話せばわかる!
これも母に何回も言われて大嫌いだった言葉です。
母の言う話せばわかる!は立場が上の者が下の者を力でねじ伏せ黙らせるということ。
だからずっと私は人との話し合いになんて意味はない、と生きてきました。
外でも我を通したり意見を言ったりしないのは、スマートにふるまいたいからではありません。意見が分かれた時、話し合いで何とかなるなんて思ったことなかったからです。
そのせいで失敗したなということがあります。
高校時代、家が近所だったマユと一緒に通学していました。
マユとは家が近くなので中学3年間一緒に通学しましたが本音を言うと私は嫌気がさしていました。
何となく波長が合わず、出来事を羅列するだけの小学生の日記みたいなマユの話を面白いと感じたことも1度もありませんでした。中学卒業でやっと解放される!と思ったのもつかの間、同じ高校に行くことに。
朝だけ近くの停留所から始発のバスが出るので、それを逃すと遠くのバス停まで歩かないといけません。別のバスに乗るという選択肢がないので、結局毎日渋々一緒に通学していました。
どうにもこうにも嫌気がさしたある日、私は先にバスに乗り込み最前列の1人掛けの席に座りました。いつもは2人掛けの窓際に先に私が座るのに、その日黙って急にです。感じ悪いですよね。
でも私には他に方法がわからなかったんです。
『たまに1人で行ってもいい?』
たった一言、マユにそう訊くことがどうしてもできませんでした。
そんなこと言おうものなら縁が切れるも同然だろうなと思ったんです。
これは母におうかがいを立てて、じゃあこうしよう等譲歩したりお互いの意見を出し合い話をまとめるということ自体が家では存在しなかったことによる、思い込みの末の行動でしょう。
つい最近も身に染みて感じたことがありました。
今のメイン職場は、前にも書いたようにブラック臭がすごいんですが人柄と報酬だけで何とか続けています。
そのブラック臭の根源は、いい大人が何人もいてここまでほう・れん・そうのできない会社、ある?というところです。「言わなくてもわかるやろ」「やってくれるやろ」そういう空気感があって、それに耐えられない人はすぐに辞めるので、離職率も高いわけで。
念願叶って完全在宅にしてもらえたので、腹が立っても前ほど引きずることはなくなりましたが、ほう・れん・そうがなさすぎて業務が回らなくなってきたため、社長に意見を言ったんです。
単なる愚痴にならぬよう、数字や実例でこういう問題が起きていると説明をすると劇的に改善がされました(できるんかい!)
その後、社長と電話で話した時「教えてくれてありがとう」「言われなきゃ、わからない人たちばっかりやから」と言われ、私もハッとしたのです。
ハッキリ意見を言うとか、知らない・わからないと言うのが苦手なので、どうしても自分で調べ回って人に尋ねる前に何とかかんとか解決をしていました。それが「ほっといても何となくたりさんがしてくれるやろ」みたいな空気を助長させていたのかも知れません。しなくていいことにまで頭を突っ込んでいた気もします。反省しました。
言わなきゃわからないこともある
実例や数字で事実を伝えることは、愚痴でもワガママでもない
伝えることは悪ではない
アラフォーにもなってやっと身をもって学びました。
しかし全てうちではまかり通らないことでした。
母の思い通りでなければ全て、反抗・反論・口ごたえ・言い訳・生意気・裏切り等と取られ、何様のつもりやと返されてきました。
更に主張をすると、親に向かってなんやその口の聞き方は!と、今度は態度や言い方に怒りの矛先が向きます。この時点でそもそもの話し合いの議題なんてどっかに行ってしまって、母の目的が「子供を黙らせ従わせる」ことになります。
お願いします、という姿勢でも「こっちはもっと大変だから」と理由になってないことを理由として通され、母の意見が正当化されます。
出る杭は打たれる
手も足も出ない
ああ言えばこう言う
独裁的な毒親のもとで育てられればこれが当たり前。
このような環境で育って来た者の「話し合い」の概念が歪むことは、今思えば当たり前のことです。でもそれでこちらが嫌な思いをしたり我慢しすぎたり軽んじられることはあってはなりません。
歪んだ概念をアップデートすることで自分を守っていきたいと思います。
スター、コメントありがとうございます。