もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

毒親あるある◆自分擁護のためには手段を選ばない

前回の記事で、自分ができた・達成できたことに対して、純粋に自信を持てない人は、自分よりもできていない人を貶めて上に立った(立った気になっている)ことで安心感を得ていると書きました。

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基本的に母は他人をほめたり絶対しないので、他人の話が母の口から出る場合は大体悪口でした。

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自分より優れていると思われる人の話題は母からは絶対に出しませんが、話の流れで母の面白くない方に話が行くこともあります。

すると、あれやこれや相手に難癖をつけて、話の焦点をずらします。

例:私や姉が『あの人、物知りやな』とほめると「でもあの人はデブやからな!」など

思えば母はこういうことをすぐ言ってました。

 

幼い頃はこの母の「でも」に騙されていて、成長してからも『今体型の話してないけど』と思っていましたが、どうせ言ったところで…ですので適当な返事をして話を終わらせていました。

母と話して面白い訳がありません。

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子どもの前でもお構いなしにえげつない差別発言をしていたのも、この影響でしょう。

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母は外面は良いし、他人から見ると小柄で可愛らしい印象みたいなので(私には鬼の形相の母のイメージのほうが強いので思わないけど)本人もその自覚があったのか、話の焦点をずらす時は何かと容姿や体型の話にすり替えることが多かったように思います。

 

他にはお決まりの持ち家や車など目に見えるものから、自分が正社員で働いていること、運転免許所持の有無もマウントの対象でした。

「あの奥さんパートやからな」とか「あそこの旦那さん運転できへんから」とか。他人だけでなく親戚もその対象でした。

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とにかく全てが「自分はこれを頑張ってこうしたよ」という肯定的な表現ではなく「あの人はこれができないからアカン(=劣っている)」等と、まずは他者を否定してから「お母さんは(あの人と違って)○○だから(=優れている)」みたいに言うことが多かったです。

 

母が毒親と気が付いてから、姉は義母ばかり慕うようになりました(当たり前です)

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姉の結婚当初はお決まりの容姿貶しで義母より優れているアピールをしていた毒母ですが(普通、娘の嫁ぎ先の義理の親を実の親が貶すか?と今になれば異常さがわかるのですが、当時私もそれがおかしいことに気付かず、どこの家でもそうなのだと思っていました)私たちが母が毒親であると確信してからは、お義母さんはすごい!毒母はカスwというニュアンスの態度を私たちから取られ、いよいよ勝ち目がないとわかると「姉ちゃんのお義母さんと母さんは、住む世界が違うもんな!(おそらく、お義母さんは金銭的に恵まれた家だから!という意味)」で片付けることにした模様。

 

貧しさとか恵まれなかったことを、自分がたまたまできた時は逆境にも負けていないワタシ!に加え、お決まりの「乗り越えられない人は甘えてる!」と息巻いて言うくせに、自分がかなわないとなると手のひらを返したように自分の貧しさ等を言い訳に「自分はかわいそうな人間なの」「できなくて当たり前なの」と、不幸ぶって被害者アピールをします。

 

いやいや、あなたがすぐ言う「できないのは甘え理論」だと、貧しさや恵まれなかったことを言い訳にするのは「甘え」になるんじゃないの?ですけど…自分が「できなかった事実」を認めないためには辻褄が合わなかろうが関係ありません。

 

こんなことも今になって、よく考えてみたら…そういえば…おかしいよなと気が付いたことです。これも結構毒親あるあるではないでしょうか。

本当に毒家庭の当たり前って恐ろしいです…。

 

スター、コメントありがとうございます。