もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

依存の名のもとに、かき回された私の20代

私の20代は、ほとんどが母にかき回されて終わりました。


現実逃避の為にアイドルオタクをして楽しかったけど

tari97.hatenablog.com

上の記事のようにライブが終わると死にたくなっていたあたり、今考えたら健全な「オタク」とはかけ離れてたと思います。

 

その頃の母は

①夫の介護心配!(19歳上の夫はいつ介護状態になってもおかしくはない)

②娘に婿もらう!(使い物にならなくなった夫の次は、さぁ!娘に依存!)

の2本柱で生きてて、それが世界の全てだったのでしょう。だからマトモな話ができないし『母ってここまで話の通じない人だったかな』と毎日思ってました。

ただ、いつも思うのが

まず①については、自分の選んだ道ですよね。同い年で結婚したのに夫だけが先に19歳、年取った訳じゃないでしょう。


結婚した時から「他の夫婦より早く介護する時期が来る」なんてわかっていることなのに、父が年老いていく現実から母はいつも逃げていました。

あれだけ、何でもかんでも「おとーさん、やって」とおんぶにだっこしてもらって、使い物にならなくなったら、手のかかる邪魔なジジィ扱い。

 

②は「婿もらって、家継ぎたい」なんて娘が一言も言ってないうちから勝手にレールを敷き、無理矢理歩かせようとしていました。しかも名目上は「娘を幸せにしたい」ということにして、結局自分が依存する相手を手元に置いておきたかっただけ。


「おとーさん、やって」ができなくなれば次は「たりー、やって」です。あわよくば「〇〇くーん(←私の夫)やって」だったのでしょう。

だから私が22歳くらいで「一人暮らししたい」と言った時の母の取り乱し方は異常だったし、これ以上言ったら殺されると本気で思いました。

そのときから母は私を脱獄を企む囚人を見張るかのごとく、あの手この手で家に閉じ込めておこうとしました。

今思うと正直に話さなくてもよかったのに、まだ仲良し母娘に戻れると思っていた当時『今、いいなと思う人がいて、その人が京都の人で…』という話をしたのです。

すると母は「あっそ!アンタは京都に引っ越して、京都に住むんやな!」と一方的に喚いてその場を去りました。まだその人を「好き」とすら言ってないうちからそこまで話が飛躍するくらい、よっぽど余裕がなかったのでしょう。

このことは未だに許せませんが。

ただ、よくわからないのが、一人暮らしは断固反対な割に「結婚をして出ていく」のはOKという母の独自ルールがあったので、母に聞いたことがあります。

『母さんは婿がほしいのに、私がよそに嫁いで出ていくのはいいんや?一人暮らしはダメで、結婚はいいの?』と。

すると、母は「何や!出ていくんか!」

この時期は万事がこれで、マトモに話ができなかった訳です。

囚人(=私)がいつ何を企てるか、戦々恐々としていたのでしょう。

なら、もう少し嫌われないように自分の態度改めるとか、してもいいと思うのですが。

こうやって見たらわかりますね。

母の生き方は「依存」で成り立っていて

①は夫に依存することしか考えず生きて来た結果

②は娘に依存する気満々

多分、夫も娘も、オイシイとこは使わせてもらう、自分が楽に生きられるためのオプション程度にしか考えてなかったのでしょう。

だから「結婚」というめでたいことで娘が家を出ていくなら「ま、いっか☆」程度だったのでは(まぁどうせ、もしそうなっても「徒歩圏に住め!」って言われたりとか、別の問題が浮上してきてたんじゃないか?と思うけど)

 

最近になって時々母にされて嫌だったことを話してみるのですが(謝らせたい訳ではないです。リアクションを見たいだけです)たまに、えらくアッサリ謝ってくることもあります。

ただ、②だけは絶対に謝らないどころか、未だに言い訳してます。

謝ったら、自分の人生が思い通りにいかず、頑張りが無駄だったと再確認させられるからでしょうか?

「お母さんは田舎で育ったからなぁ、そうするのが当たり前やと思てたんよ」

知らんがな。

「でも、嫌な思いさせたなら、ごめんね」とは、多分死ぬまで言わないと思います。

そんなに血を絶やしたくなかったら、息子が生まれるまで子作りするか、男の子の養子でも貰えばよかったのに。

 

よく母は人のことを「考えが浅いわ!」とか「先のこと考えて行動せなあかんで」とか言ってたけど、思いっきりブーメランだと思う今日この頃。

彼氏の友人が亡くなったときの話

前記事

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のように、バシッとものを言うのを昔はむしろ「かっこいい」と思っていたし、お店とかでハッキリとクレーム的なことを言えず泣き寝入りするみたいな人を「意気地なし」とバカにしていました。

そして、家ではこのような

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「えげつない」悪口ばかりを発する母とずっと過ごしていたためか

10代の頃の自分は誰に対しても偉そうでした。バシッと言うのも時に大事ですが、その頃の私はただ偉そうにしてるだけのガキって感じでした。

「人の気持ちに寄り添う」ということが全くできない子でした。それに悪気がなかったことがまた恐ろしいのですが。

16歳の頃、ちょっとヤンチャ系の彼氏がいました。ある日その彼氏から暗い声で電話があり「友人がバイク事故で死んだ」と。

彼氏は「アイツ、いつも注意してたんやけど、聞かんかったから…またスピード出し過ぎてたんやと思う…死ぬなんて、、あほやな…」と言ってました。実際後で新聞にも載っており、スピード超過の自損事故でした。

泣きそうな彼氏に、何て声を掛けたら良いかわからず、私は彼氏の言う通り『注意されてたのに、スピード出し過ぎるなんて!自業自得やん!』『〇〇くん(彼氏)がヘコむことじゃないやろ。その子がアホやったんやろ』と彼氏の言葉をちょこっと変えてそのまま言ったんだけど、彼氏は怒ってしばらく電話に出てもくれませんでした。当たり前です。けれど、私は彼氏を怒らせる気なんて毛頭なくて、むしろ彼氏の気分が楽になると本気で思って、そう声を掛けたのですが。

今になって考えると、私は家で「慰められる」みたいなことがなかったので、落ち込んでいる人にどうやって声をかけるべきか、本当に全くわからなかったのです。

家では、幼い頃から何かを失敗するとまず「ほ~ら!やった!(やってしまった)」と、母にすごく罵倒されました。私は母のこの「ほ~ら!やった!」が大嫌いでした(ちなみにどんなことか、というとコップが倒れて飲み物をこぼす、とか子どもならやってしまうような小さな失敗ですよ)
そして「大体、そんなとこ置いてたらあかんわ」「まあ、こぼすと思ったけど」みたいに延々と責められるので、どんな小さなことでも『失敗するって、相当ダメなことなんだ』と、ずっと思っていました。そして『次から気をつけないと…』と考え込んだり、罵倒されて落ち込んでいると「しつこい」「切り替えろ」と怒られる。

幼いと言っても4歳くらいです。

「ここに置くと、手が当たるから次からはここに置こうか」「次から気をつけよう」と、冷静に説明してくれたら理解できるのに。

だから、スピード出し過ぎで死ぬ人は「失敗したバカな奴」と、本気で思って、彼氏にもそういう言葉しか吐けなかったのでは、と今になって思います。

とにかく、その時何て声をかけるべきか?とかなり悩んだことと、知恵を振り絞って言ったのに、なぜ彼氏がキレたかわからずパニックになったことだけは鮮明に覚えています。

大体「友人が本当にバカだったかどうか」よりも、彼氏はその「悲しい」という気持ちを彼女である私にただ聞いてほしくて電話をくれてるのに、完全に論点がズレていたのも、毒親育ちだからなのかな…
程なくして、その彼氏とは別れましたが、他にもたくさんの失礼発言をしたこと、今になって謝りたいです。

常に臨戦態勢の母

昔からとにかく悪口ばかりを言っていた母は外で「バシッと言って黙らせてやった!」みたいなことをとかく自慢げに、武勇伝がごとく話していました。

幼い頃からそういうのを見ていたので『自分もバシッと言えるようにならないと』と、そういう風に言える母を、むしろ尊敬の眼差しで見ていました。

私が学校で先生に理不尽な扱いを受けて、母に相談すると「何ていう先生?電話したろ!」と言って電話して、その先生に謝罪させる、ということも2回ほどありました。
確かに、単なるイチャモンなら私も止めてたし、筋は通ってはいたけれど、それにしても先生はさぞかしビビったことでしょう。

子どもを守る為でもあったのだろうけど、今考えたら、外部(学校や店、職場など)か、内部(家庭)か、なだけで、定期的にああやって喚くのがある種のストレス発散だったのかも知れません。

あとは、母は同性をすごく嫌うので、同地区のお母さん方をやたらと目の敵にしては「〇〇さんとこのお母さんムカつく!」と言って、喧嘩して帰ってきたこともありました。
多分、いつの年代のコミュニティでもそんなんだったのでしょう。母には古い友達がいません。

ただ、そういう地区とか「お母さん方」の集まりになると、いくら何でもイライラしすぎだろ、と思うほどでした。
おそらくこれも、周りは「夫婦がほぼ同年代同士だけれど自分の夫だけ19歳も年上であること」を勝手にコンプレックスに感じて、勝手に敵対心をむき出しにしていただけだと考察しています。私も今の自治会の集まりなんかはとっても苦手なのでわからなくもないのですが、さすがに母は他のお母さん方にも、協調性がないと笑われていたのではないかなと思います。

職場での喧嘩も1度や2度ではないはずです。

母の一番の武勇伝みたいな話が、私がまだ幼い頃、母の職場にいた男性のネチネチ系の上司S(当時で主任くらいだろうか)にカチンときて
母「今日、Sに言うたった!」
娘ら『何て?』(ちなみにその頃はSの文句もずっと言ってたので、覚えていた)
母「おたく、家でもそんなん?(話し方が、そんななのか?)って」
母は「してやったり」みたいな顔をしていましたし、その時私も幼かったので『母さん、さすが!』と笑って聞いていましたが、自分が就職して働くようになってからその話を思い出して、ドン引きしました。
上司に向かってそこまで楯突いて「やっちまった」と思うどころか「言ってやった!」と思いながら意気揚々と帰ってきて、また普通に出勤できる神経。
しかも、後に私はその会社にコネで入り、何の因果かSの下で働くことになって…本当に恥ずかしかったです。