もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

「他人サゲ」さえも親孝行になる

幼い頃から母の機嫌を取る為に、おおげさに感想やお礼を言ったりとかはしていましたが、20代の頃は特に『母が喜びそうだな』という言葉を選んで話す傾向がありました。

とにかく、機嫌の悪い母を見たくない一心で

母が機嫌よくいてくれるなら、自分の思っていることを押し殺してでも母の喜びそうな言葉を口に出すようにしていました。

 

特に母は『ごはんがおいしい』と『この家に住めてありがたい』『(私は薄給な割に)不自由なく、暮らせてる』みたいな言葉には、すごくご満悦でした。

そこまでで済めばいいんですけど、わざわざ「他者をサゲることで、母に優越感を持たせる」というのもやっていて、今思うとそこまで洗脳されていた自分に、何とも言えない気持ちになります。

 

 

私が20代の頃、一回りくらい年上のいとこの姉の「サヨ」が、職を転々としてプラプラしており、それを聞きつけた母はサヨちゃんみたいになったらアカンのやで!プラプラしてたら後で困るんやで!とかなり言っていました。

サヨはその頃30代半ばで「サヨちゃん結婚もしないで、どうするんやろ」ともよく言っていました。

 

ある日、サヨの家に行く用事があって、サヨのお母さん(私からしたら伯母)も「いつまでもプラプラして、結婚もせずに…」と嘆いていて、私は『多分ここでこう言えば母が喜ぶだろうな』と思い『私は、25くらいで結婚するねん。今はその為のお金を貯めるとき(サヨとは違い、しっかりしているでしょ的に)』と言うと

母は「ようわかってきたやろ、この子も!」と、伯母に向かってドヤってました。

(当時私は契約社員ではあったけど、かなり手取りは良かった)

そう言うことが、親孝行だと思っていました。

 

けれど、私別に結婚願望なんて全くなかったし

お金よりも休みが欲しかったんです

 

わざわざそう言って(&サヨサゲをして)母を喜ばせることで、自分にも言い聞かせようとしていたのかも知れません。

 

 

その数年後『婿は諦めて下さい』宣言をした訳ですが

tari97.hatenablog.com

 

母は今度は私と2人で暮らして行くと勝手に決めて、どんどん干渉と束縛が激しくなっていき

私は自分がどうしたいか、何をして生きていきたいのかなんて全くわからず

もうとっくに母と暮らすことの限界は超えていたはずですが、何とかかんとかアイドルに依存することで気持ちを保っていました。

 

そんな中、近年オタク活動で一番散財した年が家を出る1年前でした。

私ももうヤケクソに生きていたので

現地でぽーんと何万も出して『明日の公演増やそ』みたいなことをやったのです。

(元々お金には慎重なため、いつもはそんな無鉄砲なことしません)

 

親のお金を直接使った訳ではないにしろ、私の少ない手取りでそこまでできるのは、金銭的に母に依存しているからということも明確でした。

 

その時のチケットは倍率が高く、何公演も入る人はそれなりに財力のありそうな人たちで、私もその中に混じって何公演も観て帰りました。

 

帰ってから母に『今回の公演はお金に余裕があったから助かった。(チケットのないかわいそうな人達と違い)私はこっち側の人間なんだ~と思った(笑)』みたいに「お金のない人サゲ」をしつつ言うと

 

母は何て言ったと思います?

 

「(恵まれていることが)やっとわかったか!」

(すみません、自分で書いててだいぶ胸糞悪い)😅

 

やっぱり、私と母の関係も、当時の私の思考も、マトモじゃなかったです。

 

レアな公演にたくさん入れた。

母も喜んでいるし、これでいいんだ…と、これもまた自分に言い聞かせようとしていたのだと思います。

 

 

自分の気持ちに嘘をつく、と言うのは自分が思っているよりも大きな傷跡を残します。

確かにあの公演にも入れた、贅沢もできたとも思うけど

あそこまで精神的に母に捧げた約10年のことを考えると、やはり悔やんでも悔やみきれない部分が多々あります。

もう一人の自分

前に書いた、幼少期の「現実の嫌なことをやらなくていい自分と、やらないといけない自分」の感覚はいつしか消えました。

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じゃあ「もう一人の自分」は消えたのか?というとそうではなく、大人になってからは恋愛関係で「もう一人の自分」が、よく出てくるようになりました。

 

 

一時期、異性と深い関係になればなるほど「何やってるの?」と冷めた「もう一人の自分」に見張られている気がして、どうも恋愛にのめり込めない時期がありました。

異性といると「もう一人の自分」がそばで見ているようで、特に体の関係を持つのが苦手でした。

 

けれど異様な自己肯定感の低さから、お金か体かぐらい差し出さなければ私に何の価値が?と本気で思っていたので(今でもちょっと思う)

金でどうこうできない私は体の関係を持つことで異性を繋ぎとめておこうという傾向もありました。

体の関係を持たないと価値はないと思うのに、いざそうなると「もう一人の自分」がそばで「何やってるの?」と見ているようで苦しいんです。

アレルギーだとわかってるものを食べて、苦しんでいるようなものです (笑)

男性から酷いことをされたとかではなく、恋愛が苦手になったのはこれが原因だと思います。

 

で、恋愛がしんどいことに嫌気がさした頃にもう一人の冷めた自分を唯一消せる方法を覚えたのがアイドル依存でした。

ライブ中は、頭が空っぽになって、今自分の見ているもの・聴いているものが世界の全て!みたいになる感覚がとにかく楽しかった。

ライブ中には「もう一人の自分」はどっか行っちゃうんです。

ただ、ライブという魔法は2時間半ほどで解けてしまいます。

終わるとまた、冷めた「もう一人の自分」が出てきます。

 

下の記事にも書きましたが、こんな感じで一見キャーキャー言って楽しそうでも、健全な精神状態ではなかったなとは自覚しています(笑)

tari97.hatenablog.com

 

 

現在も含め、大人になってからの冷めた「もう一人の自分」は、何かと「ツッコミを入れてくる」みたいな感じです。

私の頭の中ではいつも一人ですごい冷静な「漫才のような掛け合い」が繰り広げられている、そんな感じ。

 

けれど、そういうすごく冷めた「もう一人の自分」が、ある意味自分を救っているのかも?と思う時があります。

 

私はふとした瞬間に、消えていなくなりたいと思うことが多々あります。

具体的にこうやって死のうかとか、そういうことではなくて

『こんな人生だったらいっそのこと時間を巻き戻して、産まれたことをなかったことにしてほしい』みたいな感じ。

 

実際、ビビりな私は自殺未遂とかそういう類のことはしたことはないし、自己を破壊する行為も怖いのでしたことはありません。

それに加え『死んだところでどうするの?』という冷めた(良く言えば冷静な)もう一人の自分からのツッコミが入るので『ですよね』で「消えていなくなりたい願望」は、完結するんです(ただそれを何度も繰り返しているw)

 

アイドルに依存していた時代は、2時間半の魔法に全身全霊で挑み、日常は死んだように暮らしていました。

今は、その魔法にかかりに行かなくてもいいくらい、マイルドに生きることが目標です。

ブログもそのための作業であって

どうせ生きて行くなら、ゆるりと生きようと思って、色々考えているだけです。

 

生きたい!というキラキラした希望があるのか?と問われれば、答えはNOです。

『どうせ生きるなら』という精神で過ごしているだけ…別に死にたくもないけど、生きたくもないみたいな感じ。

 

そんな感じでしか結局生きられないのは、やっぱり「もう一人の自分」のせいなのかな?

「もう一人の自分」の消し方はどうやってやるのだろう??

一生、付き合うしかないのかな🙄

母は、他人との関係の構築を妨害するタイプです

母の嫌いだったところで、私が家に友人を連れて行ったりしても、自分の機嫌が悪かったり何かが気に入らないとせっかくの友人との時間をぶち壊す というのもあります。

毒親あるあるですかね?

 

実家は交通の便が悪くあまり友達を呼ぶこともなかったですが、たまには私の家で遊ぼうということもありました。

 

ただ、ちょっと盛り上がってうるさくしてしまったり、私の部屋は2階なので何かを落として下に響いたりすると、リアルタイムで母が下から怒鳴ってきたり、部屋に入ってくるんです。

今思えば、何でそんなヒヤヒヤしないといけないのに友達を呼んでたのかな?とも思うんですけど。まぁ、当時は今ほど娯楽施設もお金もなかったですしね。

 

確かに、うるさいとか不快なのもわかるんです。

ただ、怒鳴ったり怒ったりは友達が帰ってからでよくない?とずっと思ってました。

 

高校~短大時代によく友達を連れて来てたけど、母は時々そうやって友達が「何、このお母さんw」と引くような絡みをしてくるし

ちょうどそのあたりに自分の母がおかしいんじゃないか?ってことにも薄々気付き始めてた時なので、恥ずかしいなぁとずっと思っていました。それでも、親がおかしいってなかなか認めたくないし、他の家の子がやってることを自分も同じようにやりたい(友達を気軽に招きたい)とも思ってしまうんですよね、子どもって。

 

仲の良い友達は、だんだん「たりのお母さんはこんな感じ」というのがわかって、扱いを覚えてはくれていたのですが

どんどん母の私への干渉が酷くなってきた頃は、友達が遊びに来てても、お構いなしに私を呼び付けて、家事をやれとか言い出すようになったのです。

 

私も急に連れてきた訳ではないし『〇日から〇日、〇〇ちゃんが泊まりに来るけどいい?』と、必ず母の承諾を得てから来てもらっていました。

なので、その間は私は「来客中」のはずなのにいつも通りの家事(食事以外全部)やれって言うんです。

結局、私が家事をしている間、私の部屋に友達がほったらかしの状態になってしまい何のために泊まりに来てるかわからなくなったので、実家に泊まりに来てもらうのはやめました。

 

口では「〇〇ちゃん来るんやね♪」と楽しみにしている感じなのに、いざ来たら何かめんどくさそうと言うか、嫌々おもてなししている感も好きではありませんでした。

母はいつも何となく外部の人やものを拒絶する感じがあったし、家は自分の一生を掛けた「聖域」みたいなものだったのでしょう。

何となく「他人に立ち入られるのを嫌っている感」は、幼い頃から感じていました。

tari97.hatenablog.com

 

こういったことは数えきれないほどあるし、姉もそういうこと何回もあったと時々盛り上がるのですが

私が友達関係で人生で一番嫌だったエピソードが、中2の夏休みのことです。

 

夕方から友達含め4人で花火をしてちょっと遅くなってしまって、私の家が一番遠かったのであとの3人が申し訳ないからと私の家まで送ってくれたのです(もちろん携帯は持っていません。電話しないとやばいかな?とは思いましたが公衆電話までもすごい遠かった)

 

すると、カンカンに怒った母が玄関先に出てきて「待て!待たんかい!」と3人を引き留め、思い出すだけでも恥ずかしいですが、30分くらい家の前で説教されました。

 

私は『うわ、怒られる!始まる!』と察知したので『遅くなったから、3人が送ってくれてん。3人共は家が近いから、心配ない』と先に説明しても、もうそのモードに入っている母には聞こえず(内心、聞こえないふりしてみんな帰らせたらよかった…!と悔やみました)

 

心配だったのはわかるんですよ。

ただ、結局そこで30分ほども足止めをくらうと、この子たちがもっと遅くなるとか、「たりのとこのおかん、頭おかしくね?」みたいに思われて、私の顔が潰れるとかは、全く考えなかったのかなぁ。

 

もう、母があのモードに入ると何言っても聞こえないんですね。

今思うと、病気ちゃうか?と本気で思います。

「私がアカン言うたらアカンのじゃ!」

母のこの理論、大嫌いだし、何事も『言い方ってもんがあるでしょ』と。

 

「今何時や思とんじゃ!」と怒鳴り散らす姿は、まるでヤ〇ザのよう…

好意で送ってくれた友人にも、その後合わせる顔がありませんでした。

 

怒り狂う母を見て、友人たちが固まっていた光景…今でも忘れません。