母と暮らしていた頃、母の相手の気持ちを全く考えないところや、何でもすぐに決めつけ、自分の意見は絶対に間違えていない!と曲げないところなどが一緒に暮らす上でかなりストレスになっていて、それでも私は母と暮らせるなら暮らしたいと思っていたので『話せばわかるはず』と根気よく話し合ったつもりでした。
しかし結局母のそういう部分(ほかにも色々あったが)は、改善されることはなかった(と言うか、気をつけるねという姿勢すら母からは1ミリも感じられなかった)ため、家を出るという最終手段を取りました。
家を出てすぐはもう過去を振り返りたくはなかったし、私の十数年分の溜まりに溜まったストレスも何とか騙し騙し生きていればそのうち母も死ぬしなと思っていましたがたまに顔を合わせると母は空気の読めない発言をするし、今すぐスパッと母が死ぬ訳でもなく『何で私や姉ばかりが、言いたい事も飲み込んだまま何年も暮らさないといけないのだろう』という気分にもなり、声を上げる事はしても良いかなと思うようになったのがここ数年の心の変化でした(母が理解できる・できないは別として←ここ大事)
母にいろんな事を伝えるうちに、だんだん「大げさすぎるくらいに表現しないと母には伝わらないみたいだ」という事がわかってきたのでした。
それが前回の記事になります。
似たような事で、未だに母は姉に「たりは1人でキレて出て行った」「話せばわかるのに!」みたいに話しているのも姉から聞いて知っています。
しつこいけど、私はやはりそれを言われていることがどうしても気に食わないのです。
別に母が心の中で思うのは勝手ですが、それを絶対に私の耳に入るのに姉に話すのでバカなの?なんですが…
たり:あと「話せばわかるのに」と、まだ姉に言ってるらしいけど、こっちのセリフです。
当時、話し合いにすらならなかったのは母さんの方。普通の親ならまず聞く耳を持つ。
なぜ1人で暮らしたいの?家や家族に不満があるの?理由を聞くよね。
母さん理由聞いた?ハナから「あかん」だったよね。
そしたら強行突破するしか選択肢ないよね?
何が立つ鳥跡を濁さず!だか。濁さなくていいなら濁したくないよ私だって
30年弱、物心がついてからずっと母を恐れて生きてきたので、これくらいの事をLINEするにもまだおどおどする時があります。
私も母と話し合ってもらちがあかないことはもう何度も痛感してきているし
こちらが大人になって、やり過ごせばいいんだ…と思っていました。
なので、こうやって声を上げることには色々な葛藤があり未だに躊躇するのも事実です。
母が死ぬまで騙し騙し生きていけばいいやんという気持ち半分、言ってやらないと気が済まないという気持ち半分という感じ。
そういう時、とにかく自分の心に正直に従う事をモットーにしています。
言いたければ言う
残念ながら毒親育ちにとっては、こんなシンプルなことすら簡単にはできないのです。
もちろん、意見をする上で「わからせたい」という気持ちは絶対に持たないことにしています。
わかるような親なら、そもそも毒親になってないという結論がもう出ていますからね。
少しでも、自分の気持ちを昇華させてあげる、我慢してきた思いを成仏させてあげるというだけのこと。
しかし、母に今みたいに意見をすることを、私も姉もやっと恐怖心がなくなってきたものの本能的に「母を怒らせてはならない」と十数年刷り込まれたものが母に意見する時の " グレー " な表現・やんわり伝える・オブラートに包む・時々フォローを入れてしまう言動に繋がっていたので、どうも伝わらないというか『そうじゃないんだけど』という方向に話が進む理由もやっとわかった訳です。遠回りしんど。
ちなみに定期的に釘を刺す事で母自身の態度が変わっているのも感じています。
ですが、さっき書いたLINEへの返信は「忙しいアピール」で逃げた母親。
こういう時の逃げ足だけは異様に早い。
それでもまた何か感じた時は、私は声を上げます。
自分の心に、正直に。
何かあればこちらへ