前の記事の続きになるのですが
文章を書くのが好きな私が、なぜ一企業のブログ投稿にそこまで不快な印象しか持てず、それを理由にきっぱりと契約更新まで断ったか。考えてみました。
在宅の入力の仕事を始めて、ブログ投稿完了のグループチャットにも参加承認され、徐々に『もしかして、全員参加なのか?』という不穏な空気が自分の中で漂っていました。今思えば早い段階で上司に質問しておくべきでした。
どういうサイクルで変わるのかはわからないけどテーマが決められていて、それを知ってから再度ブログを何記事か読んで不快感の正体がわかりました。
ほとんどがテーマに沿って、自分の子育てに絡めてほっこりエピソードが綴られていますが(おそらくママさんが多いのだと思います)私は独身なので、テーマに関係した文章をとなると小さい頃のことを思い出して書かないと「引き出し」がない場合があります。もちろん、今現在の暮らしの引き出しから抜粋できることもあるけど、独身で子どももいない私にはその引き出しが既婚・子ありの人と比べると、少ないんです。そのため、幼少期の引き出しを開けるしかない場合もいつか来るかもしれません。
たとえ記事にしなくても『何を書こう』と思った時に反射的に思い出す母の嫌なエピソードが1テーマに1つあってもおかしくはない、そんな幼少期でした。テーマが何であってもそれに付随した、母のキレた顔・怒鳴られたあの時間・泣きはらした惨めな自分の姿…を否が応でも思い出すことになるかもしれません。
引き出しをわざわざ開けなくても毎日ふとした瞬間に未だに小さい頃母に言われたきつい言葉が蘇ってつらい気持ちになるのに、わざわざ引き出しを開け、その危険にさらされてまで戦々恐々とブログUPしなきゃならんのか?というのが今回の私の「心の叫び」だった訳です。
明確にそれに気がついたのは、母娘のほっこりエピソードがその企業ブログの中にあったからです。
私は自分のこの毒親ブログを書く時は『思い出そう』という前提でやっているから、辛いのは覚悟の上です。
もちろん、その企業ブログも別に子どもに絡めて書く決まりもないし、同じテーマでももう少しビジネスブログ寄りにUPしたって問題ないのだと思います。しかし自分のこのブログ更新する時以外にわざわざ、母にやり込められたあの最低な時間のことを思い出すかも、という要素すら作りたくないんですよね。
面談をしてくれた上司は「そんなに気負いしなくていいんだよ」と言ってましたがそうではないんです(まあ、変な親がいなければこのニュアンス伝わらないでしょうね 苦笑)
私はSNSとかの「ほっこりエピソード」大半嫌いです。
子どもネタは興味がなくて共感できないだけですが、それが「親子」になった途端おそらく「悔しい」という気持ちが先行するんだと思います。
だからその企業のブログの母娘ほっこりエピソードを読んだ時に『あ、無理』となった気持ちを『でもお金になるしなー』では片付けられないよね?と何か月もかけて自問自答した結果、契約更新を断念しました。
いよいよネタがなくなっても、それらしい母娘ほっこりエピソードを偽装することだってできます。しかし、そんな気持ちで書いた記事で報酬も貰いたくないし、誰かに読まれたくもありません。それがその企業のHPに残り続けることも気持ち悪い。
こういうことをここまで明確に整理できるようになっただけでも、自分の思いを文章化してきた意味はあったと思います。
本当ならもっとお世話になりたい、優良企業さんでした。これから仕事も増えるようで、続けられるのなら続けたかったです。
でもたった1つ、プライベートをさらけ出すのに抵抗がある人だっているという部分に配慮できなかったのが、非常に残念でした。