あ~!Aちゃんごめん!すぐに消すね」

消したところで今の数分でもAちゃんの本名は全世界に晒されちゃったんだよなぁ…と呆れました(Aちゃんは怒ったりもしてなくて寛容だなぁと思いました)

 

他人の『何でそんなミスするの?』ということで覚えていることを軽く挙げただけでもこれだけあるけど、氷山の一角です。

 

幼い頃から、間違えるとか忘れるとかとにかくそういうことに関してはどんな小さなことでも全人格を否定する勢いで母に怒鳴られてきました。

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だからそういうミスを日常的にする人って、きっとそういう育てられ方していないんだろうな…と何とも言えない気持ちになります。

誰にでもミスはあるので、間違えることが悪という訳ではありません。

 

昔は私も母と同じように『できない奴がバカ』と、できない人を貶し責めていました。

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『世の中できる人ばかりではないのだ』『母がキレ過ぎてただけで、世の中は他人の失敗やミスにも寛容なんだ』と30代になってやっと知りました。

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失敗を恐れず、必要以上に周りも気にせず生きている人を羨ましく思う反面、そんな風に生きても許されてきたんだ…という嫉妬心があるのだろうなということは前にも書きました。

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" 私ならそんなミスしない "

 

その思いの奥深くには自分の方が優れていると思いたい気持ちが潜在的にあるのだとも思います。

そうでも思わないと、あれだけ怒鳴られなじられてきた自分が救われない気がして。

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自分のちゃんと・きちんとが世間で必ずしも評価に値することではないこともわかっています。

でもやっぱり、評価されない悔しさもあるし、自分ばっかり気にして気が付いてバカみたいと思う時もあって…

 

そんな時に効くある言葉を少し前に知りました。

 

『この人はなぜこんなこともできないの?』と思った時、この人ができないことを私は無理なくできるんだと思うようにするというものです。

見た時はうん、まぁ何のひねりもないなって思ったけど

実際にやってみると案外これが気持ちの切り替えに一役買っているんです(単純)

 

できない相手を否定する前に、できる自分をまず肯定して、とりあえずこれにて終了!みたいな感じ。強制終了感は否めませんが。

 

何度も何度も思うことで、考え方を変えられたらいいなと思います。

 

コメント、スターありがとうございます。