もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

小さな幸せを見つけて、楽しく生きたい

母は実の姉(私の伯母にあたる)のことをよく批判していますが(伯母の人柄についてはこちら)2人を見ていると、似てるなぁと思うし、この2人の親にも相当問題あるよなぁと思わざるを得ません(私は、母の親も毒親だったと考察しています。母の兄も毒っ気あり)

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2人とも

自分の恵まれている部分には感謝せず、幸せは小さく見積もり「これくらい当たり前」という感じ

自分自身の幸せの基準が基本的に「依存ベース」なので思い通りにならない確率が高いのに、思い通りにならなければ他者のせいにする

という部分がそっくり。

 

日頃から文句や愚痴が多く、謙虚さがないので「なぜ、小さなことでも幸せとして拾いあげることができないのだろう」と思います。

だからいつまで経ってもまたそれが文句や愚痴となり、幸福感を得られないのではないかな?と。

 

加齢による多少の不調はあるにせよ、それなりに動く体があり、お金にも困らず住む家もあって

娘(伯母にしたら、姪)が一声かければ来てくれる。

わりと恵まれてる方じゃないかなぁと私は思うのですが。

 

とにかく自分の思う「幸せ基準」にあてはまらないことがあれば、総じて不幸と感じるみたいな思考があるし、その「幸せ基準」のハードルが高いと思います。

 

母と伯母は生き方こそ違いますが、そういう根底にある価値観とか無意識レベルの思考はそっくりだなぁと思います。年代のものなのでしょうか。


伯母は口を開けば『何様やねん』みたいな難癖をつけるタイプで(ただ、本人はそんな気はない。ほめたり感謝するみたいな姿勢が備わってないので、ただの感想も難癖みたいなニュアンスでしか表現できないのだと思います)

例えば、伯母は自炊ができないので宅配弁当を取っていて、毎回「こんな(しょーもない)もの」みたいな言い方をするので『まずいの?』と聞くと「まずい訳じゃないけど」みたいなね…。

いますよね、こういう人。文句あるなら自炊したら?って思います。

 

この手の人って人生で幸せやなぁとか感じたことあるのかな?と本気で思うし、その芽を自分で摘んでるんじゃないかなと思います。

 

母は伯母に「ありがたいと思わないとだめよ」みたいに諭しているけど、いや母もそっくりだよと思うのです。

 

まぁこんなこと言っておいて、私も「生まれたことに感謝」とまでは正直思えないし

「あなたが「死にたい」と言った今日は…」(知らない方はググってみてください)みたいな類の言葉は嫌いです。

 

けれど、そこまで壮大なものではなくても、日々の中に幸せはいくらでも転がっています。

 

私も小さな幸せで1人で喜んで『私ってやっすい女だよなーw』と自分でつっこむくらいですが(コンビニスイーツがおいしかったとか、そんなレベル)

少なくとも母や伯母よりかは楽しく生きれるのではないかなと思っています。

ナメてるのはどっち?

前も書いたように、わざわざ、娘が機嫌よく勤めている通勤手段を貶してみたり

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他にも嫌いだったのが、自分が嫌いなものを人がおいしそうに食べていたらわざわざ食べている人の前で「よくそんなもん食べるわ」とか言うんですよね。顔をしかめて。

他人が気持ちよく過ごしているのが、自分の趣味嗜好に合わないことだととにかく貶さないと気が済まないようです。

 

そうやって何でも「自分の嫌いな物事」をそれ自体を貶すにとどまらず、それが好きな人へも「私は嫌い」アピールをわざわざやるから一緒にいて不快なんだと気が付きました。

幼い頃は親の言うことは絶対と思うし、貶された時点で『母の嫌いなものを好きって言う自分』にすら罪悪感を抱いていました。

人の好き嫌いなんて(いい意味で)どうでもいいし、趣味嗜好なんて違って当然ですけど…なぜ母は「自分と違う」ものを真っ向から貶さないと気が済まないのでしょう。

 

その割に、逆のことをされたら母は怒るんですよね。

「お母さんな、これ大好きやねん!」「変わってるやろ、私」みたいなのを存分にアピールして(かまってちゃん発動)腹立つので私も母みたいに『よくそんなもん食べるわ』と言い返したら「フンッ!ほっといて」「あんたにそんなこと言われたないわ!」です。

『そうだね、お母さんそれ好きだったもんね~』という返しをしてほしかったのかと気付いたのはつい最近です。まぁ気付いてもしませんけど。

 

母は昔から、他人に「ナメられる」「見下げられる」ということを異様に嫌がっていました。

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食に異様なこだわりのある母は、私が給食や修学旅行先の食事がまずかったという話をした時だけ「子どもやと思って、ナメてるんやろな!」とやたら怒りましたが、その他の自分に興味のないことは何かが理不尽だとか心の叫びを訴えても「まぁそんなもんやから我慢せぇ」って感じでした。

 

要は母がナメてる・ナメてないとジャッジするのもめちゃくちゃ母基準で自分都合なんですよね。

 

だから母の言動も今思い返してみたら「子どもには、何言ってもOK(言われた子どもは、我慢せぇ)」って思想の上でのことだったんだなと合点が行きます。

子どものことは総じて「ナメてた」んだなということです。

 

最近、姉と話していて、姉が母のことを「だめだこりゃ」と思った発言を聞きました(言われれば確かに言ってたなとは思いましたが、姉と私では不快に感じたポイントが少しずつ違っていて、おもしろいなぁと思います)

 

で、その発言というのが「なんで親が子どもに気を遣わなあかんの?」らしいです。

 

やっぱり、子どもだと思ってナメてますよね。

毒親あるある◆自分は悪くない

数年、離れて暮らして母も昔のような毒っぽさは少なくなりましたが

こないだ、実家に行って少し話をしたときに、母の中ではやっぱりどうしても「娘が出て行った」ことが解せないらしく

最後に「たりが結婚で出て行ったのなら諦めもつくけど」と言っていました。

 

昔も同じことを言われたことがあり、そばに私という姿がないという部分では、理由が結婚でも、単なる一人暮らしでも同じじゃないか?なぜそこにそんなにこだわるのか?と思ってたんですけど

何となくわかってきた気がします。

 

とにかく(娘が実家を出たことの)責任の所在を「自分以外」にしたいんじゃないか?

 

結婚なら相手がいますので、わかりやすく説明がつくけど(言葉は悪いけど「旦那のせい」にできる)

恋人もいない独身の娘が、職場も近いのに実家のそばのマンションにわざわざ住む(しかも親子関係は最悪)となると、いよいよ「自分のせい」であることを認めざるを得ないですよね。

でも、どうしてもそれを認めたくないんだと思います。毒親にありがちな「私は悪くない!」です。

 

最初、母は私を「悪者」にして片付けようとしました。

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私が『良いも悪いもない。私らが合わなかっただけ』⇦ これ、ある意味母を擁護することにもなっているんですけどね…

と言って納得したかと思いきや

 

今度は「たりは昔から一人暮らしが夢だったもんね~」と論点をすり替え

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(殺されるんちゃうかと思うほど、一人暮らしを阻止したのはどこの誰でしょうか)

この時ばかりはマジでこの人頭大丈夫か?と思って、反論したけど

 

最終的に母は「たりは誰とも暮らせないタイプの人間なんだ」で、納得しようとしているようです。

さすがにここまできたら笑えますね(笑)

 

「たりはやりにくい人間やから」とか「多分たりと暮らせる人って、そういないと思う(こだわりが強いから云々)」と、私を下げることで自分を納得させようとしてるのだろうな、という発言が多々あります。

 

実の娘にここまで嫌われる人に言われたくないし

あなたの夫も半分(いやそれ以上か?)は「酒目当て」で暮らしていただけだと思うのですが(笑)

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別に母にギャフンと言わせたいからとか言う気はもうないけど(昔はあった)

今もし私が誰かと住むことになったりしたら、今度はどんな内容で母は自分を納得させるのかなぁ?

 

「相手がたまたま物分かりのいい人やったんやろ」とか、めっちゃ言いそう(笑)