母の幼い頃の貧しさは、いくら昭和20年代後半生まれと言えど想像を絶するレベルで、確かに気の毒だったとは思います。
また、母の家族には「マトモだな」という人が正直いませんでした。あの家では物質的な不足だけでなく、常識的な感性も身に付かなかったのは当然の結果だろうと思います。
そんな人が子どもを育てるなんて到底無理だったのだろうとはこの数年でわかってきました。生まれ育った環境には抗えないのは百歩譲っても、母自身に学ぶ姿勢とか謙虚さ、共感性が異様に欠如していたことが一番の問題だと思いますが。
しかしこういうことを考え始めると、思考にストップがかかる時があります。
それを今回、なぜなのか考えていました。
母は子どもに怒る時、贅沢だワガママだアンタらは恵まれてるんだに始まり、五体満足なだけでも感謝しろと言い、自分の辛かった過去を涙ながらに訴え「だからお母さんの言うことくらい、黙って聞け」と怒鳴る、お決まりのパターンでした。
簡単に言えば、自分の幼少期の辛さに比べたら今アンタらが怒られてることなんか屁みたいなモンや!だから黙って従え!ということ。
母の辛かった気持ちとその時怒られたことは全く関係ないのですが、毎回そう言われると、純粋な子どもの脳には「お母さんはかわいそうな人=だから言うこと聞かないとだめ」と刷り込まれ、本来繋がるべきではない部分がこのように=で強固に繋がってしまうんです。
その繋がりができてしまった私は、大人になっても対人関係で苦労しました。『こっちが言うことを聞いておけばいい』が感情のものすごく浅い部分で待機しているので、嫌な思いをしたり酷いことをされても、疑問を感じることなくすぐそのカードを出して、取り繕ってしまうのです。
母は特に不機嫌で家族をコントロールするタイプだったので、相手の機嫌が悪かったり強く言われると特にそれが顕著に出ていた自覚があります。
それは相手への思いやりではなく単なる自己犠牲ですが、私はずいぶん長い間、この区別がついていませんでした。
育ちも含め母という人間を長年観察し『親として以前に人としてまずいな』という落としどころはたくさん見つけました。
しかしそういうことを考えていると『だからって " 仕方ない " で済むのか?』ともう1人の自分が自分に問いかけます。ただ「親として以前に人としてまずい」ことを事実として認めているだけなのに、母を庇っているように感じてしまうんです。
冒頭の思考がストップしてしまう理由はおそらくこれです。
ブログでも、親になれるような人間ではなかったんだというニュアンスのことをこれまでも書いてきましたが、必ずと言っていいほど『これは母を許す訳ではないです』と書き加えていました。
これは読者の方に、へぇ、毒母を擁護するんだ…許すんだ…等と思われないために…と思ってのことでしたが、そう書くことで自分自身にも言い聞かせていたのだと思います。
とは言え、私は母を許すとか許さないとか、もうそんな次元では生きていません。
ではなぜ、母を庇っているように感じることに反応してしまうのか?
おそらくこれは、物心ついた頃から母を怒らせないよう、思ってもないことを言って場を取り繕い、納得いかなくても『仕方ないよね』で済ませ、『母さんは辛かったんだよな』等と母の刷り込み通りに無条件で母を庇ってきたことが、あまりにも多すぎたからではないか?と考察します。
『もう、それをやりたくない!』という心の叫びに対して『これは母を庇っている訳ではないんだよ』と自分で言い聞かせる、そのやり取りを自分の頭で延々やっているのかな、と感じます。
マトモな親のもとに育ってさえいたら、そもそもこんなことで悩まずに済むんでしょうね。
母はマトモではなかったという落としどころを見つけたとて、このような苦しみから解放されることが未だにないことが悔しいです。