もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

物は試し◆共依存への挑戦

※親のせいでお金に苦労してきた方が読むと胸糞悪い記事になるかも知れません。

実家にいた頃、母は「お金」で私を繋ぎとめておこうとしました。

かたや私は、薄給なのに現実逃避のためにアイドルにつぎ込んでいたけど、母の言いなりにさえなれば、そこそこの贅沢はできていました(ただ、くだらないポリシーですがアイドルのチケットや交通費を出してもらったことはないです。そこだけは私の「聖域」として、他人に金を出してもらうことは汚れる感じがして嫌だった)

ただ、だんだんと母の束縛が酷くなりキ〇ガイじみてきたので『そんなにお金はいいから、もう少し人の気持ち考えてよ』という主張も何度もしました。

けれど、もちろん母も「何が悪いの?」という感じだし、今現在それで過ごせてることを「じゃあこうしましょう」とはなかなかいかず。職場での「これ、こう改善した方がいいのに」と思っても仕事が回ってれば「まぁいいか」と何となくそのままになってしまってる、でもずっと気にはなってる、そんな感じに似ています。

 

『母の束縛が嫌だ』という内なる叫びを無視し、諦めと甘えの中、逆に『金銭的に依存できるところまで依存してみよう』と考えました。ようは母を「金ヅル」と思い、それで私の精神が保てるかを試した訳です。

母同行で何万もする服を買ってもらったり、無意味に高いランチを食べたり。あれだけガチガチの生活を強いられてるんだ、これくらい貢がせても罰あたらねーよ、と。
言ってみれば「共依存への挑戦」を図った訳です。もし、それで利害関係さえ一致すれば一石二鳥ですから。

それでもね、だめでした。

私はどうしても、束縛や押し付けをいくら積まれても我慢できない人間でした。

お金で、魂を売れる人間ではなかったのです。そのことにもっと早く気付くべきでした。

 

母に買ってもらったブランドバッグを持ち、何万もする服で着飾っているけど、精神状態はボロボロ。見てくれは良くても、自信はないし他人ばかりを羨んで何も楽しくなかった。その頃はイライラした気持ちを、ネットの掲示板で人を叩くことでストレス解消して気持ちを保っていました。今思うと、私の叩き方は異常だったと思います。でも、当時は本当にどうしたらいいかわからなかった。

今は、カバンも服もネットでセールになった時に買った超安物です。けれど、人を羨むことも、僻んだり妬んだりもない。『人間ってこんなに平和に穏やかに暮らせるんだ』と、毎日感じています。

 

ただ、別に後者を推奨する訳ではないです。

今はお金がないので、正直笑ってられる状況ではありません。

バカだな~親の言いなりになってりゃいいのに!と思う人もいると思います。そこは、好き好き。

私がこの記事で伝えたいのは『とりあえず1度気の済むまでやってみては』ということです。

正直、やる前から薄々私はそういう人間だって気付いてはいたけれど、やってみてダメだった!と思うことでもう気持ちがブレないのです。

その上で、節約生活でも、母と離れて暮らして誰にも縛られずに何年か暮らしたので、わかったわけです。

そんなこと、やらなくてもわかるでしょwと思うかも知れませんが、人間やっぱり楽な方に居たいし、染まっている間はそれが「当たり前」「こんなもん」と思ってしまいます。自分のことって実は自分が一番わかってないのかも知れません。

だから、もう一度あの生活に戻れるとしても実家に戻ることなんて絶対したくない→なら頑張って働こうと、道筋が見えるから、無駄ではなかったなと思う訳です。

『やらないとわからない』めんどくさい性格なのは、自覚しています…。