もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

なぜか良いように扱われる?

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tari97.hatenablog.com

と少し似た、モヤっとしたことがまた最近ありました。

また『あれ?私ぞんざいに扱われてます?』案件です。

オタク活動の話なのでちょっとつまらないかもですが…

 

もう10年近い付き合いのオタク友達「Kちゃん」。

面白い人なのですが、一緒にいるとたま~にモヤッとすることがあります。

 

つい最近あった話。

 

今度、Kちゃんも私も好きなグループがライブをするので協力してチケットを申し込もうということになり、私は関東公演、Kちゃんは関西公演を担当しました。

 

関東・関西公演のうちのそれぞれ1公演ずつ「当たれば一緒に入ろう」と約束したのですが、結果関東公演は当選、Kちゃんは関西公演を1つも当てられませんでした。

 

元々私は、本命が関東公演で、関西公演は『行けたら行きたいけど、どうしても無理そうなら諦める』(できれば行きたい)ニュアンスではあったのですが

数日後Kちゃんが「友達の協力により関西全公演行けることになりましたぁ~♪」と、ウキウキでツイートしていました。

 

…私「Kちゃんが関西公演外したら行かない」とは一言も言ってないんだけど、何で私の知らない間に自分だけ行くことになってるのかな😇??

 

別にね、他の人が声を掛けてくれて行くことになるのは何も問題ないんです。

Kちゃんは友達が多いから一声掛ければ誰かがチケット持ってるのもわかるし。

 

ただ、当たる当たらないに関わらず、一度は「一緒に行こう」と約束したのだから「元々たりちゃんと約束してた公演、別の人と行くことになった」ことは、私にも報告するのが筋じゃないかな?と思ったのです。

少なくともツイッターにあげるより前に(笑)

 

本人にも聞いてみたんです。

「外れたなら行かないと思ってた」とは言っておらず「言わないといけないと思いつつ、忘れていた」と。

はぁ~私との約束はそんなもんかい…とがっかりしました。

 

きちんと謝ってはくれましたが、人に指摘されてやっと言うってのも私には理解しがたいし、もしかして私が言い出さなかったらあのまま言わない気でいたのだろうか??

 

最近KちゃんはLINEでも最低限の返信しかしてこなくなりましたが、自分の好きなグループの公演の詳細が発表されるなり「チケット確保協力お願い」LINEだけは、毎度それはそれはすごい速さで入って来ます。

 

友達に言わせると「たりちゃんが協力してくれて当然と思ってるんじゃない?」とも…⇦ 思わないでおこうとしたけど、思い当たる節がありすぎる

自分が『今回協力するの無理』という時は、正直に断るので無理まではしてないのだけど、協力してもらえないとわかるやいなや即座に「あ、じゃあ用事ないです。」みたいな感じも否めず…(「いやいや、こちらこそ毎回ごめんね。またよろしくね」等の言葉もなく、ばっさりLINEのラリーが止まる)

 

私は本当に純粋に協力できたらいいなという気でやってる分、何でこうなっちゃうのかなぁと、、今回本当に凹みました。

某知恵袋を読み漁るくらい、凹みました。

 

Kちゃんみたいに『なんか、がっかり』みたいな気になってしまう人とそんなの思わずに過ごせる人の差って何なんだろう。

 

すぐに何でも『どうせ』といじける自分の性格は私の悪いところですがKちゃんの態度を見ていると『私ってチケットの協力以外あんまり用事ないんやろうな』と、どうしてもそんな気になってしまいます。

別に協力要員ならそれでもいいけど、ならばなおのこと、もっとうまくやればいいものを。

 

嫌いにはなりたくないし魅力のある人ではあるのだけど、なぜかこうやって『ん?私、ぞんざいに扱われていないか?』とモヤッとすることも最近多いです。

 

私が、気にしすぎなんですかねぇ。

 

次の記事に続きます。

気付けば寄って来るタイプの人たち

前にも書いたように、いつもなぜか私が「良いように扱われる」結果になってしまうような人がいます。

tari97.hatenablog.com

⇧の記事の「タカ」は、人当たりは良いのですが、結局自分のことしか考えてないんだなぁという印象がすごくあって

期待させるようなことを調子に乗って言うのですが、いつも口だけで

あの件、結局覚えてもないんだろうな。みたいなことも多々ありました。

調子づいてる時の発言はまるで「彼氏」気分でしたが、心の中で『ハイハイ、出たよいつもの口だけw』とつっこんで、途中からは完全に聞き流していました 。

 

「相手に期待しすぎるから、ガッカリするのでは?」とも思われそうですが

元々、人に裏切られることが怖い私は、他人には全く期待しない性格です。

その私ががっかりするくらいなので、よっぽどな気がするんですけど…

 

数年前、こちらもひょんなことから連絡を絶った人にもこういうタイプの人がいました。

幼なじみの男友達「クマさん」です(熊っぽい見た目なので、ここではクマさんと呼びます)

 

クマさんとは同じ中学で、20歳の頃に偶然あるきっかけで再開し、それから気が合ったので、仲良くなった感じでした。

クマさんが私をどう思っていたかはわかりませんが、私は恋愛感情を抱いたことは全くありません。

 

ただ、食の好みや話のテンポ、好きな曲の系統や笑いのツボなど

「波長が合う」感じが楽しい相手でした。 

また、人当たりが良く、何事も引きずらないところが好きでした。

 

『あんなにきついこと言ったらさすがに嫌われたかな』と思っても、数日後には「メシ行くか!」と、何事もなかったかのように接してくれるところが、ネガティブな私に合っていました。

 

じゃあ何でそんなに気の合う人と、連絡を絶ったのか?

 

クマさんの、そういう、ゆるっと・ぼんやりさせるところが、裏目に出てしまったと言うか。

 

覚えているのが

ある日、夜の結構遅い時間に「今友達と〇〇におるねんけど、俺の好きそうな感じで今もやってるメシ屋何軒か探して~」と電話がかかってきて、私が家で食べ〇グ検索していくつか送ってあげると、何の返信もない(夜遅かったのと、主要駅とかではない、クマさんはチェーン店が嫌いなので結構苦戦した)

 

それで、どう?どっかお店入った?と聞いたら「別んとこ入って、もう食い始めてる」と、さらっと言うんです。

別に私の送ったやつが気に召さないなら仕方ないけど

私がせっせと探して送り続けていた間に決まったならその時点で連絡してよ…と思ったのです。

 

その時も『ん?』と思ったのですが

そういえばそういうことがちょくちょくありました。

友達にも「よく怒らないでいられるね。私なら我慢できないわw」と言われたことも。

 

最後に、縁が切れるきっかけになったのが

ある時クマさんが、女の子を紹介してもらうことになり、クマさんに「それなりに見える服を見繕ってくれ」と頼まれました。

 

ずっと「彼女がほしい」と言っていたので、相手に良い印象を持ってもらえるならと、私も心から応援する気持ちで、服を見に行こうと思っていました。

 

なかなか日が合わず、いよいよその女の子に会う日が迫っていた時『行くとしたら明日の午前中しか行かれへんけどどうする?』と前日に連絡したにもかかわらず、翌日の昼、やっと「今起きた」「今から行ける?」と連絡が来ました。

私は既に別の約束の時間が迫っていたので断ると「もうええわ。いつものカッコで行くわ」みたいな返事。

 

自分から頼んでおいて、全部人任せにしておいて、挙句の果てに自分の寝坊で行けなくなったのに、投げやりな態度にさすがに驚いて

 

私が長文で『自分から頼んでおいて、その態度あんまりだと思う』みたいなことを入れたんです。するとやっと事の重大さに気付いたのか「ごめん」と返信が来ました。

 

クマさんは、確かに人当たりはいいんだけど、そういう

「相手の好意をさらっと無駄にする」みたいなことが、そういえば今までもたくさんあったなぁ…(押し付けてる訳でもないのに)

人当たりの良さでうやむやにしてたけど、ちょっとなぁ…と、その時初めてちゃんと考えました。

 

もしかして、この人ってずっとこんな感じ?

この件もまた、数日後に「メシ行くか!」で済まされるの?と思うと

何かすごくバカにされているみたいな気分になって。

 

目に付き始めたら、もうだめなんですよね(これも私の悪い癖です)

その1ヶ月後くらいに約束していたライブに行く気にならず『悪いけど、別の人誘ってもらっていい?』と断って「OK」という返信が来て以来、クマさんも何かを悟ったのか、それから連絡が来ることはありませんでした。

 

クマさんと過ごす時間はリラックスできて確かに楽しかったけど

今もう一度会いたいか?と問われればNOです。

 

ただ「縁を切る」ことしか解決法を見いだせなかった自分も、これでよかったのかなぁと思うこともあります。

存在自体がトラウマなんです

私は今何か頼まれない限り、自発的に実家には行きません。

 

けれど、姉はそこまで嫌っていないのか?長女としての責任か?

何かと実家に顔を出すところが、すごいなぁと常々思います。

(私は車がないですが、距離にすると私の家の方が実家に近いです)

 

姉も、母が毒親だったことは認めているし、私ほど嫌っていないにしても母が好きではないのは明確ですが

それでも何だかんだ母には色々としてあげていて、私はそれにだいぶ甘えている自覚もあります(姉が顔出すなら、私は行かなくていっか!とか)

 

けれど、未だにここまで異様に母と会うことへの嫌悪感を抱くのって、大人げないのでは?とも感じて、姉に無理をさせてはいないか?と不安にもなります。

で、この間姉と話をすると、姉は母と絡むという「精神的なこと」よりも「物理的なこと」(特に夕方とか忙しい時に呼ばれること)のほうが大変そうに感じました(確かに姉は子どもがいるし家事もしないといけなくて、独身の私のほうが姉よりも時間的余裕があるのも大きいですが)

 

 

母は私と姉とで比べてどちらが良い悪いなどは言ったことはありませんでしたが

「合う・合わない」で言うと、圧倒的に母と私は合わなかったのだと思います。

 

それで最近気がついたのですが、母への対応スキルが、姉には昔からあったなぁと。

姉は多分母が求めているであろう返しが昔から自然と出るタイプなのです。

母のことが嫌いになった今でも、構うのとスルーの塩梅が絶妙で、それを気張らなくてもできるようで、だから精神的な苦痛が私ほどないのかも知れません。

 

私は私で母の言動にいちいち引っかかるし、うまい返しが未だにわかりません。

大体母と2人で会うのは避けているので、返すのだるいなと思ったら姉に丸投げします。

 

確かに私も『母のことが嫌い』と思い始めた頃から、言い返さないと気が済まなくて、かなり母に反抗的な態度を取っていたので

このブログを読んでると「たりもたりだわ」と感じる部分もあると思います。

 

さすがにもうわざわざ母に反抗的な態度を取ることはないですが

反抗的な態度でもなく、悪気なく言ったことでもどうも私の発言は母親にはフィットしない感じが昔からありました。

 

大人になってから長年、それを母から「お母さんに合わせられないたりが悪い」と言われ続けてきたことが、異様な息苦しさ、自己肯定感のなさや『私は間違えているのだろうか。では私は一体どうすれば良いのだろうか』と悶々として、逃げ道を探し続けては堂々巡りをした原因なんだな、と、わかってきました(この場合の「悪い」は「姉と比べて」ではなく、とにかく母の言う通りにできない「たりが単体で悪い」という意味です)

 

20数年、その性格で生きてきた娘に「お母さんに合うように、性格直しなさい」みたいなことを様々言葉を変えて言われ続けていましたが

今思うとそんなの「ありのままで生きるな」と言うようなもので

「死ね」と言っているのと同じくらい酷です(笑)

 

例えてみると

毎日、苦手な食べ物を子どもの口に無理やり詰め「ほら、好きになりなさい」と、強要するようなものです。

母としてはそれが「体に良いから」という意味と等しかったのでしょうが(=実家にいたら、万事が安泰なんだから)

体に良いものでも、苦手なものを毎日食べることを強要されたらどうでしょう。

 

味付けを変えるとか、他の料理にわからないように混ぜるとか方法はいくつでもあるのだけど

母は「とりあえず食え。いいから食え」と、口に押し込み続け、いつか私が『あ~おいしい。これ大好き!』(あ~やっぱり実家が一番!お母さん大好き!)となるとでも思っていたのでしょうか??

 

こうやって考えたら、苦手なのに口に毎日押し込まれたものを、いい大人になっても食べられないのと同じで

「母と2人で会うこと」にいい大人がいつまでも嫌悪感を抱くのも、まぁおかしい話ではないかな、と思ったりもします。

 

きっと「見るのも嫌」という嫌いな食べ物と同じくらい

「母親」という存在自体が、私の中でトラウマなんだと思います。