もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

正当な怒りと理不尽な怒り

私は、あまり怒らないタイプです。それは怒ることが嫌いだからだと思っていました。

でも多分嫌いと言うより苦手なんです。怒る勇気がないのです。

 

子を叱るのは親としての義務であり、ある程度は当然のことです。

「叱られる」のはまだわかる。でも母の場合「怒る」なんです。

私はこのブログでも母に「叱られた」という表現は、わざとしていません。

母の機嫌の良し悪しで同じことをやっても怒られたり怒られなかったり、何が正解だったのかが未だに分からないから

母がブチ切れて怒鳴っていたこと、どれを思い出しても『そうだよな、親として叱ってくれたんだな』と思えることがほとんどなくて

何であそこまで言われなあかんかったんやろ

何であんな風に言われなあかんかったんやろ

今思い出してもそう思うことしかないんです。

 

そんな母を見てきたので怒るってみっともないという感情があるのです。

だから、上手に怒りを表現することができません。

tari97.hatenablog.com

それでも人生で数えるくらい、絶対に譲れないことは意を決してブチ切れたことがあります。

どうしても譲れないうちの1つが、趣味(好きなアイドル)のこと。

あなたの応援方法は間違えていると言われたみたいに聞こえたことに関しても苦言を呈したことがあります。

tari97.hatenablog.com

 

昔、推しの出ている公演で東京に滞在していた時、どうしてももっと公演に入りたいと思い現地でチケットを探したことがありました。

もちろん転売もされていたけど、気軽に買える額でもありません。

そんな時あるオタク友達とメールしていると、偶然明日のチケットを2連番で持っていると教えてくれたんです。

友達は上乗せして買ったらしく、わりと席も良いので『予算は〇円で、その値段は出せないから他探すね』と言うと「たりちゃんの予算の額払ってくれれば譲るから一緒に入ろう」と。

私の予算内では最後列でも手に入りづらかったので、その席だとかなり贅沢だけどいいの?と何度も確認して譲って貰えることに(多分同行予定の人にドタキャンされたか何かでその子も困ってたんだと思う)

翌日約束通りに合流、開演時間も迫っていたのでその子について行き、入る寸前にチケットを渡されましたが、もぎられる瞬間目を疑いました。

最初に聞いてた席よりかなり後ろ(と言うか最後列)だったんです。

まあ私の予算では買えても最後列が関の山だったから妥当っちゃ妥当なんですが、聞いてた席と全然違うのは、は?何で?です。

しかも、もぎるギリギリまで渡さないで騙し討ちみたいなやり方。

公演前に喧嘩とかしたくないので、お代は払い問い詰めたりもせず終演後はすぐに帰ったんです。

私もかなり気が動転していました。『友達に騙された?』と。

 

夜になり「怒ってる?」という連絡がきたので『いや、怒ってる?じゃないよね。自分のやったことわかってる?一般的に言えばこれ普通に詐欺だよ。もぎるギリギリまで渡さないのもおかしいと思ったけど、それは確認しなかった私も悪い。でも、友達だから信じてたし。言ってた席より後ろだったこと、ちゃんと説明して』と入れると「実は私も騙されたんです」とか何とか。

今更言っても仕方ないし、公演に入れたのは事実なので『あなたを騙した相手は嘘ついてまでも、お金が欲しかったんだね。可哀想な奴(笑)そんなはした金なら、払ってやるけど』←その時はその友人が私を騙した可能性もあったので、あてつけでそう言いました

続けて

『チケットの取引で自分の求めてるものと相違がないか確認するなんて大人として当然のことだけどね』

『公演に入れたことは感謝します。でも今回のことであなたへの信用がなくなりました。今後はもう連絡してこないで』とはっきり(メールですが)言ってやりました。

 

自分でも言い方キツいなと思ったし、友人関係も終わりだと覚悟もしました。

でも結局平謝りで、もう1度仲良くしてほしいとかせっかく友達になれたからとか、相手が私を悪く言うことは全くありませんでした。

私は気持ちを挽回できるタイプではないのでそれっきりですが『ここまで言われてもまだ何で下手に出るんだろう』『腹立たないの?』と、不思議で仕方なかったんです。

 

でも最近わかってきたのは、私の怒りが正当な怒りだったからかなと思います。

虫の居所が悪いからとか、自分が偉そうにしたいからとかそういう気持ちで言ったのではなく、かっこつけたりとか脚色をせず全て素直な気持ちで表現をしたから、例えそれが怒りという負の感情でも、相手にもきちんと伝わったんだろうなと思います。

今思い出しても『怒って当然だよな』とも思うし。

 

おそらく、母に怒鳴られたことが十数年経った今でもどうしても納得がいかないのは理不尽な怒りしかなかったからだと思います。

 

それでも、余程のことがないとまだ怒りを他人に表現することに躊躇してしまいます。