もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

毒親あるある①

両親にとっての「当たり前」が、大人になってからおかしかったことに気がつくのも、毒親あるあるではないかと思います。
若い頃はそれを真似ていて、大人になって「あれ?」と感じたり、後になって「周りからおかしいと思われてただろうな」と気付くことも多々あります。

先日、某質問サイトで親が社会的にルール違反のことを堂々としていて、子どもなので善悪の判断もつかず従っていたけど、大人になっておかしかったんだと気付き、今になって恥ずかしいし辛い というような質問を見かけました。

ざっくり紹介すると
・大人料金がかかるところをまだ小学生と言ってごまかす
・ドリンクバーを回し飲みする
・持ち帰ってはいけない備品を持ち帰る など

それを見て「あ、うちも日常的にやってたな」と思い出しました(苦笑)

大人になって、家族以外と出かけた時に、ほとんど「いや、ルール違反やん」と自分で気がつけましたが、日常的に触れる機会がないことについては、毒親の教えのまま大人になってしまっていることがたくさんあります。

そういう行動だけなら、もし間違えたことをしても周りに言われて気付くこともできるけれど、長年「当たり前」として植え付けられた考えというのはなかなか自分で気が付かないし、気が付いたとしても今までの自分が「間違ってたのか?」という疑いを持たないといけないので、それもしんどい話です。

「朝、起きたら顔を洗う」「ご飯の前にはいただきますと言う」と同じくらいのレベルで染み付いてしまっているので、歳をとればとる程「今さら」になるんですよね。

幸い、上に書いたようなプチルール違反みたいなことは両親も「ほんまはあかんねんけど」と付け加えていたし、母なんかは特に外面は良いので「外でしたらあかんで!」とか言ってたので、気をつけてはいたのですが(それでも気がつかずやってしまって、ドン引きされていたことも、きっとあっただろうな…)

世間ではおかしいこととされることも、大人になるまで触れる機会がなかったため、ある時外で発言したときに、友人にドン引きされたお話を、次回書きたいと思います。