もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

執着していることにヒントがある

前回の記事で、生まれや育ちにより人生の「道」はある程度決まることを書きました。

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自分の「道」に問題があったことで不幸自慢をしたい訳ではなく、その与えられた「道」をどう歩んで行くか?がつまりこれからの生き方であると考えます。

 

最近、この「道」に問題があったであろう育ちの人が、いわゆる一般的に立派とか一人前とか「人並み」に歩むのは実は相当ハードルが高いのではないかと感じています。

そして、その「人並み」に執着し過ぎるあまり、自分の現状を認めることができず、息をするように人を見下したり、マウントを取ったりする人に敏感に気が付くようになりました。

そういう人の多くは、そうすることで自分を「人並み」エリアに持っていこうとしているんですよね。

そこにはかつての自分も、私にモラハラをしてきた元親友Mも含みます。

 

そういう人の多くは、言動にその人が執着していることが表れていて、その執着していることこそがコンプレックスなんだと思います。

 

私は何度も書いているように職歴にコンプレックスがあります。

働いてきた企業の規模とか待遇とかそんなことはどうでも良いので、もう少し丁寧な書き方をすると仕事に関する選択すらも親の言いなりになってきたことにコンプレックスがあるのです。

 

母のコネで就職した自分も、その会社の社風も大嫌いでした。でも辞める勇気もなく気を病みながら通勤する毎日。

当時私は労働条件の悪い人や非正規の人にエアリプでマウントを取るようなことをしょっちゅうやっていました。内容としては、ボーナスのことを書くとか、有休取得率の高さを自慢するとか。

自分の現状と気持ちのギャップに向き合いたくないので、それで気を紛らわせていたのです。

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自分というアイデンティティを確立するためにコンプレックスに感じる部分を人を下に見ることで埋めようとしていたのです。

 

私は元々、恋愛や結婚・出産に興味がなかったけど、その分「働くこと」が私の「生きること」の多くを占めてきました。だから、仕事関係に自分の意思を持って行動できなかったことに今でもすごく後悔があります。

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SNSでの発信程度なら、誰かを直接傷付けてないし別に悪いことではないけど、それをやってて満たされたか?と考えたら惨めなだけでした。

人って怖いものでそれでも足りなくなると今度は本当に対人でそういうことを言ったりするようになるんです。私は、その頃たまたま求職中だった友人に『はよ働きやw』と小馬鹿にするように言ったことがあります(最低ですね)

よくわからないことでキレたり、私をやたらと貶したり、いわゆるモラハラをしていたMも同じような心理状態だったんでしょう。

 

かつてはそんな私でしたが、いつの頃からかパッタリそういうことをしなくなりました。

なぜ、いつまでもやり続けている人と、そういうことが無意味なんじゃないかと、ふと気付く時がある人がいるのか。

 

自分なりに考えてみたので続きをまた書きます。

 

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