もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

ACとかパーソナリティ障害とか

前々からずっとACのことについても考えているのですが、いかんせん「母が毒親だった」ことが自分の中で濃すぎて(目の前の対応に必死で)「自分、ACなのかな」と思ったのは実は結構最近だったりします。

母が嫌いすぎて、父のことまで考える間もなく父は亡くなったけど、父にも問題があった(両親ともに、ということは家庭自体にも問題があった)のでは?と思ったのもつい最近でしたし…

tari97.hatenablog.com

生きている中で私が悩むことは、大体どれも家庭環境と母との関係が影響しているのは、何となくわかります。

異様な生きづらさであったり、自分は必要とされていないように感じる虚無感とか、仕事が続かずすぐ辞めてしまう(主に人間関係)、アイドル依存、軽い買い物依存…

ただ、ACのサイトなどを見てもいまいちピンとこないのが、自分がどのタイプに当てはまるのかがよくわからないからだと思います。

「ヒーロー」「スケープゴート」は違うなと思うけど、他は「これっぽい」と言うか、どれもちょっとずつあてはまる感じで、ACの自覚のある方はみんなそんな感じなのですかね…?「何歳頃はこの傾向が強かったけど、幼い頃は全くといっていいほどそうじゃなかった」みたいな感じです(その逆もあります)

ちなみに、異様な生きづらさを感じて、ネットで検索して「自分これっぽいな」と一番感じたのは「回避性パーソナリティ障害」でした。

まぁ、あれだけ種類があれば人間誰でもどれかにあてはまりそうな気もするけど…

先に書いた「生きている中で私が悩むこと」については、すでに所々このブログで紐解いています。

異様な生きづらさは、おそらく母からの行き過ぎた叱責とか、失敗を許さない言動が元で考えすぎる癖がついてのことでしょう。仕事が続かないのも、仕事内容は働く前に吟味できるのでそうそう躓くことはないんだけど、毎度人との付き合いというか、まず「所属する」ということが非常に苦手なため、まずそこが異様にしんどくて、これも元は毒親育ちが関係していると思います。

アイドル依存については単純に「家以外の居場所探し」「日常を忘れるための薬のようなもの」でした。同じく、一時期は特に欲しくもない服を買って欲を満たしていた時期もありました。

自分は必要とされていないように感じる虚無感のほかにも、そこまで毎日強く感じる訳ではないけど、時々ぼんやりとその思想がふっとわいてきて、嫌悪感を抱いたり、生きているのが嫌になる瞬間があったりします。

暮らしてて「なんか嫌」「なんか苦手」とふわっと感じるものやできごとです。

これまではわりと「これがこうだから、こういう考え方になったのだろう」とか、明確な原因とか理由を考察しがちでしたが、そういう「何となく嫌」なものは正直自分でも原因がよくわからず、詳しい人教えて!みたいな感じです。

無職期間にそういうのも色々と考えてみたので、今後は時々そういうぼんやりした記事もあるかもしれません。

それに合わせてACとかいう言葉も出て来るかとは思いますが、たりは「自分のどのタイプのACかは、よくわかっておらず」「回避性パーソナリティ障害の気はあるんじゃないか」と自分で診断した結果、書いていることになりますので、それをふまえて、気になる方はお読み頂けたらなと思います。

毒のストレス被害??

最近、ふと気が付いたことがあります。

髪がまとまりやすいなぁ、と。

お金には余裕がないので高いものは使いません。シャンプーも一応サロン専売品ですがネットで大容量が安くで売ってるやつを使ってます(ドラッグストアなどで普通サイズを買うよりコスパがいいのをちゃんと計算しましたw)結構めんどくさがりなので、美容院も1ヶ月半くらい、行きません。なのに、です。

元々髪質は良くなく、実家にいた頃は、日用品の調達が私(家族共用なので、支払いは母)だったのを良いことに、もっともっと高いシャンプーを色々試していましたが、何を使ってもパサパサで一向に髪質は改善されませんでした。まぁ今のシャンプーがたまたま合っただけかも知れないけれどw

肌も荒れてたので、高めの化粧水とか下地とかを使っていましたが改善されませんでした。今は500円くらいのプチプラ化粧水と乳液を塗ってますが、特に肌トラブルはないです。その他メイク用品もプチプラばかりです。

あとはこれは本当に酷かったのですが、季節の変わり目になると手の指の皮がどんどん剥けて見た目も悪いし乾燥すると痛いし、皮膚科で処方されたステロイドの塗り薬を使っていましたが数ヶ月治りませんでした。

事務仕事で断続的に紙を触る時も布手袋をしたり、水仕事もゴム手袋必須でした。

母はそんなときでも「ゴム手袋なんか使って洗い物せんといて。母さんゴム手袋嫌いやねん」とか言ってくるしね(ほんとに、、これが具合が悪い娘に言う言葉か?笑)

もう母と暮らすのに限界が来ていた頃には、不正出血したこともありました。

結局、検診では異常は見られませんでしたが、今はどの症状もキレイさっぱりありません。あれは何だったのだろう?

昔は、テレビとかネットを見てても、すぐ原因に「ストレス」が出てきて『体調不良を何でもかんでもストレスのせいにするなよw』と思っていた私でしたが、自分自身の今の体調の良さからして…「体調不良はストレスから論」を認めざるを得ません(ちなみに、食生活は言うまでもなく実家にいた頃より今の方が悪い)

病は気からとは、よく言ったもので…正直顔つきも変わります。

それから、実家にいた頃は自分にしては結構な量食べていたのです。お菓子もよく食べてましたし。けれども、全然太らなかったんですが、一人暮らしを始めた当初、同じ量食べてると一気に太ったんです。

その時『ストレスで痩せるってのもあながち嘘ではないかも…』とも感じました。

他にも、学生時代はとにかくお腹の調子に悩まされること多数でしたが、あれもストレスのせいだったのでしょうか…。

まさかのくつろげるはずの「自分の家の中」が体調不良の元だったのかもなんて、考えただけで悲しくなりますが…

「知らんがな」と、言う勇気

論点のすり替え毒親の得意技ではないでしょうか。

子が幼い頃は、親に反発して嫌われると生きて行けません(まぁ、今思えば反抗したって捨てられはしないし生きては行けてたのでしょうけど)

ですので、親に高圧的な態度や酷い言葉で支配されても、そんなものなのかな、と従ってきました。

しかし、子も成長するので、だんだん親の言うことの辻褄が合わなくなったり、『おかしい』と言われたりして、子につっこまれると親はぐうの音も出なくなります。

そういう時、さっと論点をすり替えて黙らせるのが母は得意だったなぁと思います。

とくに私の母は、ガンガン毒を吐いて攻撃を仕掛けて、私もそれなりに言い返します。だんだん『多分、私の言うことの方が正論だろうな』となってくると、母は私の罪悪感の方にアプローチを仕掛けてきます。

昔から、その手法が何となくまかり通っていましたが、冷静に考えるとおかしいことにやっと最近気が付きました。

自分の幼い頃は貧乏で、質素な食事に、薪で沸かした風呂に入って…みたいな、正直昭和生まれの私が聞いてもピンと来ないような「貧乏生活」の話を母に延々とされて「だからたりは恵まれているの」「だから、こんなに苦労してきたお母さんの手をこれ以上煩わせないで」みたいな方向に話を持って行かれます。子どもも鬼ではないので、そこで『そうか…』と思ってしまっていましたが。

正直、そんなん知らんがな。なんですね。その「だから」って、どの「だから」なの?(笑)

確かに気の毒かも知れないですけど、それ、昭和30年代頃の話ですよ?比べる次元がそもそも違いすぎる。

だんだん私が成長すると今度は「 " 歳の離れた夫の世話が大変で、仕事もしているこんなに頑張ってるお母さん " を苦労させないで」の方で罪悪感を抱かせる言動が多々ありました。

気の毒かどうか、で言えば確かに気の毒かも知れないけど、じゃあそんな風に育った、また、歳の離れた夫を持ったかわいそうなお母さんだから、理不尽な言い分でも、娘が言うことを聞いてあげないといけないか?と考えたら、全く関係ないですよね。

怖いですね~。毒に侵されているとこんなこともわからなくなるのです。今、文字に起こしていても馬鹿馬鹿しすぎて。

これを考えていて、最近ふと思い出した話があります。

 

私が中学生で、3学期が始まった頃。その前年には阪神・淡路大震災があり、ちょうど1年が経った頃でした。

学期ごとの席替えだったので、そろそろ…と皆が思っていた矢先、50代くらいのおばちゃんの担任が理由も述べず「今期は席替えをしない!」と言い出しました。

皆、やるものだと思っていたので、不服ですよね。教室はブーイングで主に男子が騒いでいましたが、私も『何で?』と思ったので、男子に混じって文句を言ってたんです。

すると、おばちゃん先生「あのなぁ…阪神大震災で未だに仮設住宅で寒い思いしてる人もいるんやで(仮設住宅や避難所の不便な話など~中略~)そんな我慢してる子たちも居るねんから…席替えがないってくらい…我慢してもいいんちゃう?たりさん」

ちなみにうちは被災地には含まれるものの、家が全壊したとか人が亡くなるとかいう被害はありませんでした。しかも震災から1年経って、正直私たちはそんなことも忘れるくらい「避難所」とか「仮設住宅」なんか縁遠い地域なのですが

私も大声でギャーギャー言うタイプではないし、ちょっと不服そうに一言二言男子と言葉を交わしただけなのに、急に名指しでそう言われました。

内心『はぁ?』と思ったけど、まだ中学生だし恥ずかしいのもあり、無言で下向いていました。教室は静まり返りましたが、更に追い打ちをかけるように「…ということで、席替えは無しでいいかな、たりさん」

今思うと、、そのおばちゃん先生、男子にはひいき目だったのですね(女性の先生にはありがちですね)

だから、男子と『毎期やってんのにおかしくない?』みたいに言う私によっぽどカチンと来たのでしょう。しかし、今期だけしないという「イレギュラー」についてもれっきとした理由もない。

おばちゃん先生は私を黙らせる方法を「論点のすり替え」で、編み出したのでは?

何だかその「無理矢理感」が、母に似ているな~と今回思ったのです。これこそが「論点のすり替え」ではないか?と。

私も、正直今はこのブログを書くのが楽しくて、つい毒親問題と、昔モヤッとしたことを繋げてしまいがちなのですが。

論点のすり替えをするのは、真っ向から相手を頷かせられるれっきとした言い分がない、とか、内心「無理がある」とわかっているとか、うしろめたい気持ちがあるからこそやるのではないか?と感じます。そこに、母と子・先生と生徒という上下関係がプラスされると、上である方は更に使いやすいですよね。

母も、自分が劣勢になれば「極貧生活話」「夫が年上で大変論」をすぐ持ち出して、不幸自慢・しんどいアピールをしていました(ちなみに、それでも私が言い返したら最終いよいよ返す言葉がなかったのでしょうね。最終兵器「アンタ、頭おかしい」は晩年何度も言われました)

この担任みたいに「ある学校のあるクラスの単なる席替えと、被災地の苦労している学生さんたち」とか次元が違い過ぎるもの同士、比べ合ってたら、世の中きりないのでは?と思います。

極端な話、毎日貧困で苦しむ国の子たちの事を思えば、ブラック企業で過労死しても食事できているだけ日本は幸せだ!とか言うのと同じじゃないですか?両方にそれぞれの次元での問題点があり、比べるのは違う気がします。

 

親のことで

なんだかモヤモヤする…と思う方は、親の言動を紐解いて、よく観察してみて頂きたいなと思います。

案外、親の言ってること「いやいや、知らんがな」かも知れません。