もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

母に足りていなかったもの

最近、家で過ごす時間が増えたので色んな動画を見ているのですが

楽器を演奏する系の動画が好きで見ていた時に関連動画にピアニカの動画が出て来ました。

 

クリックこそしなかったものの、またこれで少し嫌~な気分になりました…

ピアニカと聞くと、また必ず思い出す昔のエピソードがあります。

 

私のブログに共感して頂いている方は、親から金の無心をされたり、悪い住環境で育てられた方は少ないかな?と思っています。

私も特別裕福な訳でもなかったけど、それなりに良い暮らしをしていた方だと思います。

けれど、何でもかんでも欲しいものを与えられた訳ではなく、買ってもらえずに悶々としたことだってたくさんあります。

 

そのひとつが「ピアニカ」でした。

 

小学生の頃、母はピアニカをなかなか買ってくれませんでした。

と言っても持っていなかった訳ではありません。

姉のお下がりを使うように言われ、そうしていました。

 

当時の私の学校での推奨品はヤマハの水色のプラケースに入ったものでしたが

姉は転校生だったこともあってか、全然違うデザインのもので(えんじ色のソフトケースで少し短いので鍵盤が少ない)

私はこのお下がりだけが、どうしても嫌で仕方ありませんでした。

 

嫌だなぁと思っても怒られたり怒鳴られるのが嫌で我慢したことも

もちろんボロカスに言われ、我慢せざるを得なかったことも、幼少時代たくさんあります。

あの毒親に育てられたのだから、我慢強い子だったと自分でも思います。

 

そんな私がピアニカだけは、怒られるのを覚悟で何度も『新しいのを買って欲しい』と懇願しましたが

(周りの皆が意外と「買う」方向だったので、自分だけあのデザインのものを持って行くのがどうしても、どうしても嫌だった。人の目が人一倍気になる私にとっては拷問レベルだった)

結局母は「買わんでええ!」「姉ちゃんのあるやろ!」で、ピアニカ購入申込の締め切りが過ぎてしまいました。

 

授業のたびに「何で赤色なん?」とか聞かれ(小学生だから悪気もないのだろうけど)

『お姉ちゃんのやねん』とごまかすのも恥ずかしくて、本当に苦痛でした。

 

音楽会で特別な楽器に付かなかった「その他大勢」は

ピアニカが割り当てられることも多く

クラス内だけならまだしも、一学年みんなが集まる場で明らかに色味の違うピアニカを持つのも嫌でした。

 

使う度にこんな思いで過ごすのが本当に嫌で

『鍵盤が少なくて音楽会の曲の一部分が弾けない』と、最もらしい理由で半泣きで再度懇願して(ちなみにこれは出まかせではなくて、本当に高音の鍵盤がその年の音楽会で弾く時足りなかった)

隣で見ていた父の「そんなに言うなら買ってあげたら」の一声で、やっと買って貰える事になりました。

(母は父を崇拝しているので、まさに「鶴の一声」状態)

 

学校で購入する期限は過ぎていたのでわざわざ休日に楽器店まで行き、買ってもらいましたが

母がギリギリまで「ほんまに要るの?」と不服そうに言っていた事は未だに忘れていません。

 

私は『嬉しい』『ありがとう』というのを最大限表現したつもりでしたが

この話はその後ずっと母の話のネタにされ、何年経っても

「たりがしつこいしつこい!」と、まるで「たりに貸しをつくった」みたいに言われました。

 

結局翌年以降の音楽会では、他の楽器をやることになって

「ピアニカ、使わんの?」「買わんでよかったやん」みたいな小言も母に言われました

(その年の音楽会前ギリギリに買ってもらったので、もう少し早くに買う決断をしてくれてたら、きっともっと活躍する機会がありました)

 

確かに贅沢だったなぁ…とも思います。

大人になってから『ところで、あのピアニカっていくらくらいするんかな』と検索した時、正直『え!こんな安いん…(あの母の剣幕なら)この3倍近くくらいするのかと思った…』とも思いましたが

当時のやりくりの中では、確かに大きい出費だったのだろうなとも思います。

 

それでも、あのときの私にとっては

授業で皆と同じように水色のプラケースを堂々と開けられる時の気持ちとか

もう金輪際音楽会の練習のたびに小脇に隠すように移動しなくてもいいんだという

金額では計れないものが確かにありました。

 

自分で言うのも変な話ですが、私はあまりお金のかからなかった子だったと自負しています。

小1になる前から『学習机はお下がりでいい』と言った話も前に書きました。

tari97.hatenablog.com

その私があれだけの懇願をした。

それが一体どういう事なのか?

母にはそれをわかって欲しかったんです。

これが、母に足りていなかった子どもの言葉に耳を傾ける姿勢です。

tari97.hatenablog.com

確かに、経済的な事情もあるし何でもかんでも買う訳には行かない。

親にもできること、できないことがあって当然です。

 

それでも、普段の私と明らかに形相が違っていなかった?と、母に問いたい。

 

そして例えそれが痛い出費であっても「高かった」とか「しつこかった」と

子どもの罪悪感を煽るようなことをわざわざ言うのも、違うのではないかなぁ。

母はほんの冗談のつもりなのかも知れませんが

「買う」という決断をしたからには、子ども本人に向かって言うべきではないんじゃないかなぁ。

 

子育ての経験のない私がこんなこと言うのはおこがましいし

多分この話は「きれいごと」なんだろうなとも思います。

世の中、気持ちだけでものは買えない。

ピアニカだって、数千円でもお金がかかったわけです。

 

それでも大人の思う「きれいごと」より、子どもはもっともっと純粋な気持ちで

感謝もするし、喜んでいるし、申し訳ないなって思うものです。

親孝行って、そういうのが積み重なって『してあげたい』と思うものだと思うんですよね…。

 

多分この話をしたら母は「買ってあげてよかったって思ってる!」

「そうじゃないとあんなに頑張って働かへんわ!」と言うと思いますが…

 

要は、やっぱりここに戻るんですけど「表現方法がまずい」んです、母の場合。

せっかく、やる事はやっているのに、自らの言葉で功績を潰しているんですよね…

tari97.hatenablog.com

「結果、買ってもらったんだからいいじゃん」「贅沢言うなよ」ではなくて

とりあえずは子どもの意見に耳を傾け(できるできないはまた別)

「ここぞ」というタイミングとか判断力、決断力を大切にしてほしかったなと大人になった私は思うわけです。

tari97.hatenablog.com

 

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