もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

毒親あるある?子どもみたいな親

幼い頃から、同年代の子たちにすごく馴染みづらい感覚があって何か自分は皆と違う、違和感みたいなものを感じていました。

自分がませてて冷めてる自覚はありましたが、まぁ姉が5歳上だし姉に合わせて話すからかな?程度にしか感じていませんでした。

ただ、保育園の頃からお遊戯とか楽しいと感じることがなくて、何で皆があんなに楽しそうに笑ってできるのか不思議で、楽しめる子が心底羨ましかったです。

 

その頃の感覚は、そういうお遊戯とかやりたくないことを " やらなくていい方 " の自分がもう1人いて、私に『嫌だけど、子どもらしくこなしなさい』と言って、一方現実の私は " やらないといけない方 " の自分で、仕方なく子どもらしくふるまって、その場をしのぐ、みたいな感覚でした。

当時は『皆が幼稚なんだろうな』ということで片付けていたけど、あの感覚は何だったのだろう?その「もう1人の自分」が私生活に影響を及ぼすことはないので皆そんな感覚があるのだろうか?と思って過ごしていましたが。

ただ、自分が異様にませてて、同い年の子たちを『幼稚だ』と下に見ていたり、やたら冷めていた感覚は、母から「大人っぽい対応」を求められすぎていた結果じゃないかな?と、最近思いました。

と言うのも、社会に出てから世の中の人がこんなに辛辣な話をせずに過ごしているの?と感じたんですよね。あ、この程度でいいんだ。みたいな。けして世間の人をバカにしているのではなく、うちが確実にやりすぎだったんだと思います。

 

私の家では、とかくいつも議論が繰り返されるみたいな感じで、お互い今日あったことの報告からの「私はこう思う」「その人の言うことはおかしい」「たりの言い分は間違っていない」とか、本来「単なる雑談」で終わるような話を延々とクソ真面目に語っていた気がします。

おかげで少しは語彙力も身についただろうけど、確実に子どもが幼いうちからやりすぎていたと感じます。

母は、何にでも筋道とか理由とか、そういうのが必要みたいな感じがあって「ふ~ん」とか「ま、いいんじゃない?」みたいに終わることが、あまりありませんでした(ただ、母は自分に興味がない場合は「まぁええやん」で済ませる)

どんなにしょうもないことでも、母が議論したいことには意見を求められたしそれなりの回答をしなくちゃ、といつも思って過ごしていました。

 

そんなだから、私も彼氏に「そんなに怒ってたら、疲れるで」と呆れられたり(私の家では小さなことでもクソ真面目に討論するのが当然だったのでそれをしただけですが、他人には怒っているように見えたのでしょう)

高校のときに同い年の彼氏に「お前にはついていけない」と言われたこともあります。私の考えを「こうだから、こう。だからこうしてほしい」と理詰めで話し続けたせいです。好きだから、と言っても伝わらず、逃げるように別れられましたw

なので、前に書いた彼氏の友達が亡くなったときだって

tari97.hatenablog.com

「つらかったよね」とか「無理しないでね」と、たったひとことそう言えばよかったものを、家でそういう声掛けがなかったために、対処法が全くわからなかったのです。

母は「つらい人につらかったよねって言って何になるん?」とか「友達亡くなったって、落ち込んどる場合やあらへんで」みたいなノリなんですよね。

幼い私たちにもそういう対応でした。

 

子どもって、ただ共感してほしいだけなんですよね。「楽しかったよ」って子どもが言えば「よかったね~」でいいのに、自分が興味なかったら「今忙しいから」とスルーして、興味があれば「それで?何がそんなに楽しかったの?母さんにわかるようにちゃんと説明しなさい」みたいなね、返しが0か100かなんです。

だんだん、気軽に今日あったこととか話したくなくなってある頃からは姉にだけ言うようにしていました。

 

その名残か、今でもつい誰に対してもまだ聞かれてもないのに「こう言われたら、こう返す」と、思考だけが一人歩きして聞かれてないことまで言いそうになるのは悪い癖です。「まだこの先言わなくてよし!」と、先を急がない癖をつけています。

 

母はしきりに「娘たちに、早く成長してほしかった」と言っていたあたり、母が一番「構ってちゃん」で、母のほうが「子ども」だったのでしょう。

本来、そうやって議論する相手はまず「夫」や「友達」じゃないか?とも思うのですが、父は夜になれば酒が入ってフワフワしてるから話にならないし、愚痴を言い合う友達もいない。

 

「構ってほしい!」「私の言うこと、聞いてほしい!」という気持ちを娘に思う存分ぶつけた結果、子どもは思考だけが大人になりすぎてしまって、やたらと冷めた幼少期~思春期を過ごすことになったんじゃないかなぁと、そんな気がしています。

 

今思うと毒母と私たち、精神的な面ではほんと、どっちが子どもかわかりません。