もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

親をナメる、とは

最近、世代のことについてよく考えているのでそれに関係することを検索しているのですが、母より少し下の世代の方のブログが毒親というワードでヒットしたので読んでみました。

その方は、幼い頃ちょっとした言動が気に食わないと「親をナメるな!」と、しつけといっては酷い暴力を親からふるわれていたそうです。

親から子への暴力は、当時では珍しいものでもなかったようですが、その方はそういう「当時は当たり前だった」ことを「おかしいことだ」と認識されて、発信されていることがすごいなと思いました。その年齢で、です。

 

もちろん、みんながそうではないけど母含むあの世代の人を見ていると、厳しく育てられたんだなってことも確かにわかるのだけど、それが「今の時代にはそぐわない」ことがどうもわからず、自分たちの頃はそうだった・そんなの当たり前だった…それを「正解」「素晴らしかった」と信じきっているから、そういう教育をされていない若者はダメだ!と言ったり、ふんぞり返って偉そうにするのかな?と思う時があります。

 

母も自分で「親が上・娘が下」という潜在意識のもと過ごしていたことを自ら暴露したようなものでしたが

tari97.hatenablog.com

そう言えば母にもよく「親に向かって何やその口の聞き方!」とか、とにかく「親をナメんな」感満載のことを、よく言われました。

 

私はナメてるなんてめっそうもなかったし、大体よく考えたらハナから親にナメてかかってやろうなんて思う子どもいますか?

私はもし怖くないお母さんでも『ナメてかかってやろう』なんて思わなかったと思います。

その証拠に、昔母に述べていた感謝や敬う言葉は全て嘘ではなかったし、心から母を尊敬して、感謝もしていたから『怖くなかったらよかったのに』とは思うけど『怖くなかったらもっとナメてかかってたのに』とは思いません。

 

ハッキリ言って、子どもが親をナメる?それって独特の古い感性じゃない?って感じなのですが…昭和の初期は、何か子どもにナメられたら困るようなことでもあったのだろうか?

本当に子どもが親をナメていたのだろうか??

 

すると先ほどの方のブログで、道を逸れてはいけない!厳格な家庭こそが素晴らしい子を育てる!という風潮があったようですが(ここまでは、まぁわかる)それと「だから少々殴ってもOK」という大きな勘違いがあったようですね。

それが「親が子どもにナメられたら終わり」みたいな考えに繋がったみたいです。

先生がしつけと称して体罰しても殴られる子が悪い・むしろ殴ってくれた先生に感謝!ぐらいの考えだったようなので…

確かに今はちょっとしたことも過敏に騒ぎすぎじゃね?と思うこともあるけど

罰を与えてわからせる(肉体的・精神的どちらも)みたいな、それってそもそもすごく「子どもを下に見てる」と思うんですよね。

子どもって、そこまでバカじゃないです。

 

母を見ていると、幼少期厳しくされて辛かったからこそ美化したいのだろうなと思う時があります。

あの時の辛い気持ちは無駄ではなかったと。そう思うのは勝手です。

けれど、次世代に押し付けることはいい加減やめた方がいいと思います。

 

私もしょうもない親だったから、実家で暮らしたあの約30年を、無駄だったとは認めたくはないです。

けれど、絶対に「正解」ではなかったし、あんな思いをしながら暮らす人は、今後1人でも減ってほしいなと思います。

だから、自分で消化して、他人や下の世代に当たったりせず生きたいと思うのです。

 

本当に大人になるって、そういうことではないですか?

知りたくもない母の過去の話

母は娘にあれだけ偉そうなことを言っておいて、小心者でビビリというところも腹が立つけど、もうひとつ「どの口が言ってる」な案件があります。

 

毒親は、徐々に女らしくなる娘を敵視してくるのもよくある話です。

母の場合、私に異性の影がちらつくと「婿に入って貰えるか」「一緒に暮らせそうな男性か」の心配がメインでしたが

化粧が派手だの、服の胸元が開き過ぎだの、学生の頃なんかは髪をのばそうとすると「短くしたら」と切るまでしつこかったり、今思えば『私が女らしくあることが気に入らなかったのだろうな』ということも少なからずありました。

tari97.hatenablog.com

 

そんな母だから結婚前もさぞかし清純な時代を送ってきたのかな?と思いきや実はそうでもなかったらしいというのが近年わかりつつあります。

 

まず、ずーっと聞かされておらず、確か私が短大生くらいだった頃に父がバツイチだと知りました。

どうやら、父は前妻との間に子どもが生まれず、どうしても子どもの欲しかった父は別れを決意したらしい。

当時はその辺りまでしか聞かなかったので別に驚きもしなかったけど、つい最近なぜここに移り住んできたのか?という話とともにその元奥さんとの争奪戦につき詳しく聞く機会がありました。

 

母は、当時若さが武器だったので(元奥さんは父と同年代なので、母よりも20歳弱上だったことになります)調子づいていたのは安易に想像がつきますが、元奥さんもなかなか父を手放そうとしなかったらしく

結局父が半分逃げるようなかたちで家を出たそうです。

 

両親は同じ職場で出会ったので、高卒で入社した母はほどなくして父と付き合うようになりましたが、奥さんから逃げる為に父はその会社も辞めたそうです。

(言ってみれば、父はそれほどの決心をしてまでも子どもが欲しかったのだと言えます)

そして、母のみが居場所を知っているみたいな感じになって、足繁く父宅に通っていたそう。母が20歳前後のことだと思います。

 

私には、アイドルオタク繋がりの友達(なので、もちろん女性)と泊まると言っても「ほんまやな?ほんまに女と泊まるんやな?」とか、20代も後半の娘に疑いをかけておいて、自分は結構なことしてますよね(笑)

まぁこんなのはまだかわいいものです。料理ができるのが自慢だった母は、そうやって父のアパートで若奥様を気取るのが楽しかったのでしょう。

 

 

もうひとつ、これはわりと最近(と言っても7~8年くらい前かな)母と婦人科系の話をしていた時に、めっちゃドヤ顔で「私は子どもできやすいからな~」と言ってきたことがありました。

するとさらに聞いてないのに「高校の頃、子どもができて、こっそり病院でおろした」という話をされたのですが、その時はさすがにドン引きしました。

 

『え?親や学校にバレへんかったん?』と聞くと、長期休みだか連休かの時に「友達の家に泊まる」とか何とか言って、こっそり中絶したらしいです。

 

その時はさすがに、母を見下すというか

何かこの人ほんと色々終わってんな、と正直思いました。

しかも「いけないことしたな…」みたいなニュアンスでもなく、どうかしたらちょっとした武勇伝かのごとく言ってきたので…(あれも、もしかしたら男っ気のない(ないと言うか母には言ってないだけですけど)私への自慢だったのかも知れませんね…)

 

しかも母は年をとってからの方が何かとそうやって「実は…」ニュアンスの話をしたがっていたように思います。

 

 

私にはそこまで人に言えないような過去もないけれど、それでもやっぱり異性とのいざこざや、そういう立ち入った話をもし子どもがいてもしないと思う。

例えしつこく聞かれても、です。

(手続き上必要だとか、法的に話さなければいけないことならば別ですけど)

 

こうやって、母の昔話を聞いていると、プライベートの話は

「(同性の)友達とこんなことした」とか「こんな趣味があって没頭した」とか「どこへ出掛けた」とかがまるでなく

本当に、オトコを追っかけ回して、それに伴い起きた事項ばっかりなんですよね。

別にそれはそれで母の人生ですから、母の勝手ですけど

娘にまで共有させなくて、いいと思うんですけどね。

 

 

これも結局かまってちゃんすぎて、誰かに話したかったのかも知れないけれど

少なくとも、デキちゃった!なノリで親が中絶したことは、知りたくはなかったかな。

リアクション恐怖症

私は気が利かない方ではないとは思うので(あれだけ毒親の顔色をうかがって生きてきたので、嫌でも身についただけですが)職場とかでも色々と気はつくのだけれど行動にうつすかどうか?と問われれば微妙です。

 

10年以上事務職をやってきて、どちらかと言うとあまりイレギュラーなことは求められないのでそうやって気付かないフリでも何となく通ってはきましたが(改善して等指示があれば、その都度やってきたという感じ。自分から『こうしてみては?』というような働き方はあまりしてこなかった)

今の副業は私の苦手な「接客」の要素もあり、もちろん臨機応変さが求められます。

ただ、気はついていても、咄嗟に行動に移すことがどうしてもできません。

こうした方がいいかな?いや、でもと考えているうちに上司にこうして!と言われやっぱりやった方がよかったか…の繰り返しなんです。

やっぱりどうしても「言われてないのにやる」その一歩が踏み出せません(相手がお客なのも、あるかもしれない)

これでは接客は向いてないなというのは百も承知ですが、一応弁解しておくと「事務職」で募集がかかっていて、いざフタを開けると接客の要素がかなりを占めていたという感じだったのです。

 

例えばこれは休憩中にみんなにお茶いる?と聞くとか、男性社員には勝手にお茶を入れる女性社員もいるのだけど、私はそういったことをどうしてもできないのです。

時々『あ、お茶入れてませんでしたね~!すみません、気がつかなくって!』とか、あたかも『今、気がつきました』感出して、私こういうキャラでごめんなさい的にごまかしたりもするのだけど…気がついているけど、最初の一言が言えない&一手が出せないだけ(情けない)

 

例えば勝手にマニュアルみたいなのを作って『作ってみました』『また見てみてください』とか言うのは、まだ平気です。誰も必要なくても、そのファイルはフォルダに存在し続けるだけで、いらなければ削除したらハイおしまいなので。

 

けれどリアルタイムで相手の反応がわかる状況になると、どうしても緊張してしまいます。

色んな人がいるから、その人数分答えもあるのは頭ではわかるのだけど…

なんでこんなにビビってしまうのかな?とずっと考えていましたが

やっぱり「そんなことやらなくていいのに」みたいなリアクションをされるのが、どうしても怖いのです。

逆に考えたら「やってくれたらよかったのに」と言われる可能性もあるのだけど、私は前者の方が『せっかくやったのに…』というあの気持ちにまたなりそうだから苦手です。この記事に書いています。

tari97.hatenablog.com

 

これは少なからず、母からの心ない一言も影響してるのではないかなと思っています。

母は大体、やってほしいことはやれと指示してくるので、上に書いたように「やってくれたらよかったのに」と言われる可能性もそもそも低かった訳です。

母がやってほしいことは、こちらが嫌なことでも、やるまで言われましたし(それでも「言われてからやったって値打ちないで」とまで言われることもあったけどね)

tari97.hatenablog.com

 

気を利かせてやったことも、母は自分が気に入らないと文句は言うわ貶すわ。何で毒親って、やってくれたことへの「ありがとう」のたった5文字が、まず言えないんでしょう。

 

逆に、私が気を利かせてやったことが母にとって良い結果であったとしても「ありがとう」の前に「(これくらい、やって)当たり前や」とか「もうちょっと〇〇の方が良かったけどな」とかね。

指摘や自分の感想を述べるなとは言わないけど、せめてその後でもいいから「けど、やってくれたことはありがとうね」の一言でもあれば、違っていたかも知れません。

 

結局、何をしたってそういう言い方しかされてこなかったから『私がやることなんて、たかがしれているのだ』『むしろ(関西弁で言う)いらんことしぃなんだ』という意識がどうしても抜けないのです。

 

まぁでも、今の副業の職場ではちょっとそういう注意をされても、あまり『せっかくやったのに!』とは思わなくなりました。

 

職場環境が良いからなのか、自分が変わったのかは、わかりませんが…