もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

子ども=かわいい。子ども+親=なんかざわざわする

ずっと私は「子どもが苦手」と思っていたけれど、多分「子どもと親がいるのを見るのが苦手」なのかも、と最近気が付きました。

事実、家のすぐそばには保育園があって、数ヵ月仕事をせず家にいてわかったのですが、昼間は元気に遊ぶ子どもたちの声がものすごく聞こえてきます。多分、本当に子どもが苦手とか嫌いな人だとそれだけでも受け付けないのかな?と思うのですが、それはもう楽しそうな声がしているので、ちょっと見に行こうかな?と思うほどなんです。

ただ、そばを通ったときに「お迎えの時間帯」だと、急に胸のあたりがざわざわするんです。

 

保育園に限らず、駅やスーパー等でも無邪気な子どもに「親」がくっついている状態になると、途端に苦手な存在になります。多分この理由は「親子のやりとり」にやたら敏感に耳を傾けてしまって、しんどいからかな?と思いました。

 

親が子どもの言うことに返事をしてあげて、優しかったら嫉妬するし、子どもがちょっと何か言っても機嫌の悪い親や、全く子どもの言葉に耳を傾けないみたいな親だと、幼い頃の自分を見てるみたいでつらいのです。

どちらにしても「親と子」っていうセットが無理なのだけど、それなりに成長している子どもだと平気です。

ようは外を「1人で歩かせるには早すぎる」くらいの年頃までの親子連れが苦手です。となると、大体小学校にあがるかあがらないか、くらいの年齢になってくると思うのですが。まだそのくらいだと、例えば病院の待合とかでも、1人で時間つぶすのは難しいかな?くらいの年齢で、親に構ってほしそうに話しかけたりしている子もよくいます。

 

そんな中、わりと小さくてもキッズスペースで黙々と遊んだり、待合椅子に座って静かに本を読んでる子もたまにいます。そういう子を見ると安心します。構ってほしそうな子どもの顔も、めんどくさそうにあしらう親も見なくて済むから。

 

そりゃ、毎日毎日子育てしてたら、そんなに子どもの言うことにも構ってられないだろうし、そのお母さんだって今たまたま素っ気なくあしらっただけかも知れません。

けれど、普段のそこの親子関係を私は知らないので、たまたま私の目の前で切り取られたその親子の一瞬と、自分の幼い頃に「モヤッ」っとした瞬間が重なると、すごくしんどいんです。あ~あ、こういう親がいるから…みたいな気分になってしまいます。

 

私の幼い頃は公共の場ではおとなしく、先ほどのキッズスペースで黙々と遊んだり、椅子に座って静かに本を読んでるタイプの子でした。だから、自分の中ではそれがデフォルトで、幼い頃からギャーギャー喚いている子を見ると、白けた目で見ていました。そんなことしたら、母に何言われるかわからない!というのを物心ついた頃から悟っていたので。

だから、騒いだり暴れたりしてもさほど怒られない子を見ると「マジで?」みたいな、複雑な気分にもなり、これもまた疲れます。ある種の嫉妬なのかも知れません。

 

最近、最寄り駅に新設された施設があらゆる場所にベンチが設けてあり、ちょっと時間をつぶすのにピッタリなんです。ある日、そこで座っていたら、ちょうど私が苦手とする年頃(3歳か4歳くらいかな?)の女の子を連れたお母さんが隣に座りました。私は、音楽を聴いていましたが、真横の親子の会話が聞こえてきます。とっても優しいお母さんで、聞いてるとつらくなってきて、そこを離れるまではまだ時間があったので、結局2人の声が聞こえないくらい音楽のボリュームを上げ、時間をつぶしました。

これについては、まだまだ私の中での「何か」が消化しきれず残っているのだろうか?

 

子どもが「嫌い」ではないけれど、子どもを見ているとたまにそうやって自分のトラウマ?が頭をよぎり、複雑な気分になるところを見ると、自分の子はやはり産まなくてよかったんじゃないかなと思います。

元々、子どもを産み育てたい願望は昔から薄かったし、今後も産みたいとも思いません。

では、そんな私に姪(姉の子)が産まれた時は、どうだったか?というと。

 

続きはまた次回。