もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

ライトに生きる練習

人と話していると、時々『前言ったのにもう忘れたのか』とか『少し調べたらわかりそうなのに』とか心の中でつっこみを入れてしまうことが昔から結構あって

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とにかく母は「ぼーっとする」とか「ついうっかり」とか

「聞きもらす」「忘れる」「失くす」

そういうことを異様に嫌うところがあって

それは、そういう少しの失敗でも「取り返しのつかないことになるのが怖かった」そうで

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ただ、たかだか子どものやることで取り返しのつかないことなんてそうそうないのに

「飲み物をこぼす」程度の失敗も、母にはどれだけの被害を受けるのか?というくらい怒りまくっていて

幼い子どもにも完璧主義を押し付けていたように思います。

 

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私は『偉そう』としか感じられなかったそういった母の育て方については

母としては「優しさ」を「甘やかし」と勘違いしており、厳しく育てすぎた らしく

(ぼーっとしてる、あほな子に育って欲しくないから厳しくした!と言い張っています)

 

昔の私はそれが世界基準だと思っていたので、できない人を否定していましたが

うちが標準ではない、むしろうちがおかしいと気付いてからは、母に教えられた「こうあるべき」という枠がいかに狭かったかということもわかり

まずどんなタイプの人間でも否定せずに過ごしてみようと思い、そういった気付きにより、冒頭に書いたような感情を抱くようなタイプの人にもイライラしなくはなりました。

 

前にも少し書きましたが、友達のRちゃんが本当にそういうタイプで(記事はこちら

Rちゃんはまず言ったことをほぼ覚えてないので、数年の付き合いでもう同じこと何回言ったかな?ってなります。

あまりにも何回もした話についてはさすがに『前ゆーたやん!笑』と言いますが

言われても何も気にしていません。

だからまた忘れて同じ話をするんでしょうね。

昔の私なら絶対に嫌ってたと思います。

けれどRちゃんには他にたくさんいいところがあるし、一緒にいて楽しいので

「話を聞くスタンス」については、正直あまり好きではありませんが

これがRちゃんらしさなんだと思って付き合うようにしています。

職場にもこういう人がいて、好きなアイドルグループが同じだからうれしい!話そう!と言ってくれるのは嬉しいのですが

『そんなん常識やで』ということも調べもせず「わからん、わからん」と言っているタイプの人で

重要なメールをちゃんと見てなかったがためにイベントの申し込みわからんかったーー!行きたいのに!と言っていたかと思ったら

まいっか!で、済ませていました(笑)

「ファン」を名乗る者として、私からしたら信じられないんですけど(笑)

これも昔の私なら嫌いになっていただろうなぁ。

 

そういう人と接した時に、とにかくイライラして私と何が違うのかな?って、昔はずっと不思議でした。

今思うのは、まず親がうちみたいな親じゃないことは確かかなって思うけど

あんまり全ての物事を深く考えてないのだと思います。

こう言うと何か貶してるみたいに聞こえそうだけど

深入りしないと言うか

例えるならば

スコップを持ちながら歩いてある程度まで掘ったらまた次の穴を掘りに行く(新しい話題やものを探す)

全部浅ーーく掘っては、それ以上深入りはしないイメージ。

Rちゃんを見てたら、すごくそんな印象を受けます。

私は私で、深く深く掘ろうとしすぎて、あっちも深くこっちも深く…とするうちに疲れるだけで

そもそもそんなに深く掘らなくて良いものにも執着しすぎていたのだと思う。

だから私自身も「聞いてない」とか「忘れた」と言われると、昔は腹を立てていました。

母と同じですね。

 

全ての穴を浅くしろって訳ではなくて、時には深く掘り下げてもいい。

ただ、私の「深く掘る」は、母の全方位からの問いとか愚痴とか、あらゆる攻撃にも全て対応しなければならないと思ってやっていただけ

「話半分」とか、何事においてもそういうこと(=浅めに掘って適当なとこでやめる)ということが、母相手にはできないから

ずっとそうやって生きてきてしまったのだと思います。

『わからん』と言えば「何も知らんな!(バカにするように)」だとか、母の気に入る答えじゃなかったら「あとは自分で考えたら?(勝手にしろ)」とか罵声を浴びせられて、また機嫌を損ねるので

その防御策が『何でもぬかりのないよう、聞きもれのないよう、気を張り巡らせる』こと(=穴を深く深く掘ること)だったのです。

 

もう、こんな生き方をしなくていいのだと、母と離れてやっとわかりました。

もう少し「ライトに」生きる練習を、これからもしていきたいと思います。

 

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食べられないことへの恐怖

私は、友達との外食にものすごく気をつかいます。

元々が少食なのとお腹も弱いので、お腹が空いてないのにとりあえず腹に入れるということができないし(お菓子程度なら、何とか)お肉や脂ものも場合によってはお腹を壊します。

1人で腹痛と闘う分にはいいのですが、外出先で誰かと一緒のときにお腹を壊すのは心配させてしまったり予定が崩れるので、本当に嫌なんです。

なので、できればお腹にやさしいものを自分の許容量の中で食べたい訳です。

特に1日に2回以上外食をするのは私にはきつすぎて、夜に行くなら昼は控えておきたいとか、夕食後にパンケーキとかスイーツに行くなら余力を残したりする訳です。

できるだけ場の雰囲気を悪くしないよう、お腹と相談しつつ食べるのに必死なのですが
もちろんそれを理解できない人もいる訳です。

 

数年前、友達がうちに泊まりに来た時、近くのファミレスのモーニングを食べてみたいと言うのでじゃあ行こうという話をしていて、お互い結構ダラダラ準備する方なので準備しながら友達が「お腹減ってきた」「今、なんか食べようかな」と言い出したのです。

そんな時のために、友達には前もって小腹が空いた時用のパンとかを前日に買っておいたので、それ食べたら?と言うとたりは食べないの?と聞かれ、それ今食べたらモーニング入らないから私はいらないと言うと(ちょっとその友達はかまってちゃんだったので)

「たりが食べないならやめとこうかな」「でもお腹減った」

私は私で『どうする?もう今パン食べてモーニングやめる?』

「モーニング行ったことないから行きたい」

『じゃあ私はモーニングに余力残しとくよ?』

と、結構な時間押し問答になりました。

その友達は、今食べたいと思ったら後先考えずに食べる子なので、時々いざ食事に行っても「あまり食べれない」とか言うことがたまにあって、彼氏相手にでも結構そういうことをしていたので『てか、結構彼氏にもそうやって思いつきでお腹いっぱいにしちゃってることあるけどその後ごはん行ったりして、気まずくないの?』ときくと、お腹いっぱいだったら食べずに「見とこ~♡」とか言ってごまかすって言われたときに、また目からウロコでした。

 

私の家ではそんなこと、絶対に許されなかったから

え?それで済むの?場の空気、悪くならないの?と…

 

母は料理にだけは自信満々だったから、その料理が入らないなんてこと絶対あってはならなかったのです。

お菓子を食べるにしても「晩ご飯食べれんなるで!」といつでも母が目を光らせていたし、実際お腹空いてないと言うと父は「無理して食べなくていいやん」と言ってくれましたが、母には「せっかく作ったのに!もったいない!」と責められました。

外食でもそうです。「せっかく来たのに!しょーもな!」みたいに言われます。

 

もりもりご飯を食べると、母は機嫌が良かったです。

 

そんな母には「食べれたら食べる」が通用しないから、常に「母の機嫌を損ねない程度に腹に入れる」ことがうちでは当たり前だったのです。

学生の頃は代謝も良かったし、今ほどお腹も弱くなかったし、今より太っていたし母はその頃職場が遠く夕食の時間もわりと遅かったので夕方友達とファストフードを食べたりしても全然夕食も食べれていました。

 

そうやって考えると、少食になってだんだん家でご飯を食べるのが相当重荷だったのだと思います。

その上、静かに食事させてくれないので

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いつの頃からか、母との食事はかなりのストレスになっていたのかと。

 

本来、お腹の空き具合なんて日によって違うし、食欲のない日だってあります。

世間ではきっと「食べれたら食べる」で、済む話なのです。

だから、今からモーニングに行くと言っておきながら、何か食べようかななんて言う友達の言葉が信じられなかったんですよね。

 

今、毎日1人で適当なものを作って夕食をさっと済ませることが、こんなに気持ち的に楽なのだと実感しています。

 

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また生まれてきた感情

前に書きましたが

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あれだけ金!金!と言っていた割に、なぜ働く上で有利となるパソコンの勉強をもう少しやろうという気にならなかったのか?という話をこの間母にしてみました。

 

たり『母さんは、金のためなら根性!で、たいがいのことやるタイプやと思ったけどパソコンの勉強は何でもう少しやろうと思わんかったん?』

母「母さんは自分のできる最低限の力で働いて、いくらもらえるか?やから」

た『でも、パソコン覚えて仕事してたらもうちょい稼げたかなとは思わんの?』

母「パソコンを覚えてまで、給料もらいたくないもん」

た『じゃあ覚えないとクビですって言われたらやってたの?』

母「そうやな!それなら、やってたわ!」

 

やっぱりそうなんですね。

自分の設定したラインをここ!と決めたら、断固としてやらないんですね。

自分を甘やかすことは、忘れずやるのですね。

まぁでも別にそれは個々の生き方なので良いと思います。

 

ただね、私が引っ掛かるのが

娘には自分なりのその設定のラインを決めることを許さなかったこと

何でもかんでも、情けない!根性なし!と一蹴して

「できて当然」「自分もやってきた」みたいに言って

頑張っても「頑張ったね」より先に「これくらい、できて当然や」

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ずいぶんと偉そうに言われましたけど

いやいや、あなた、してないですやん(笑)

思いっきり、自分には甘いですやん(笑)

 

私、最近すごく思うんです。

私は長い間、自分の足で歩くことを知らなかったから、自由がなかった反面、楽してきたことも自覚しています。

そんな中で、色んな友達とも出会って、職場も転々としたけど、皆それぞれ個々の事情を抱えながらも、何とか折り合いをつけて必死に生きている。

今、自分の足で立ってがむしゃらに生きるとはこういうことなんだと、30代半ばにしてやっとわかった訳ですが

じゃあ、母と暮らしている頃の私は頑張っていなかったのかというと、そういう訳ではありません。

ただ「頑張り方を間違えていた」だけで

あの頃だって、私は必死に生きていました。

今よりずっと辛い環境の中で、何とかかんとか生きていました。

そんな私をことあるごとに、情けない!根性なし!とこき下ろした母のことが、やっぱりどうしても許せないのです。

更にここへ来て、母がいかに自分の感情は家族任せ・自分のこととなるとハードルを簡単に下げていたかということがわかってしまって

余計に腹立たしいのです。

この感情は、今までなかった感情です。

 

ひとつ昇華したかと思えば、それまで見えてこなかったことが急に浮かび上がってきて、またそれを昇華していかなければなりません。

 

難しいですね。

 

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