もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

名字を捨てたい男性現る

婿ネタが続きますが、一旦これで最後かな~と思います。前の記事で書いたように

tari97.hatenablog.com

結局、20代半ばのときに婿をもらうのは諦めてほしいと母に伝えた私でしたが、母はきっと私が産まれて30年弱考え続けていた「婿計画」を、たった1回の娘のそんな宣言で「あ、そーですか」なんて納得はしていなかったはずです。

 

今思い出せば、母はわりと大きな会社に長年勤めていましたが、おそらくそこでも私くらいの年齢で婿にできそうな人を探していたんだろうなぁという言動があったなと感じます(当時は『何でそんな話するのかな?』と思ってたけど、母の中では職場の〇〇君は、たりにピッタリなんじゃないか?と思ってそういう話をしてたのでは)

数年前、ちょうど私が実家から逃げようかと企てていた頃に母の職場(私も当時まだそこで働いていた)に新人さんが中途入社しました。

年齢が私よりひとつ下の、独身男性「Y」です。

Yは母ともよく社内で顔を合わせるようになります。そして、話を聞くうちにYは幼い頃から家庭環境が悪く、きょうだいは自分の他に女の子しかいないので一応「長男」にあたるがそういう扱いを受けることもなく、家が嫌いなので自分の名字を捨てたいくらいだ、と言ったそう。

お分かりだと思いますが、皮肉なことに母の元に何気なく「婿養子候補者」が現れたのです。候補者と言うか自分で「名前を捨てたい」とまで言ってるくらいなので、もはや「希望者」です。

まさに母にとっては「棚ぼた」で、更に母の目を輝かせることになったのが、Yは車であちこち行くのが好きなんだけれど如何せん多趣味な為、お金に余裕がない、と。

これは、女性特に年配の方にはあるあるなのかも知れませんが、母は「運転してどこでも連れて行ってくれる男性」がそばにいることをやたらとステイタスと感じていたようで、父が年老いて運転もままならくなれば人として欠陥があるかのごとくの扱いでした。夫の死後は運転手役も娘もしくは婿にやらせるつもりだったのです。

母自身も免許があり毎日運転してるのだから、いちいち人に頼まなくてもと思うのですが「男性の隣に座って、何もしなくていい」という幸福感が未だに抜けないみたいで、運転大好き!なYはそれだけで高評価。

そして、婿計画の為にお金だけはそこそこに貯めてきた母「僕、お金ないので~」という人の方が、支配しやすい!というところも評価ポイント。

Yの登場後、母の「婿もらうモード」が再燃しているのはすぐにわかりました。

ただ、私が『婿もらうのは、絶対にない』と断言した手前、軽々と「Y君にしたら?」とも言わないんです。ただ単純なので態度に出まくってましたが。で、話の流れでYも交えて3人で食事をすることになりました。

全く気が乗らなかったけれど、私も断る!と言える分際でもないし、もしかしたら婿云々関係なく、純粋に『いいな』と思えるタイプかも知れないし(私は、やらずに決めつけるのは嫌いなので、できそうなことならとりあえずやってみる)会ってみて『やっぱり絶対にない』と思えば、自分も納得できるし母にもしっかりそう言える材料にもなるので、行くことにしました。

 

まぁ見事にYは私の嫌いなタイプの性格だったんです。

母にはすぐに『やっぱりY君はないです』とハッキリ伝えました。

すると、ついに母から本音が漏れます。

「Y君、ちょうどええと思うねんけどなぁ」

何気なく聞いていましたが、だんだんカチンと来てたので『大体、婿に貰うってことはY君と私がまずそういう関係になることやけどY君は少しでも私とそうなりたいとか言ったの?』と聞きました。

すると「言われてないよ。けど、ちょうどええやん(利害関係が一致するだろ、という意味)」

これを聞いた時、私に対してもYに対しても相当失礼なことを言っている自覚はないのか?と本当に神経を疑いました。

 

ちょうどええやん。って。

私とYは、試着中の洋服か何かか?

娘をバカにするのも、たいがいにしろよ…

 

そういえば、私が長年仲良くしていた単なる幼なじみの男性も、一時期勝手に婿候補にされて「〇〇君と結婚しぃーな。ちょうどええやん」も母に何回も言われたな。

 

結局、最後までかわいいのは自分だけ。他人の気持ちなんてお構いなし

金さえあれば、何言っても許されるという自信と勘違い。

Yに限らず婿なんか貰おうものなら、その被害者がもう1人増えるだけの話だったと思います。

それが私の愛する人だったら…と考えるだけでもぞっとします。

生まれたときから敷かれていたレール

私は「婿をもらって後継ぎ」というていで10代の頃から話を進められていた訳ですが

tari97.hatenablog.com

私に男兄弟がいたら、うちはどうなっていただろう?とよく考えます(前記事からの続きです)

私が25歳くらいの頃かな。母が一番「婿!」と暴走気味だったときに、それまで親の言われた通りになし崩し的に生きてきた私もさすがにこれはアカンと思って『自分はともかく、母さんとも仲良くできる男性を見つけるのは難しすぎてできません。だから、婿を貰うのは無理やと思うので、諦めて下さい』とハッキリ意思表示をしました。

そうでもしないと母は当時「婿をもらって同居する為の家」まで、買おうとしてましたからね(まぁ、その意思表示をしてからも、結局私が愛想をつかせて家を出るまでの4~5年、婿をもらうことを諦めてなかったけど)

そんな母だったので、皮肉混じりに『母さん、男の子産めばよかったと思う?』と聞いたことがあります。

私はあっさりと「そうやな。産めばよかったわ」ぐらい言うかと思ってました。婿を取れなかった私への皮肉も込めてね。

けれど母は「嫌やぁ~!無理無理!母さん男の子なんかとてもじゃないけど育てる自信ないわぁ」

その主な理由が、そんなに大量のご飯の世話できない!泥だらけで帰って来られるの嫌だ!汗くさいの嫌だ!etc…

この回答もねぇ…母の「嫌や、嫌や」なんか今聞いてないんですけどね(笑)前回も書いたように、母は時々こういうあほみたいな回答をします。

相変わらず「自分が嫌な思いをすること」にだけにはすごく敏感ですけどね(苦笑)

大体、自分が死ぬまで家族の誰かに依存しようと思ってた割に、娘2人しか産まなかったのもリスキーすぎません?

しかも、当時では珍しい19も年上の夫と年の差婚しておいて、ですよ。

さぁ!子どもに依存して生きるぞ!って気なら子ども5人くらい産もう!って私なら思いそうだけどな。さらに、若いうちに産んで自分が生きてるうちに孫まで産んでもらうとか。そこまで考えると思うけど。

私の知り合いにも「後で面倒みてほしいから」子を産む!って考えの人はいます。ただ、彼女は将来自分の面倒見てくれる人を準備するべく40を過ぎたいまでも妊娠して、3人目の男の子を産みました。

何人産めば正解!とかもないし、彼女のやり方に私は賛同はできないけど、まぁ「言うこととやることは合致している」とは思います。

母って、姉はよそに嫁いだとして、残った1人のターゲットの私が、なぜうまく自分の思い通りになるって思えたのでしょうか?あの時代は、そんなに何でも思い通りになっていた時代なのですか?多分「お金さえあれば」と思ったんだと思うのですが、それにしても、ある意味すごい自信と勘違いだなと思います。

 

で、もしうちに男の子がいたとしたら。

もちろん私は「後継ぎ」の重荷は背負わされなかったでしょう。

けれど、母のポリシーである「きょうだい間で差を付けない」というのが果たして守れていたか?と考えると、やはり後継ぎ候補の男の子を寵愛していたのではないかなぁ?とも感じます。

となると、私はまた別の問題を抱えていたのかも。

 

結局、親が「誰かしら子どもに依存して生きよう」っていう性質で「自分の人生は自分の足で歩く。子どもは子どもの人生歩いてほしい」といつまでも決意しないまま子どもを育てれば、男の子だろうが女の子だろうが、子どもが何人産まれようが、家族にはいい影響をもたらさないんじゃないかなと感じた訳です。

ということで、そもそもの母の性質が変わらない限り、うちに男の子がいても、大差なかったんじゃないか?とも感じました。

 

ちなみに、人って子どもの頃すごくかわいくて成長したら別に普通やな。ってタイプと、生まれたときさほど可愛くなかったのに、成長して整ったなっていうパターンがあると思うんですけど、私は前者で、姉が後者だったんです。

だから、母は思ったそうですよ。

私が生まれたとき「よっしゃ、この子は美人や、婿貰えるわ」って。

その瞬間から、もうレール敷かれてたんだって思うと吐き気がします…ちなみにこれは結構最近聞いた話。

母なりの「反面教師」

何気なく始めたブログでしたが、こうやって毒親問題と向き合って文章にすることは、手間もお金もかからない割にすごく自分にプラスになっている気がします。

その証拠に最近はほとんど毎日、ブログを更新するのがとても楽しみです。

けして義務感からやっているのはなくて、好きで発信しています。

ほとんどが母の愚痴に聞こえるとは思いますが「思い出すための材料」と「思い出したことを書く備忘録」であって、それにより「まぁ、ここは救われたな」という部分も見つけられるということにも気が付きました。

前にも書いたように、経済的に困ることはなかったこと。おいしいごはんだけは欠かさず食べさせてもらえたこと。それなりに何かを買ってもらったり、どこかへ連れて行ってもらったりしたこと。

あと、これは母の嫌いなところでもあるのですが、ある意味救われたかも?と思うことがあります。

何て言うか…母ってほんとに「少女がそのまんま大人の姿になっただけ」みたいな感じなんですよね。だから世間知らずの井の中の蛙状態だった訳で。

確かに口は悪いんだけど、関西弁で言う「いけず」ではなかったんです。

もしこのブログを読んで下さってる方がいたら「でも、えげつない悪口言ってたんでしょ?」と思うと思うのですが(前記事参照

素がそれなので、例えば小さい子どもは正直なので、太っている人に「何でそんなに大きいの?」とか悪気なく言ったりしますよね。そんな感じなんです。伝わるかなぁ?

けして、相手を嫌な気持ちにさせてやる!とか裏をかいてるのではなくて、純粋すぎてストレートすぎるだけなんですよね。大人になればオブラートに包むとか遠回しに言うとか、そういう技を身に付けると思うのですが、そういうのが一切ないというか。外では多少やってたとは思うのですが、家族相手だと甘えていて特に…なんでしょうね。

ただ「悪気がない」のがある意味タチ悪いっちゃあ悪いし、外面は良いあたり家族には多少言ってもOKみたいな甘えがあったことは確かだとは思うのですが。

だから、未だにあほみたいなこと急に言ったりするんですけど、世間的に言う「いけず」な女ではなかったので、幸い私たち娘も「いけず」「陰険」みたいなとこはない…と思っています、、たぶん。

 

それから、毒家庭ながら一番救われたなーと思うことがあります。

それは、母が、姉と私を差を付けて育てなかったこと。

母は、4人きょうだいの末っ子で、いつも「みそっかす」みたいに扱われるのが嫌だったらしく、もし自分に子どもがたとえ何人できたとしても、誰かをひいきしたりは絶対しないと誓ったそう。反面教師というやつですね。

おかげで、私も姉に対して卑屈な気持ちを抱いたりしたことはないし、姉もきっとそうです。今でもめちゃくちゃ仲良しですしね。それだけは、本当によかったな、と。

一時期、私が家を出て腐りきっていた頃の母は、自分の撒いた種なのに「姉妹仲良し」にまで嫉妬していましたけど。

ただ、毒親ブログなんかでは、母親が女の子にはつらく当たり、男の子だけ寵愛するというのもよく見かけます。同性でも「妹ばかりをかわいがる」とかもあり、そこは私の未知の世界でもあります。

母の「姉妹で差を付けない」誓いは守られた訳ですが「女の子だけだったからでは?」と思う方もいるのではないでしょうか。あれだけ「後継ぎ」にこだわっていた母なので、確実な後継ぎ候補の「男の子」がいなかったら、姉だろうが妹だろうが「どちらもあんまり興味がなかった」という線も濃厚。「2人だけだから、たまたまできた」だけというのもあり得ます。

しかし、うちの場合「男の子」がいないせいで、家に残った私に「後継ぎ」の重荷がのしかかったということにもなります。

それについて、少し考えてみましたので、また次回。