先日T子(母の実姉)の賃貸マンションの引き渡しを終え、久しぶりに姉と母と3人で話す機会がありました。
自分の私生活を母には極力話したくないし、母は母で何も会話の引き出しがないので毎度自然と昔の話になります。
別にわざと母の悪口を言ってやろうという気はないんですが、とにかく母の胸糞エピソードが家族の1イベントに最低1つくらいはあるので、そういえばあの時…の先が大体『母さんがキレたよな』『母さんが文句言うてたよな』とかになるんです。
私たちの記憶の中の母がいかに怒ったりキレたり他人の愚痴や悪口を言っている姿しかなかったかということ。
まぁこれだけしつこくブログに書いているだけあって、母に何かを言われても反応が俊敏になってきました。
「あ!これ進○ゼミでやったところだ!」的な(笑)
論破するつもりもなく『わからなかったらわからないでいいですよ。いやむしろわからないですよね。娘からもこれだけ拒絶されるまでわからなかったんですもんね』という気で話しているのは大前提。
わかったような顔で話を聞いてるかと思えばやっぱり「でもでもだって」で、話を振り出しに戻す母。
「アンタら、実際お金に困ってたらそんな(生ヌルい)こと言ってられないで!」と、私や姉の意見を遠回しに「甘ったれ」みたいに攻撃するんですよね。
あ~結局これが母の一番の本心であって、これが全てなんやろな~と。
「貧乏な家で育って、悔しかった」「だからアンタらには貧しい思いさせなかった」「なのに何で文句言われなアカンねん」
この沼からはどうしても抜け出せないんでしょうね。
偉そうで横柄な態度、耳を疑うような酷い言葉は「あの程度のこと」なんです。
母は「貧乏が…」に気を取られ、それが自分を形成する上で一番の問題だったと思っているようですが、私はそうは思わないんです。
お金に余裕がなくても、温かく子育てできる人はたくさんいます。
あの異常な感情表現の家族の中で育ち、おそらく母も強烈なアダルトチルドレンであり、自己愛性パーソナリティ障害の気もあると思っているので、本当の問題はそこだと思うんです。
お母さんは貧乏でかわいそうな子だったのよ…だから言うこと聞きなさい。
母は散々怒鳴り散らした後、娘の罪悪感を引き出し、話を丸め込んできました。
さぞかし自分の思い通りになってスカッとしたことでしょう。
それがどれだけ私たちの心を苦しめ、また今でも苦しめているか。
貧しかったことに気を取られて気付いてないと思うけど、母さんの育ったあの家の感情表現には、かなり問題がある
母さんはそういう表現で、私たちのことも相当傷つけた
ハッキリそう伝えました。
母さんが貧乏で辛かったこと、気の毒やと思う。けどそれと私たちは何の関係もない
悲しかった・辛かった母さんの心のケアをするのは私たちの役目ではない
子育てする上でまずかったことに「ああいう育ちだったから」が免罪符にはならない
とも言いました。
それから、不自由なく暮らす私たちに「自分の子どもの頃は…」という、やっかみがなかったか?とも、母に問いました。
そうでもないと、あんなに酷い言葉や態度の説明がどうしてもつかない、と。
姉は、母を反面教師に子育てをしていますが『時々○○(娘)に対して、こんなこと私が子どもの頃母さんに言ってたら、半殺しの勢いで怒られてたやろうなって思う時ある』と、涙をこらえて言っていました。
確かに私も姪を見ていると思います。
そんなにフランクにお母さんに喋れて、お母さんの前で素直に泣いたり笑ったりできていいなぁと。
これについては母は黙っていたので、多少図星だったんじゃないかなと思います。
母は昔の辛かった話を始めると毎回同じ話をします。今回もそうでした。
それが一番、家族から蔑ろにされて傷付いたエピソードなのでしょう。
だから母に伝えました。
『母さんその話、何回もするよな』
『それが結局、めちゃくちゃ心の傷になってるってことやろ?』
『それを「何だ、その程度で」と言われたら、どんな気持ち?他人が勝手に決めるなって、思わへん?』
『だから私たちが昔のこと何回も言うのも同じことなんよ。アンタ達の主張は大したことない、お母さんの方が大変やった!は、おかしいよな?』
…時々、3歳児と話してるんかな?って思う時あります。
あながち、間違いでもないのでしょうけど。