もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

自己犠牲と思いやりは別物

昔から私は「めんどくさい」とか「重い」とか相手に思われるのが嫌で変な嘘をつくとか、どうでもいい設定を作るとか、そういうことをよくしていたように思います。

本当はすごく気になったり、嫌だなと思っても『そんなこと全然思ってないです』みたいな素振りを見せるのもよくやっていました。

そうやって素直な感情を出せず、最後にプツンと糸が切れたり関係がフェイドアウトしたことも何回もあり、友達が少ないのも、仕事が続かないのも、一般的な恋愛ができないのもこれが原因であることは自覚があります。

 

嘘をつくとか設定を作ると言っても、相手の利益にも不利益にもならないような些細なことで、今思い出したら『何のこっちゃw』って自分でも思うようなことですが、当時は大真面目でした。

例えば、気になっている人の家が少し遠いけど遊びに行きたいと思った私は『家に遊びに行っていい?』と聞いたあとに『友達が○○駅に引っ越してよく遊びに行くようになったから、友達の家で泊まった次の日にでも』とか、変な言い訳をしてみたり。

(○○駅は気になっていた人の家に行く時の乗り換え駅で、そこからうちに帰るのではなくて、あなたの家に逆方向だけど「ついでに」寄ってもいい?みたいなニュアンスで伝えたかったんです。ちなみに○○駅に友達が住んでいるというのは架空の設定でした)

もちろん、ついでという直接的な表現はしていませんが『別に必死で家に行きたい訳じゃないですよ』と、アピールしているつもりでした。

 

結局、相手にされませんでしたが(そんな変な駆け引きしたら当たり前かとも思いますが)そういう言い訳が、ある意味自分を救うことにもなっていたんですよね。

そうすることで駄目だった時の辛いとか悔しいという気持ちと向き合わないための予防線を張っていたというか。

 

何であんなこと言ったり、してたのだろう?と最近考えてみて、これってよっぽど自分が人との対等な関係の築き方がわからなかったのではないかな?と思っています。

必要以上に自分を下げて笑いを取ったりしていたことは前にも書きましたが

tari97.hatenablog.com

それと似たようなことなのだと思います。

 

「自分がどうしたいか」よりも、まずは「相手がどう思うか?」

そうやって相手の気持ちに先回りをすれば嫌われないだろうと思っていました。

相手にされないならまだしも、それを逆手に取り偉そうにする人もいて「対等な関係」がうまく築けず、こちらの都合は無視されたり、平気で失礼なことをされたり、正当な謝罪をされなくなることに繋がっていたのだと考察します。

 

前に、言わなくても良いようなことを友達に言われ、嫌な気分になった私はLINEでそれを伝え、素直に謝られて拍子抜けしたことを書きました(この友達はモラではないです)

tari97.hatenablog.com

よく考えたら「気を悪くさせてごめん」という謝罪が来るのは至極当然なんですけど…単純にびっくりしたんですよね。

『こんなに素直に謝る人、今まであまり居なかったな』と。

 

私が『そういうのやめて』と言ったり何か指摘しても

母:「なんで?」「ええやん、これくらい」

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モラハラの元親友M:「たりってそういうとこ(そういうのでわざわざ怒るとこ)あるよね~w」(バカにするような態度で)

オタク友達だったK:一応ゴメンは言うけどテヘペロ口調で「私ってそういうとこあるよねぇ」(すぐに自分フォローに入る)

tari97.hatenablog.com

 

おそらく、そういう態度を取る人には「たりになら、これくらい言ってもいい」というおごりがあったのでしょう。

周りにそういう人間が多く居たことも問題ですが、そういうことに『おかしくない?』と気が付けなかったのが一番恐ろしいです。

 

これは、前回も書いた、母の崇拝していた「心と心のぶつかり合い」のやり方をずっと誤って認識していて、長年それを当たり前だと思って暮らしてきたのが一番大きいと思います。

tari97.hatenablog.com

母との話し合いなり、喧嘩なりでこちらも納得して終わったことなんて、ほぼありません。

腑に落ちないまま『はい、そうです』と頷いたことなんて数えきれないので…

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変に取り繕ったり、不要な我慢をしたり、自分の感情を押し殺すことは、総じて正当な扱いを受けられなかった時のかわし方を身につけていただけと言ったところでしょう。

 

母のやっていたことは、話し合うでもぶつかり合うでもなく「一方的にやり込めていた」だけで、母の言う「話せばわかる」は「圧力をかけて黙らせる」だっただけですが、子どもの頃からずっとそれが人との関係の築き方だと思っていたので自分が我慢すれば丸くおさまると思ってしまうのは毒親育ちあるあるでしょう。

 

「対等な立場で接し」「相手に落ち度があればきちんと謝罪される」ということが、もはや驚きの対象なんですよね。

本来、親子・友達・同僚・恋人関係なく人と付き合うにあたりそれって基本中の基本であり、それを教えるのが親の役目のひとつだと思うのですが…

 

相手を思いやっているようで自分が嫌々やっていないか?我慢していないか?を自問自答し、無意味な自己犠牲はやめて行きたいと思います。

 

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