もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

ブログを書く目的

毒親問題に向き合うようになってから、かなりの数のブログやメルマガ等色々なものを読み解毒の手助けになったものがたくさんあるのですが、最近少し感じたことがあります。

 

とある毒親関係について配信しているメルマガがあるのですが、それを最近読むとなぜか毎回モヤっとした感じがあってやっとその理由がわかりました。

 

そのメルマガの文章は、とにかく

 

悪いのはすべて毒親なのです

あなたは何も悪くないのです

あなたがこうなったのは、全て毒親のせいなのです

 

的なことを強く主張し

だから自分を責めたりしなくて良い、ということも謳われていて

 

確かに、私自身もずっと『私はダメな人間だ』と、自分を責める傾向があったので

tari97.hatenablog.com

この手の文章にはずいぶんと助けられた経緯もあります。

解毒に関してはすごく有効だとも思います。

 

実際、母には私にとって「悪い」と感じる部分がたくさんあったし、母に「アンタが絶対に悪い」「アンタが100%間違えてる」と、数えきれないほど言われてきた中で、後になってよくよく考えてみて『やっぱり私は悪くなかったやん!!』ということがほとんどだったのも確かで。

 

けれど、私と母の間に起きた衝突やどうしてもわかり合えなかったことの中には「どちらが悪い」では片付けられないこともあって、ずっと母の「アンタが悪い」「アンタが間違えてる」という言葉を鵜呑みにして苦しい思いをしてきた中で、ブログを書き始めて、私が全て悪いわけではないことは確かにわかった…でも、かと言って親が全て悪かったか?といえば、そうではないこともわかったのです。

このブログを書き続けることで自然にそれに気が付いたというか、そもそも何もかもを、悪い・悪くないでジャッジすべきではないような…?という感じかな。

 

だから、あまりにもそのメルマガの

あなたがこうなったのは、み~んな毒親のせい!

毒親が、何もかも悪い!!

というだけの言い回しには、疑問が残ったのだと思います。

 

おそらく「毒親に対しては、それくらい強気で行かなあかんよ」ということなのでしょうが、私としてはもう一歩踏み込んで行きたいなと思う訳です。

もちろん、全て毒親のせい!!全て毒親が悪い!!で、気持ちがスッキリするならそれでいいと思います。

ただ私がそれだけでは納得が行かなかっただけの話で『私や家族がこうなったのは、母親が全部悪い』で終わらせてしまうのは「開き直り」みたいな気もして、あまりやりたくなかったのです。

 

毒親だけが「悪」、マトモな考えを持っていた自分が「善」

おそらく、ほぼ100%に近い確率で、そうではあるのだけれど、そうやって決断して、はい終わり!は、それこそ毒親の二極化思考と結局同じことなんじゃないかな?と思う訳です。

tari97.hatenablog.com

おそらく、これが読みながらモヤっとした気持ちの正体です。

 

もちろん、母のおかしかったところ、不快だったことを許す気なんて毛頭ありません。

母がああなったルーツがわかったところで『仕方ないよね』なんて、擁護する気もありません。

自分の辛かったことや心の傷を、目を背けて向き合わないで毒親になったのは、母自身の責任ですからね。

 

このブログのテーマは「母親が、毒親だった」まずそれを認めてじゃあこれからどうする?という方向性なので、どうも、全て毒親のせい!!全て毒親が悪い!!はいおしまい!!みたいに片付けようとするそのメルマガがしっくり来なかったのだと思います。

 

もう少し、メルマガは読んでみるつもりですが、また思ったことがあればお知らせします。

 

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