以前、伝統工芸の職人さんを特集したテレビ番組をみていると、跡継ぎが減っているので、若い人にもどんどん来てもらいたいと、職人さんが話していました。
伝統技術って、体で覚えて「技を盗む」みたいなイメージが大きいですが、その職人さんは若者に手取り足取り教えている様子で、工房もすごくいい雰囲気で驚いたのを覚えています。
一番印象に残ったのは「背中を見て覚えろなんてのはもう古い。僕の時代はそうだったけどねぇ」「わからないことはきちんと教えてあげなきゃ」とにこやかに話していたこと。
「母さんの背中を見て覚えるんやで!」
母に昔よく言われたけど、これも大嫌いなセリフ。
男子のいない我が家では、姉が結婚して家を出ると母は私を家の跡継ぎ候補として扱いました。
「アンタがしっかりせんとアカンで!」
母に言われたことは嫌々でもその通りにするのですが、ほめたり礼を言ったりも一切なく「できて当たり前」と言われ
挙句の果てには「言われてからやっても、値打ちないで!」とまで。
まるで私が気の利かない、できない人間のように散々言われ、私はずっとそれを鵜呑みにしていました。
だから『もっと頑張らないと』と思って生きてきました。
お母さんって、どこもそういうものだと思っていたんです。
今思えば、宗教みたいなものです。
母に呼ばれて、あらたまって色々話をされるのも、大嫌いでした。
庭に出て「時々こうやって家の周りを点検しろ」とか「雨樋の傷みを見ろ」とか20歳前後だった私に言うんです。
庭や屋根、外構なんかを定期的に子どもが点検なんてしないといけないものなのでしょうか?
料理中にも、機嫌の良い時は私を呼びつけ「これはな、こうやってこうするねんで」と母は1人で盛り上がっていました。
「料理を娘に教えてあげるお母さん」に酔っていたんでしょう。
食にも料理にも興味のない私には苦痛でしかありませんでした。
車もそうです。
『こういう車に乗りたい』とも一言も言ってないのに「大きな車にも乗れるようにならなあかんで」と勝手に2~3種、次に私に運転させる車種を候補に挙げたり。
車に興味がない以前に、私って本当に運転が嫌いだし車の運転なんて本当は極力やりたくなかったんだと気が付いたのも家を出て何年も経ってからです。
運転以外にも『こんなこと、本当はやりたくなかったんだ』と今さら気が付くことの多さに愕然とすることは、もう何度も書いてきました。
とにかくこちらの気持ちなんて全く確認せず、どんどんどんどん尻を叩かれるような感覚。
その度に『私がしっかりしないといけない』と『こんなことまで、私がしないといけないの?』との葛藤に、押しつぶされそうでした。
『そういうの、重い』『まだ、考えるには(年齢的に)早いと思う』と、正直に言ったこともあります。
『そういう時が来たら、ちゃんとやるから』とも、何度も言いました。別にそういうことを放棄する気はない、と。
(もちろん、今はもう家がどうなろうと知ったこっちゃないですよ。母が全く譲歩の姿勢を見せなかったので、母の期待していた役割は放棄したまで)
毎回、意見すると母はまるで私がワガママを言っているような言い回しで丸めこもうとします。
最終、お決まりのご飯と金で脅します。
「誰のおかげで飯食えてんだ」
たまにドラマとかで見聞きするこういうセリフ。
こんなこと言う人って最低!と思ってたけど、何てことはない私の母も十分同類でした。
「誰のおかげでこの家住めてると思てるんや」これは明確に母に何度も言われましたしね。
母はいつも「たりをしっかり者に育てるため」「将来たりが困らないように」みたいなニュアンスでしたが、それを免罪符に自分のやりたくないこと・面倒なことを娘に押し付けていただけ。
私の意見も聞かずに私の未来を「こっちのほうが幸せになれる」と決めようとしたこと、それに反発する私を否定し続けたこと。
私は絶対に許せないし、ハッキリ『母さんのそういうところが傲慢や』と伝えたこともあります。
けれど、母の口からは謝罪の言葉はなく「母さんはな、田舎で育ったからそれが当たり前やと思っててんよ!」と。
少なからず嫌な気持ちにさせた相手を目の前にしても「ごめんね」より先に自分の肯定と言い訳。
悪びれる様子もなく笑いながらそう言われた時に、私の中の何かがまたひとつ、プツンと切れたような気がしました。
そんな母の背中を見て学んだことなんて、ほとんどないです。
大した知識も知恵もないくせに、何が「背中を見て覚えろ」だよと思います。
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